第1章 春、帝都にて (2)祝宴
通商条約調印の日、帝都ノイエンキルヘンの宮殿大広間は、荘厳の光と軽やかな音に満ちていた。壁一面には帝国の歴史をなぞる数多の絵画が並び、無数の燭台の灯りが貴族たちの宝石を煌めかせた。弦楽の調べはその空間に清涼感を加えている。
共和国使節団もその一角に列席していた。アルダンは緊張を隠せず、小さく背筋を硬直させていた。目の前に広がる光景は共和国の貴族社会とは異なるもので、統治体制の違いがその地の文化に色濃く反映されることを教えてくれる。
華美なれども、糸のぴんと張ったような鋭気をまとう大広間。それは、この場にいる者たちの誰もが、表面的な愛想とは裏腹に互いを探り合う視線を交わしているからだった。
アルダンは隣に座る父のユリアヌス卿が、その湿気混じりの視線が絡み合う場を、巧みに避けているのを横目で感心していた。
弦楽が止んだ。
大広間の中央で威厳を競うようにダンスに興じていた者たちが左右に控え、最も大きな扉から皇帝の玉座へと続く道が自然と出来上がる。
扉が開き、無の静寂が訪れた。
威風堂々の皇帝ヨーゼフと、その娘と思しき女性が現れる。
銀糸のような髪を肩に流し、琥珀色の瞳を湛えし皇女――ダリア・アルジナ。十六歳。
アンブライドル帝国の象徴たる血脈を受け継ぐ彼女が歩むたび、衣の裾が仄かに光を反射しする。父とは異なり伏し目がちな無表情に歩く、まるで冷たい月光を浴びた露を纏う夜草のようだった。
清廉で孤高。彼女の周囲には、誰も踏み込めない透明な壁が存在しているかのようだ。
周囲の視線は一斉に彼女に吸い寄せられる。
アルダンもまた息を呑んだ。だが、彼が魅せられたのは、その外見だけではない。
彼女の琥珀色の瞳の奥に、何かを諦めきれないい、苦悶と深い悲しみが宿っているのを感じ取ったからだ。
ダリアは一歩一歩、ゆっくりと玉座に向かって歩を進めていく。彼女の姿は陶器のように硬く、まるでこの広間の華やかさとは無縁であるかのようだった。
その陶白の横顔がアルダンの目の前を通り過ぎる、その一瞬。
アルダンの視線に対してなのか、彼女の瞼が僅かに揺れた。
彼は理解した。彼女もまた、この虚飾の広場で、自分と同じ孤独を感じているのだと。
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