第17話 宗教的洗礼
「君の限界はもう把握したし、基礎練から始めようか」
いかにも初心者には優しくしますと言わんばかりのセリフから始まったトレーニングメニューは、えげつない内容だった。
「腕立て、三十回。三セットね」
三十回。それは、先程ヴァンがバルガスの指示で腕立てをさせられ潰れた回数だ。それを、三セット。ヴァンは聞き間違いかと硬直した。そこへ、グレイは無言で腹部に蹴りを入れてきた。
「グフッ」
「聞こえなかったの?始めて」
鬼教官であることに違いはないが、グレイは少なくとも理不尽ではなかった。指示に従っていれば暴力は振るわなかったし、規定の回数に届かず崩れ落ちても責めたりはしなかった。 彼は休み休みであっても必ず、規定回数までこなすことを求めた。度々姿勢の注意などもしてくれた。
恐ろしいのは、恐らくこの場にいる新人全ての指導を務めているということだ。
「ルーシー、腕が下がってる。あと二十二回。サボった分一セット追加ね」
「マルコ。いい加減にして。素振りはあと百十回だよね、誤魔化さないでもらえる。面倒くさいから」
その場にいる人間全てにサボりを許さず、姿勢や体力に注視して、適切な指示を与える。なるほど優秀なのだろう。
「も、もう無理です」
「甘えないで。気合いが足りない」
「すみません!」
「声を出しなよ。声を出してないからすぐ泣き言を言うんだ」
しかし、最終的には全てが精神論であることに、段々ヴァンは気づき始めた。
根性。
気合。
やる気。
――嗚呼。ヴァンがこの世で嫌うもの全てが、この訓練場では宗教のように信じられている。
「新人の――ヴァンくん。脚、止まってるよ?」
「ヒッ」
助けてくれ、レオ!!!!
というか、そもそも俺は見舞いに来ただけなのに――
「集中しなよ」
「痛っ!すいません!」
『ついでに鍛えてもらおうと言っていただろう?』
スクワットの途中で、レックスが頭に乗ってきて愉快そうに言った。
「わあ。番が竜なの?すごいね。ウエイトにもなる」
「いや、下りろってバカ、レックス!」
『ふむ』
「ふむじゃなくて!」
レックスは結局、あらゆる基礎訓練で重しとして活躍した。グレイは新兵に喝を入れながらも時折レックスを見ていた。そのときだけは、死んだ魚のような目に少しの輝きが宿る。どうやら竜が好きらしい。
「ヴァン、次が最後ね。もうそろそろ定時だし…」
「ゔ…ういっす」
声も掠れ絶え絶えで、ヴァンは最後のメニューである走り込みに臨む。
――これは本当に地獄のような時間だった。
疲れきった脚に鞭を打って駆け出しても、もつれて転び目標ラインまで到達することすらできないのだ。
「気合、気合だよー」
「吐く…吐く…」
ヴァンは必死になっていて全く気づかなかったが、最後の1本を死に物狂いで終えた時、気付けば周りに新兵はいなくなっており、外はとっぷりと暗くなっていた。
「はあ…新兵が来るといつもこうだ。残業…残業…」
グレイはヴァンに肩を貸してくれたが、訓練を始めた時よりもさらにゲッソリしていた。さすがに申し訳なく思って謝ったが、グレイはこともなげに首を振った。
「気にしなくていいよ。どうせ三十連勤中だし…兵士は休まない方が強くなるって言うし」
いや、言わない。聞いたことがない。
――しかし、バルガスならいかにも言いそうだ。ヴァンはこの教官を心底気の毒に思った。
しかし気遣いの言葉などかけられる余裕も身分もなく、訓練場を出たあたりで意識を失ってしまった。
――――――………
「――は?登録がない?」
「はい、私共は何も聞いておりません」
「ええ…勘弁してよ…」
ヴァンは木製のベンチで目を覚ました。ひどく身体中が痛む。明かりが少なく遠くまでは見えないが、ここは中庭のようだ。目の前には教会のような建物がそびえ立っており、入口に二つ人影がある。
一人はシスターだろうか――もう一人はグレイだ。夜になると、彼の銀色の髪は月光を蓄え美しい。目は死んでいるが。
「あの!」
ヴァンは膝が笑っており立てなかったので、その場で声を張り上げた。グレイはすぐに気付いて駆け寄ってきた。
「君さ、宿舎に登録がないって…新兵なら部屋が用意されるはずなんだけど」
「し、新兵じゃないんです」
「え?」
「新兵じゃないんです!!俺は!!レオの!!お見舞いに来たんです!!!!」
―――やっと言えた。
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