第一話 「ドドッと二周目」(2)




 この世界にとって、魔法は空気のように平然と存在し、水のように人々の生活になくてはならない。はるか昔、太陽と月の名前さえ定めていなかった時代に、人々は初めて『理』の断片を掴んだ。それは『奇跡』と呼ばれ、扱う者は周りから尊敬と畏怖を集めた。代々継承され、研鑽されるうちに、奇跡は法則を見出されることで『術』へと昇華し、やがて万人がその恩恵にあずかる普遍的な力となった。すなわち、魔法となった。


 農耕に魔力が宿ると豊作が約束され、都市の灯りは魔導具から放たれる光で満たされた。旅人は浮遊魔法で険しい山々を越え、病人は治癒魔法で癒された。生まれ育つ子供たちは物心ついた頃から周囲に満ちる魔力を肌身で感じ取り、簡易的な生活魔法を使いこなすことを教えられた。


 それは二本の足で立つことや文字の読み書きのように当然のことであり、魔法を使えない者は、まるで片腕を失ったかのように社会生活に困難を抱えるほどだった。


 ゆえに、この世界の人々にとって魔法は、畏怖の対象であると同時に生活に根差した『道具』でもあった。高度な魔法を扱える者は敬われ、地位を保証してでも国が欲しがる人材だ。


 力は時として怖れられるものだが、野菜や果物を運ぶ商人が品物を冷やすために使うごく簡単な冷却魔法に対して、特別な感情を抱く者はいない。魔法とは、人々の営みとともにある。





 1901年。


 広々とした応接間は、柔らかな陽光が差し込む大きな窓と、磨き上げられた寄木細工の床が印象的だった。


 壁には繊細なダマスク織の壁紙が貼られ、所々に飾られたロココ調の絵画が、この部屋の優雅さを一層引き立てている。深紅のベルベットで覆われたマホガニー製のソファとアームチェアが、重厚な彫刻が施された円卓を囲むように配置されており、使用者の快適な時間を約束していた。


 テーブルの上には、精巧な金縁のティーセットと、季節の花々が生けられたクリスタル製の花瓶が置かれており、微かな甘い香りが漂う。王族の威厳と私的趣向が絶妙なバランスで溶け合う空間は、訪れる者に二つの選択を強いる。


 格調や風格を纏わせ至高のゆとりをもたらすか、多大なる緊張をもたらすか。


 

 ソファーに腰を下ろしている私は、当然前者である。


 唇へつけたカップを静かに傾け、ふぅ、と小さく息を漏らす。

 王室御用達の紅茶は、今日も変わらぬ風味だ。西部地方に広がる肥沃な大地で実った『プルッドランス』。赤紫の茶葉からは想像もできない繊細な味わいは、舌先から喉奥までを十全と満たした。


「美味しい」


 またひとつ、息をわずかに吐いた。


 眼前では、純白の羊皮紙の上を、黒檀のペンがひとりでに走っていた。


 机上に広げているのは、課題の資料だ。私の指先はペンに触れていない。

 筆記具は宙にわずかに浮き、持ち主の意識の指示に従って、紙面を滑りながら流麗な筆記体を綴っていく。


 これが、私達学生にとって必須の【自動筆記の魔法】だ。


「ここは、そうね。この解法がいいかしら」



 小さい呟きに合わせて、筆は滑らかに踊る。ステップごとに軌跡を残し、文章を構築していった。


 大半の学生は扱えるが、あまり使用しない。指でペンを持った方が疲れないからだ。

 けれども、魔力操作及び精密性の維持と向上のために私は積極的に使っている。


 魔法も筋肉と同じ。意識的に使わなければ衰え、技術も失っていく。


「誤字脱字は、大丈夫そうね。これで、課題提出も問題なし。う~~~ん、はあ」


 ひと仕事終えて大きく伸びをすると、小さな欠伸が漏れ出た。


 すぐそばに置いてある姿見に、視線を向ける。シニヨンにまとめた薄銀の髪は、寸分の乱れはない。翠玉の瞳は知性と冷静さを湛え、些細なことでは揺るがない意志を宿している。


 紺を基調とした王立魔導大学の制服は、きっちりと着こなしている。細い羽ペンのブローチが、胸元でわずかに揺れた。深紺のロングジャケットは銀の縁取りがよく映え、高めの詰襟が自然と姿勢を正させた。


 部屋の空気も、柔らかな朝日も、私を彩る舞台のようだった。


 まさに、完璧な空間。


 気品とは、私。


 高潔とは、ガーウェンディッシュ。


 華麗とは、セレヴィーナ=ガーウェンディッシュの代名詞。


 そうでなくてはならない。


「ドドっと登場!! セ~レヴィ! おっはよう!! 遅れた~~! ごめーん!!」


 雑音が侵入してきた。

 扉が吹き飛ぶのではないかという勢いで現れたのは、いつもの王女だった。

 王族らしさの微塵もない、厳粛さに欠けた登場は、今日も変わらない。


 私は、一度カップを置き、深呼吸した。彼女の行動はいつものこと。慌てる必要はない。


「おはよう、アメリア」


 制服姿のアメリアは、見た目だけなら王族と言えなくもない。胸元には欠けた耳をした象のブローチ。深紺の制服の上にはマントが羽織られ、その裏地から覗く星空模様は、自然と彼女に似合っていた。


 今更だけれど、夜空のような奥ゆかしさが、この子にあるのかしら。苛烈な太陽のように鬱陶しく、主張が強いのに。


 格好がまともなのは、背後に控える世話係の方のおかげね。自身の存在を希薄にするのが得意なあの人も、私達の同級生として、大学ではアメリアの身の回りを整える。恐らくは護衛も兼ねているのは、立ち居振る舞いからして推察できる。


 二人が離れているところは、滅多に見かけない。


「待たせちゃってごめーん」

「そうでもないわ。ゆったりできたから」

「そうなの? じゃあ二度寝してこようかな」

「そこまでは待てないわ」


 もう既に、彼女のペースだ。入学式での悶着を経てから数ヶ月は過ぎたけれど、私が主導権を握った日はない。来ることはあるのかしら。


「ねえねえ、明日か明後日、北方に行ってみない?」

「……何て?」


 手が、止まった。いや、思考まで止まった。ティーカップを持つ途中で固まる私を、侍従まで無表情で固まっている。


「ツェルバ連邦に。緊張が高まってるんだって。そういう時って、みんな本音をポロっと溢すでしょ?」


 ……はあーーーーあ。


 盛大に、内心でため息をついた。


 またこれだ。この平和ボケ王女が。


 脳内では非常警報が静かに鳴り響く。

 隣国の緊張地帯に、この調子で出向こうとしている。外交問題どころか、戦争の火種にすらなり得る話だ。そもそも王族の越境など、事前準備もなしに許されるものではない。


「ふふ、まだ脳が覚醒してないようね。二度寝、してきてもいいわよ?」

「ううん、やっぱりいいや。眠気ないもん」


 茶化してみたが、効かない。本当に効かない。今まで効いてくれた試しなんてないけれど。


 もはや、寝ぼけたままでいてくれれば、どんなに楽だろう。覚醒した状態でこの発言なのだから困る。


「貴方が行ったら、どうなると思っているの?」


 額に手を当ててわざとらしく嘆息した私は、じろり、と睨むように視線を送った。

 動じるはずもない王女は顎に指を当て、やがて自信たっぷりに笑みを浮かべた。


「えー? へ・い・わ、かな」

「こ・ん・ら・ん、よ」


 王族外交は手続きに時間がかかる。訪問意図の表明、受け入れ国の承認、公式通告と調整……煩雑なそれらを経て、やっと実現する。


 ふと思い立ったから行けるような場所ではないのよ。


「だいじょーぶ、平和的に帰ってくるつもりだから」


 ダメに決まっているでしょう! こっっの、ダメリア!! 


 私は椅子から立ち上がりかけて、踏みとどまった。

 怒鳴りたい。叫びたい。

 だが、私はガーウェンディッシュ家の令嬢。気品を手放すわけにはいかない。


 普段から、彼女は冗談を口にしない。本気で言っている。それが一番の問題だ。


 深く、静かに息を吐く。いつものこと、慣れている……いや、慣れてなどいない。


 肝が冷える回数は、日増しに増えるばかりだ。一年後には、胃に穴でも開いているかもしれないわ。けれども私は、この王女を手放すわけにはいかない。


「その話は、またあとでしましょう。準備は済ませたかしら? 今日の課題は大変よ」

「あ! まだ終わってない!」

「やっぱりね。学校に着いたら一緒にしてあげるから」

「ありがとう! すぐ戻ってくるから!」


 嵐のように扉から出ていったアメリアを、侍従も追いかけていった。


「……ふぅ」


 静かになった応接間で、私は背もたれに身を預けるようにした。そしてもう一度、先ほどまでとは異なる息を吐いた。朝から、神経が磨耗する。


 どうにか話題を逸らせたかしら。あの話を忘れてくれればいいけれど……いいえ、忘れた場合と覚えている場合、両方の対策を練っておいた方がいいわね。


 私は長い睫毛を伏せて、体内を巡る魔力に意識を向ける。脈動し明滅するそれに、神経を通わせる。


 頭を止めてはいけない。次こそは失敗しないために。


 目的と信念を再認するように、静かに瞳を開く。





 私は、知っている。


 この穏やかな光景の裏に隠れ潜んでいる、結末を。


 私は、二度目の人生を生きている。記憶だけを引き継ぎ、過去の時空へと戻ってきたのだ。


 一周目は間違えた。制度と家名に固執し、全てを失った。

 死の瞬間は、今も鮮明に蘇る。繰り返すわけにはいかない。


 何故、数年前の世界にて蘇ったのか。神の奇跡か、何者かの魔法か。原因は分からない。

 確かなことは、あの日までの記憶を携えて、私はやり直しているということ。


 今度こそ、間違えない。悠然と立ち塞がる悲劇を、乗り越えてみせる。


 必ず、幸せに生きてやる。


 小さく呟いた決意は、誰にも聞かれない。けれど私の胸には深く刻まれている。


「セレヴィ。今、幸せじゃないの?」

「きゃあ˝! 何よ、ビックリさせないで!」


 気品に欠いた奇声を上げてしまった。そんな私を見やり、いつの間にか戻ってきていたアメリアは、ニヤリと口端を上げた。

 まるで、私の弱みでも握ったように。


「 かならず、しあわせに、いきてやる 」

「~~~~!! さっさと準備しなさい!!」


 声色を似せて、一言一句。ゆっくりと大仰に噛みしめるようにからかってきた王女に、白肌を赤面させながら叫んだ。


 この馬鹿王女、ぶん殴ってやろうかしら!!



「あ、そうそう。さっきの話だけどさ。やっぱり北に行くのは明日がいいと思う~? セレヴィは明後日の方がいい~?」



 私の額に、小さくもない青筋が浮かんだ。



 忘れていればいいのに、くっそ。



 口には出さないように、内心で舌打ちした。







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