第19話 初めての友達

殴ったレオと、殴られたヴァン。

2人の荒い息遣いの音だけが、何もない部屋に響いている。


レオは掠れた声で叫んだせいか、咳き込んでから言葉を続けた。


「エリアスはもう鳴けない。――俺が役立ずだったせいだ」


苦笑いするように肩を落としながら、レックスに目を向ける。


「なあ、レックス」

『……』


レックスは黙ってレオを見つめ返した。


「君は飛竜。空の王だ、そうだね?エリアスが声を失うってのは……君が翼を失うようなものなんだよ」


レオから言葉が吐き出されるたび、ヴァンの心には様々な感情がせり上がり、涙となって視界を歪ませた。ヴァンはそれを流すまいと、必死になって拭った。


――クソ。情けない。なんで俺が泣くんだ。辛いのはレオなのに。


悲しいわけではない。もちろん初めてできた友人の苦しむ姿を見るのはつらいが、それ以上に悔しいのだ。なぜ何も悪くないレオがこんなに苦しんでいるのか?という怒りもある。そのどれも発露するための言葉が見つけられず、涙になって込み上げてくる。


そんなヴァンに、レックスは静かに言った。


『ヴァン。翼を失った私は無価値か?』


ヴァンは目を見開いてレックスを見た。


「そんなわけないだろ!!」


心からの叫びだった。レックスの意図はわかっていたが、そんな言葉を番から聞くこと自体、悲しかった。そんなヴァンの姿をレオは唇を噛み締めて見ていた。


「レオ!お前…お前は、どうなんだよ」


ヴァンの問いかけに、レオは苦しそうに俯き、頭を抱えた。


「違う……そんなわけない……でも、俺は」


そのとき、エリアスが鳴いた。いや、正確には、鳴き声は出ていない。ただ、喘ぐような、苦しそうな空気の漏れる音が嘴から漏れたのだ。


「エリアス…」


レオはベッドに座しているエリアスに目をやった。エリアスは彼を穏やかな目で見つめ返している。番と目を合わせているうちに、徐々にレオの眉間に刻まれていた皺は緩み、とめどなく流れていた涙も自然に止まった。


刹那、グッと、部屋に緊張感が走った。エリアスとレオが感覚共有を行ったのだ。栗毛の髪が逆立っている。あの時と同じだ――オリーブグリーンの目もちらちらと揺らぎ、青っぽくなってから強い橙色に変わる。


ヴァンは、この時レオから感じるプレッシャーが好きだった。巨大な怪鳥に睨まれるかのような強い威圧感。きっと野生のグリフォンに対峙した時もこんな気持ちになるのだろう。それに、共有中のレオの姿は獅子のように美しく、いつまでだって見ていられる気がした。


彼らの感覚共有はしばらく続き、強い風が吹き荒ぶようだった部屋の中は不意に凪いで、静かになった。


「エリアスは、悲しんでいない」


レオは静かに呟いた。


「当たり前だろ、神獣だぞ?」


ヴァンの言葉に彼は力なく笑った。自嘲気味ではあったが、その目には先程よりも光が戻っているように見え、ヴァンは安堵した。ベッドの隣に腰掛け、肩を強く叩く。


「エリアスなら、そのくらいのハンデを背負ってたって最強だろ」

「…ああ」


ヴァンの差し出した拳に、控えめではあったが、レオは拳を返した。


「殴って、悪い」

「いいよ。飯でも奢れよ」

「ふん」


彼の美しい背筋はまだ伸びない。罪悪感、無力感の鎖は未だ彼を離していない――いや、レオ自身が手放せずにいるのだろう。


「その、エリアスの声のことは――学園の研究室には相談したのか」


レオは首を振った。


「……ベリー先生が、エリアスを見て私には治せないって言ったから――彼女でも無理なら、どうしようもないって思って」

「どうしようもないって……あいつ、そんなに凄いのか?」


ヴァンは襲撃の日を思い返した。名前を聞くなり退散しようとした敵。故郷に伝わる救国の魔女と同じ名前の、強大な魔女。


――あの女は何者なんだろうか。


「彼女は魔法薬、魔法、全てにおいて治療分野では権威だよ。知らないのか?」

「権威?ベリーが?」

「そんな口の利き方ができるお前が怖いよ俺は」


まだベリーに対する反抗心のようなものが残っているヴァンは、どこか納得できない気持ちで口を尖らせた。もはや意地でしかないが、やっぱり手放しでベリーのことを尊敬したり、好きになったりはできないのだ。


「……いやまあ、確かに、強かったけどさ。そういうの、詳しくないんだよな俺。田舎者だし」


しかし――研究所に相談していないなら、まだエリアスの声が治る可能性はあるかもしれない。


「学園の研究所の話に戻るけど。あそこは番に関する研究をしてるみたいだし、クソチ…ベリーとは違った視点で治療方法を見つけてくれるかもしれない。手紙、出してみないか?」


ヴァンは、あの研究室に置かれていた資料のほとんどが番に関するものであることを覚えていた。レックスがあれだけ歓待を受けていたのも、サンプルの少ない飛竜種だからだろう。レオの番だって喜んで研究するに違いない。


「…うん。でも、申請しないとな…」

「申請?」


レオの番がグリフォンであることは騎士団と学校側の一部の人間しか知らないらしく、開示範囲を広げるには隊長級の許可をとらなければならないらしい。


「なんでそんなに厳重なんだ?番が強いのって、いいことだろ?」


ヴァンの質問に対しレオは何かを言おうとしたが、困ったように口を閉じ、頭をかいてエリアスを見た。

その視線に対してエリアスは少し首を傾げただけだったが、レオは意を決したように顔を上げ、ヴァンを見た。


「俺はさ。友達っていないんだよな」


急なカミングアウトに、ヴァンは面食らった。


「お、おう?」

「いや、ほんとに。学校ではほら…アレだろ?」

「優等生」

「そう、まあ、うん。みんな遠巻きなんだよな」


そりゃあんなに過剰に優等生アピールしてたら絡みにくいだろ、とヴァンは思ったが、口には出さず続きを待った。


「騎士団でも権力争いみたいなのがあってさ。あんま気軽に仲良くなれない。だからその――」


レオは歯の奥に何か詰まったような、微妙な顔で言葉を探している。ヴァンは言いたいことがさっぱり分からず、黙って待った。


彼は長い沈黙の後、短く息を吸って、一息に言った。


「――つまり、ヴァンは、俺の友達だよな?」


こちらに目も合わせず不安交じりにそう言ったレオの顔がおかしくて、ヴァンは吹き出してしまった。不安そうなレオの背中を強く叩く。


「当たり前だろ!なんなんだよ、改まって」


レオはホッとしたように肩を落とした。そして、勇気をもらうかのように再度エリアスと目を合わせてから、不意に目を閉じた。

そのまま彼は額に人差し指を当て、囁くように何かを唱え始める。


「汝迷える光よ、正しき場所へ還りたまえ」


すると空気が微かに震えて、部屋に淡い光の粒が舞いはじめた。柔らかな風が巻き起こり、レオを静かに包んでいく。


――感覚共有じゃない。初めて聞く詠唱だ。なんだ、何の魔法だ?


あっけにとられるヴァンをよそに、レオの栗色の髪は宙にたなびき、淡く光り出した。


――いや、違う。光っているのではない。

髪の色そのものが変わっているのだ。


毛先から滑るようにその変化は広がった。やがて彼の髪は毛先から毛根までその全てが、輝かんばかりの金色に変わっていった。


「おい……なんだよこれ、金髪……?」


間抜けな声にレオは少し微笑み、そして目を開けた。


その瞳を見て、ヴァンは息を呑んだ。


――地平線に輝く海の色。

深く美しい、青の瞳だ。


脳裏にふと、ラス副校長の手紙の一節がよぎる。


『青い瞳に警戒せよ』―――

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