リープ ~私達の二周目~

蛇頭蛇尾

1章

第一話 「ドドッと二周目」

 


 朝というのは、みんながみんなルーティンに従う。

 それは、中央大国ヴァルモン王国においても例外ではない。


 けれど、わたしは例外を作るのが好きだ。


「アメリア様。ガーウェンディッシュ様がお待ちです」

「ごめん! もうすぐ出るって言っておいて!」

「先ほどもそう仰せでしたよ」


 扉の向こうから侍女の声が届く。一応の返事はしておいて、わたしは構わず腕を組み床の上に胡坐をかいていた。


 第一王女の私室には、薄いクリーム色のカーテンが開け放たれた窓から柔らかな陽光が差し込んでいた。天蓋つきのベッドに唐草模様の絨毯、化粧台の鏡面や椅子には意匠が凝らされており、しかし派手過ぎない静謐な空気が流れていた。


 目の前には書物の塔。部屋の隅にある本棚から半分以上を取り出し、積み上げ始めて十数分、なかなか面白いバランスになったと思う。


「恐れながら。失礼いたしま――……何をなさっておられるのですか」


 そっと扉を開けて入ってきた世話係は、今年から導入された大学指定の深い紺の制服に身を包んでいた。


 スラっとした長身に、端正で冷たい印象すらある整った顔立ちの彼女。身の回りの世話を担当する侍女であり、護衛であり、同級生だ。他人からは恐れられる暗灰色の瞳が一瞬だけ固まったのを、わたしは見逃さない。


「バランスゲームってやつ」


 堅牢で美しい革装の書物たちを前にして、わたしは答えた。


 倫理・統治哲学・家系の象徴的意味を説く古書。

 儀礼・交渉術・諸国理解などを含む高等教育書。

 魔力と統治権の関係を記す王家の秘書。


 そして、美術品としても価値のあるそれらは、縦に、横に、斜めに。絶妙な平衡で積み上げられている。最近市井で話題の遊びは、本来、専用の木や木片を使用するけれど、わたしの手元にはない。そのため、書物で代用している。


「恐れながら進言させていただきます。それら一冊一冊は丁重に扱われますよう。王国の誇った多くの知恵者がその脳髄を稼働させた代物にございます」

「確かに。じゃあ丁寧に積んでいかないとね」

「そのような意味ではなかったのですが……破損しないのであれば構いません」

「ふふん。見ててよー、まだまだ積むんだから」


 こんなところ、侍女以外には顔をしかめられる。今は彼女しかいないから気にしない。

 他の人がいても気にしないけれど。


 得意げに嘯いたわたしは、顔の正面に積み上げてきたものへ、集中する。

 ただ乗っけていくだけのように見える建築物でも、意外と考えて置かないといけない。そもそもゲームの用途が、手先の器用さや集中力の育成とか、幼児教育にも適しているという。




「流石はアメリア様。妙技でございます」


 既に自分の背丈を超すほどに組み立てているわたしに、侍女は淡々と褒めた。

 ふふーん、と気を良くして誇らしげに胸を張る。


 なんだか、他の人にも見せたくなってきたかも。褒めてはくれないと思うけど、ここまでやったよ! って成果を自慢したい気分。


「これ、セレヴィにも見せよう。呼んできて!」

「なりません。この光景は私の特権にいたします……そろそろ制服に着替えましょうか」

「えー。でも……うん、いいよ~」


 丁度全部乗せたところだったから区切りもいい。


 手慣れた手つきで手際よく学生服へと着替えさせられたわたしは、友人の待つ部屋へ向かう。





 *





 今日もまた、穏やかな日常だ。退屈な日にならなければいいけれど。


 縦長の窓から届く光が、王城の廊下を優しく照らしている。足音が響く静かな道で、わたしは侍女を連れていた。


 彼女に限らず、宮廷勤めの者達は早朝から仕事に従事し、どんな命令が下されようとも遂行できるように準備に余念がない。王都の心臓部に勤める自負と緊張を指先に乗せて、きめ細かな配慮を行き渡らせている。


 そのような人たちによって、わたしは支えられている。それを忘れてはならないのが、王家に連ねる者としての務めだ。



 ふいに、足を止めた。どこかから音が流れている。


「アメリア様、」

「ちょっとだけ」


 西塔の方へ逸れていったわたしを、侍女がついてくる。見えてきた一室から、微かな音が漏れていた。ふらりと寄り道して覗き込んだそこでは、一人の男がピアノを奏でていた。


 その顔には、常に穏やかな笑みが浮かんでいる。温厚さを隠しきれない切れ長の瞳は、底知れぬ深淵が内包されているようだ。それは悪意や野心を宿すものではなく、むしろすべてを包み込むような寛容さ、あるいはすべてを達観したかのような静けさを感じさせる。


 レオフリック・ドラグネス。この国の宰相だ。


 白黒の縞模様をオールバックにまとめる髪が、ピアノの鍵盤のように整然としている。

 あの髪型を毎日毎度整えるのは大変だ。などと考えつつ、それよりも音に惹きつけられる。


 虫が跳ねるような軽快さから、綿毛が風にさらわれるような穏やかさ、そして突然雷雨が逆巻くような激しさへ。

 国家を背負う人物が、今だけは音色に身を委ねている。


 変わる、変わる、どんどん変わる。耳が慣れる暇もないのに、不思議と全部が心地よかった。


「おや。これは失礼いたしました。可憐な聴者がいらっしゃるとは気づきもせず」


 演奏を終えた宰相が、静かに覗いていたわたし達に気づき微笑む。ぴょこっ、とお辞儀を返した。


「ご機嫌麗しゅうございます、アメリア殿下」

「ごきげんよう、レオフリック宰相。今のなんていう曲?」

「曲と呼ぶには値しません。譜面無き雑音でございます」

「そう? 北国の民謡みたいだった気がするけど」

「そのように捉えましたか。昨今、ツェルバ連邦とは悶着が頻発しておりますからな。無意識に音色に表れたのでしょう」


 目を細めた彼に、わたしは腕を前で組み考えるような仕草を取った。


 ツェルバ連邦、連邦ねぇ……行ったことないなぁ。

 北国でも結構大きな商会の人や、国境付近での交流会で顔を合わせた同年代の貴族とか。交換留学生もそういえばあった。連邦に所属する人には会ったことはあるし、騒動のいくつかをともにしたけど、国そのもの、街などには足を踏み入れたことはない。


 何か、口実になりそうなものないかな。


「小規模ながら、北部辺境にて衝突が続いております」

「わたしが仲裁に行ってもいい?」

「お戯れを」


 柔らかく受け流した宰相に、わたしはちょっとだけムッとした。

 別に冗談で言ったわけじゃないのに。この人はまだまだわたしを子ども扱いしてくる。わたしだってもう十八になったんだよ? もうそろそろ淑女として見てくれてもいいころだと思うんだけど。


「北だけではありません。東方のリンドラからは、魔導工学における技術が我が国にも流れております。庶民の間にもいくつか出回っており、伝統派の魔法師は快く思っておりません」

「え、どんなの? 面白いもの? 見てみたい!」

「……う˝、う˝うん。アメリア様の興味を引くようなものはないかと」

「えー、そうなのー?」


 何度か咳払いして伝えられ、わたしは嘆息した。まあ、宰相がそう言うなら、そうなのかも。

 東にも行ったことないなぁ。国境付近にある貴族の領地に無断で静かに侵入したことはあるけど、それだけだし。勝手に他国に行っちゃうと、色々面倒がかかるからね!


「西のアルトラ公国は現在大人しくしております。先の集団的魔法詐欺が尾を引いているようですが」

「へえ、そうなんだー」


 商人ひしめくアルトラ。国民全員が何かしらの商いに従事しており、赤子の頃から契約書類に触れさせているという。


 先の事件は、わたしも知っている。というより、いくつかの詐欺グループと出会った。打算や謀略の渦巻く密室の中、舌戦を繰り広げて彼らを改心させた……ような記憶はなく、全員拘束して西方へ送りつけた。こう、魔法でちょちょいってね。


「……そして、南方のサラディア。かの革命思想が我が国に与える影響は、計り知れません。第一次革命と同じ轍を踏まぬよう、身分の垣根を越えて国が一丸とならなくてはなりません」

「ふむふむ」

「アメリア様には、是非ともその旗印となっていただきたく思います。やはりこの国の未来とは――」

「……何か忘れてる気が、する」


 何だっけ? そもそも、何でここに来たんだっけ? 自室から出て、どっかに行こうとして。


 フライパンの上で踊るソーセージが、脳内で思い浮かんだ。そして、その皮がパリっと焼き上がるように、音を立てて思い出された。


 あ、そうだった!


「セレヴィが待ってるんだった! ごめんね、宰相。また演奏聴かせてね!!」

「…………ええ、いつでも。いってらっしゃいませ」


 手を合わせて謝るようにお辞儀をしてから、身を翻して駆け出す。侍従も続いた。宰相は何も咎めず不機嫌にもならず、ただ優しく笑ってくれた。


 部屋を飛び出すようにした後ろで、再び重くも静かな旋律が響き始めた。



 誰か遠くの人に語りかけるような、そんな音色だった。










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