第18話 声なき号哭


 グレイたちに事情を理解してもらうのには、随分時間がかかった。

それもこれも、バルガスが自信満々に新人としてヴァンを紹介していたせいである。


「はあ…つまり隊長の暴走?スパイとかじゃないよね」


 心底面倒そうな気持ちを隠さず、グレイは言った。


 ――嘘だろ、人生で二度もスパイを疑われるなんて。


「違います!レオに確認すればわかりますよ」

「レオナード・スミスのこと?あいつは日常会話できるような状態じゃないよ」


 こともなげにそう言って、グレイは欠伸をした。ヴァンは信じられない気持ちで聞き返した。


「そ、そんなに悪いんですか?」

「まあ、会えばわかるけど…誰に許可を取ればいいんだ?これ」


 グレイは困ったように頭をかく。順当に考えれば上司であるバルガスになるが、それは上司に勘違いを指摘するということになる。難癖をつけられて更なる残業を食らうのはごめんなのだろう。


 ヴァンも同じようにバルガスが頭に浮かんでいたが、あの話の聞かなさからして、むしろこちらの話など無視して宿舎に新人として登録されてしまうような気がしていた。

 ヴァンとグレイの二人が、解決策を求めるかのように宙を仰いだそのとき。


 ごろにゃあ。


 のんきな鳴き声と共に、闇の中からふわりと柔らかそうな毛が舞ってきた。鼻をくすぐられてくしゃみをしたヴァンが目を開けたるも、目の前にベリーの使い魔、クリムがいた。

 その姿は始めこそ四つ足の子猫だったが、こちらに歩みを進めるうちに2足歩行のケット・シーに変身した。


「久しいにゃ、グレイ!なんか、また細長くなった?枝みたい。ごはんをもっと食べたほうがいいぞ」

「食べてますが、消費に追い付かないんでね」


 ケット・シーは憐れむような目で耳をパタパタ揺らし、懐から包みを取り出した。


「おかわいそうだにゃ。ハイこれ、主から宿舎用の薬のお届け。差し入れのハーブティーもあるから、飲んでゆっくり寝るといいよ」

「おお、助かります」


 グレイは包みを覗き込み、見分を始めた。その包みの中からは、香草と花のいい香りが漂ってきている。


「あと、ヴァンの様子見も頼まれてるんだけど…君、こんなところで何してるのさ」

「疑われてるんだよ!聞いてくれよ」


 まさに、救いの猫の手である。ヴァンが事情を説明すると、クリムはひとしきり笑ってからグレイに向き直った。


「ひー、面白い。グレイ、こいつの身元はボクが保証するから大丈夫。ウチの副校長が尋問済みだし」

「ラス・フォーチュンが?…ならまあ、いいか」


 癪なことに、またベリーに救われた形になったが――そうしてようやく、ヴァンはレオの病室へと案内してもらえることになったのだった。


 レオの部屋は、正に目の前にあった教会のような建物――宿舎の中にあるらしい。

現在は本来与えられている個室ではない別の部屋に隔離されているのだという。


「じゃあ、この下だから。僕は帰る。帰って、寝る」


 グレイは地下に続く階段まで案内すると、入口を守る衛兵の肩を叩いて出て行ってしまった。ケット・シーも用が済んだと見るやあっさりと去ってしまったので、ヴァンは突然一人ぼっちになった。


 地下へと続く階段からは、やけに冷えた空気が流れてきている。今いる清潔な廊下とは全く異なり、階段の先の壁は打ちっぱなし、床も無骨で、なんだか不穏な雰囲気だ。


『グリフォンの気配がする』

「うおっ」


 突然、レックスが頭の上に現れたので、ヴァンは転びそうになった。訓練の疲れでまだ膝が脆弱なせいだ。


「グリフォン…エリアスだよな。行こう」


 ヴァンは1人じゃないことにほっとしていた。実は、真っ暗な狭い場所は苦手だった。


 奥へ進むと、階段の先には牢屋のような部屋がいくつかあった。まさか幽閉されているのかと恐る恐る覗いたが、そこには誰もいない。


『もっと奥だ』


 レックスに従って先に進むと、牢屋ではない、石扉が最奥にあった。部屋の名前はどこにも書いていない――音もしない。


「レオ?」


 ヴァンは控えめに呼びかけ、扉をノックした。軽く叩いただけだが、その音は狭い地下通路に反響し重なり合ってガンガンと響いた。


 しばらく待っても、部屋の中からは衣擦れの音一つしない。ぐわんぐわんと、先程のノックの音の余韻が聞こえるだけだ。

しかしヴァンは、不思議とこの扉の向こうにレオがいることを確信していた。


「レオ!!」


 今度は強く呼んだ。中から小さな衣擦れの音がした。待ちきれなくなって、ヴァンは扉を押し開けて中に入った。


 ホコリと汗の混ざったような嫌なにおいがヴァンを襲った。打ちっぱなしの壁に囲まれた部屋には、パイプでできたベッドひとつ、ぽつんと置かれているだけだった。そのベッドには、一見見覚えのない、みずぼらしい男が一人座っていた。


「………誰だよ」


 掠れた声の主は、レオだった。艶のある栗色の髪は黒ずんで乱れ、オリーブグリーンの瞳にはまるで生気がない。いつもまっすぐに伸びていた背筋は前屈みに歪んで、まるで廃人のようだ。


「レオ!レオか?お前…お前どうしたんだよ、こんな…」


 言葉が見つからず、ヴァンはレオの肩に手をかける。手のひらを押し返すしなやかな筋肉は健在だが、反応はない。掴んで揺らしても、虚ろに前を見つめているだけだ。


「おい!俺だよ、ヴァン・アドベントだよ!わかんなくなっちまったのか?」


 ぼんやりとヴァンを見つめ返すその眼には、何の感情も感じられない。レオの瞳はまるでずっと遠くの何かを見つめているようで、こちらを見ているのにもかかわらず目が合うことはなかった。

 口が悪くてひょうきんで、甘党な友人の姿はどこにもない。言葉が見つからず膝をついたヴァンは、ふと視線の先の床に、いくつか新しい血の跡があることに気付いた。


 隔離された無骨な部屋。床だけでなく、壁にも血の跡が散らばっている。よく見れば、レオの拳には包帯が巻かれており、血が滲んでいた。


――日常会話ができる状態ではないぞ――


 自暴自棄になって、誰の声も聞かず、そこかしこに当たり散らしたのだろう。しかも、何日も経った今もそれを続けている。


『無理もない。魂の片割れが目の前でボロボロにされたのだ。お前だって、随分苦しんでいたんだろう』


 レックスは宥めるように言ったが、ヴァンは番を睨みつけた。


「…だから、精神が崩壊してもしょうがないって言うのか!?レオはそんなに弱くねえよ!」


 八つ当たりなのはわかっていたが、ヴァンは動揺を隠せなかった。自分よりずっと強く、明るかったレオが、こんなにボロボロになっているなんて思いもしなかった。怪我がひどいだけだと思っていた。

 大声をぶつけられても、レックスは顔色を変えずにゆっくりとした瞬きでヴァンを見つめてくる。


 ――落ち着け。


 そう言っているのはわかっていたが、ヴァンは感情が抑えられずに目をそらした。


「…そうだ、エリアスは」


 ふと彼の番の姿がないことに気付き、ヴァンは部屋を見回した。いないはずはない――気配はあったのだから。


『そこだ』


 レックスが示したのは、前屈みになっていたレオの懐だ。ヴァンは急いでレオの寝間着をひっぺがした。果たしてそこには、あの日初めて目にした美しい姿そのままのグリフォン――エリアスがそこに居た。


「エリアス!無事だったか!」

『―――…』


 エリアスはヴァンを見てその嘴を開いたが、すぐに閉じた。不安そうな、心配そうな、なんとも言えない眼差しでレオを見上げている。


「番に心配させてんじゃねえよ!レオ!なんで引きこもってんだよ」

「………」

「なあ!!番の顔が見えねえのかよ!!!聞こえてんだろ!!」

「………」


 ―――クソッ…!!


 応えないレオに、ヴァンは頭をかきむしって心の中で悪態をついた。段々腹が立ってきていた。なんなんだ――俺よりずっと強いくせに――立ち向かう勇気があったくせに――


「エリアスは無事なのに!主のお前は引きこもって泣き暮らしてんのかよ!とんだ腑抜けだなァ!?見損なったぞ!」


 ベリーの叱咤を思い出し、ヴァンは胸に熱い何かが込み上げてくるのを感じた。


 ――お前は俺と違って強いだろ!勇敢だっただろ!なんで腑抜けの俺以上に落ち込む必要があるんだ!


 答えないレオの胸ぐらを掴んで、続けた。


「なあ!お前は立ち向かっただろうが!足りなかったのは実力だ、経験だ!お前にはあのとき、あれ以上、なにも出来るわけなかった!」


 レオは微かに唇を噛んだ。やはり聞こえているのだ。


「これじゃ牙なし狼だ。角なし悪魔だ、声なしグリフォンだ!」


 最後の言葉を発した瞬間、レオの瞳が揺れた。ギョロっとヴァンを睨んだかと思うと、次の瞬間、弱っていてもなお鋭いレオの拳がヴァンを吹っ飛ばした。


「エリアスは…!!!」


 その頬にボロボロと涙を零しながら、掠れた声でレオは言った。


「もう、声が、出ない。…出ないんだ!」

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