第26話 街を揺るがすアイテム袋
森の縁には、朝露に濡れた草木が広がっていた。
夜を越えて戻った煙と血の匂いがまだ街に漂っているが、セレス達はためらわず一歩を踏み出す。腰に革袋を提げた彼らの表情は、緊張と期待で張り詰めていた。
「……よし、まずは試してみよう」
リオナが前に出て、袋を開いた。
仲間が刈り取った薬草の束を放り込む。ふつうなら背嚢を一杯にする量だ。だが袋は小さく口を開いたまま、重さも増えない。
「……ちゃんと全部入るね」
リリィが目を丸くした。
その隣でガルドが木材や石材を抱え、どさりと袋へ押し込む。重い荷がすべて呑み込まれ、袋は音もなく元の姿に戻る。
「……こりゃすげぇ」
感嘆の声を上げながらも、ガルドは眉をひそめ、額に汗を浮かべた。
「重さは消えても、何か……こう、力を持っていかれる感覚がある」
リオナが頷く。
「分かる。収納するたびに魔力を少し削られるのよ。身体の奥からじわっと抜けていく感じ」
セレスは静かに補足した。
「インベントリは、システムが処理してくれたから負担はゼロだった。でも、今は私たち自身の魔力で空間を維持してる。だから魔力が乏しい人には不向き……逆に、魔法系なら扱いやすい」
そこで試しに、ガルドのアイテムをリオナが受け取る。
彼女が同じように”アイテム袋”に収納しなおすと、負担は格段に軽くなった。
「確かに、私だとこの量でも平気。魔力の自動回復があるから、それでそこそこ補える。ガルドみたいな前衛には少し辛いかもしれないわ」
「俺が持つより、後衛に任せた方が効率的だな」
ガルドは苦笑し、肩をすくめた。
伐採した枝や石を袋へ入れ、試行を繰り返すたび、かつて当然のように享受していた“インベントリ”との違いが浮き彫りになっていく。
「インベントリは容量制限はカテゴリ数のみ、重量ゼロ……夢みたいな機能だったんだな」
カイが枝を拾いながら、懐かしむように呟いた。
「だけど、今は魔力という“燃料”がいる。……便利だが、万能ってわけじゃない」
ヴァレリアは袋の縫い目を指でなぞり、微笑んだ。
「魔力を支払う代わりに、どこでも物資を運べる。倉庫までの往復がなくなるだけで、どれだけ効率が変わるか……」
森の奥からは、鉱石を抱えた冒険者が駆け寄ってくる。
額に汗を浮かべ、息を荒げながらも、その顔には期待が宿っていた。
「鉱石なんて荷車でもないと簡単には持ち帰れなかったのに……この袋なら!」
勢いよく放り込まれた鉱石は、重さを消して袋の口へと消えた。
「これなら、街の修繕に必要な資材を一気に集められる……!」
しかし利点ばかりではなかった。
リオナが袋を抱えたまま1時間ほど歩いた頃、額に汗を浮かべて立ち止まった。
「……ごめん、少し休ませて」
彼女は肩で息をしながら袋を下ろした。
「やっぱり魔力の消費が結構あるね。私の回復速度だと、長時間はじわじわ効いてくる」
セレスが頷き、真剣な表情で仲間を見回す。
「そう。万能じゃない。魔力を扱える人間に持たせて、交代しながら運用するのが現実的かもしれない。……それでも運用方法を間違えなければ、強力な補助になる」
仲間たちは改めて袋を見つめた。
かつて当たり前にあった“インベントリ”を思い出しながら、今の状況で”アイテム袋”がどれほど貴重かを痛感する。
ガルドが深く息を吐き、袋を軽く叩いた。
「この袋があれば、俺たちは街を支える資材を運び出せる、それで今はよしとしようじゃないか」
リオナが微笑み、セレスは静かに目を細めた。
***
”アイテム袋”の試作品を持った採取部隊が街に戻ってきたのは、わずか半日後のことだった。広場に吐き出された資材の山を前に、人々は言葉を失った。
「こ、こんなに……一度の遠征でこれほど持ち帰れるなんて……」
誰かが絞り出した驚愕の声は、瞬く間に周囲へ広がり、やがて街全体を駆け抜けていった。すぐさまギルドの耳にも届き、事態は幹部会議の招集へと繋がっていく。
――ギルド本部会議室。
会議室には、重苦しい空気が漂っていた。
机の中央に置かれたのは、例の“アイテム袋”。質素な革袋に過ぎないはずなのに、場に居合わせた者たちの視線はそこに釘付けになっていた。
「……本当に、こんな小袋に?」
信じられないといった顔で、書記官が袋を持ち上げた。
ガルドが腕を組み、重々しく頷く。
「見ての通りだ。採取部隊が持ち帰った物資は、すべてこの袋ひとつに収まっていた。しかも重量はほとんど感じずにすむ」
「馬鹿な……! 君たちは収納能力を失ったと聞いている。これは……その再現なのか?」
幹部の一人が動揺を隠せず問い詰める。
視線がセレスに集まる中、彼女は静かに口を開いた。
「完全な再現ではありません。この“アイテム袋”の収納には、持ち主の魔力を消費します。万能ではない……ですが、運用次第で運搬能力を大きく底上げできることは、見ての通りです」
説明を受けた幹部たちはざわめき、互いに視線を交わした。
机を囲む空気には、期待と同じだけの警戒が入り混じっていた。
「街全体に行き渡れば、採取効率は何倍にも跳ね上がるぞ」
「だが、これは一体誰が作った? どんな技術だ?」
疑問が次々と飛ぶ中、アルディスが答える。
「魔法と工芸の組み合わせだ。セレスが術式を分解し、俺がそれを縫製して形にした。……今これを作れるのは俺たちだけだと断言しよう」
その声には確固たる誇りが宿っていた。
そして続けざまに、重く現実を突きつける。
「他の誰が真似しようとしても、そう簡単にはいかん。魔法と職人技、その両方を最高水準で理解し、扱えなければな」
幹部たちは互いに顔を見合わせる。やがて、一人が低く呟いた。
「……つまり、これはセレスとアルディスだからこそできたもの。彼らの勢力に属さなければ、手に入らない」
その認識は、やがて抑止力として街全体に浸透していく。
***
その噂は、すぐに大規模クランの耳にも届く。
瓦礫の広間を根城にしていた「鉄鎖旅団」の頭目が、苛立ちを隠さぬ声で部下に問いただした。
「おい、例の袋は本当なのか?」
「はい、頭。採取班が背嚢が空のまま戻り、腰につけた袋一つから山のような資材を出したそうです。……ギルドも現物を確認済みで」
頭目は沈黙し、分厚い腕を組んだ。
「魔法も工芸も最高レベルで扱える奴なんてそうそういねぇ。……つまり、あいつら《神滅》と《神工》の組み合わせが技術を独占しているわけか」
部下たちの顔に緊張が走る。
「頭……もし我々が強引に奪えば――」
「馬鹿言うな」
吐き捨てるような声に、場の空気が一変する。
頭目は唇の端を歪め、低く言い放った。
「奪えるもんなら考えるさ。だがな、“あの力”を持つセレスに逆らえばどうなるか……街中で見ただろう。牙猪を一撃で焼き尽くした、あの魔法を」
部下たちは息を呑み、口を閉ざした。
頭目はしばし沈黙したのち、重く息を吐き出す。
「……それに、あの女はただの破壊者じゃねぇよ。見てりゃ分かるだろ、頭の回る奴だ。自分の立場も、この街の事情も弁えてる。独占なんざ長続きしないと分かってるはずだ。きっとどこかで俺たちにも共有を持ち帰るはずだ。……だからこそ、下手に敵対して奪うなんて真似は愚かってもんだ」
言葉の裏には、彼自身の矜持があった。
鉄鎖旅団の頭目は好戦的な男だが、こんな極限状況で同胞から理不尽に物を奪うほどの無法者ではない。
力は誇示しても、同じ街で生きる者たちを無闇に敵にはしない――その線引きだけは決して見失わなかった。
――セレスとアルディス。
その名は、便利な袋以上に「手を出すな」という暗黙の意味を持ち始めていた。
***
やがてセレスの耳にも、その噂が届く。
街の人々が喜びと恐れをないまぜに囁く声を聞きながら、彼女は胸の奥に複雑な思いを抱いていた。
「生き残るための道具として作ったから……これは、みんなに使ってもらうべきなんだよね」
呟いた声はわずかに揺れていた。
隣で聞いていたアルディスが、苦笑混じりに彼女の肩を叩く。
「道具ってのはいつだってそうだ。力になると同時に、牽制にもなる。だが――悪くねぇだろ。これで、誰も俺たちを軽々しく扱えない」
セレスは目を伏せ、深く息を吐いた。
(力を示すことが、仲間を守る盾になる……。でも、それは同時に責任を背負うことでもある)
焚き火の炎がぱちぱちと弾け、その光がセレスの瞳に揺らめいた。
【あとがき】
今回も最後までお読みいただきありがとうございました!
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