第1章 春、帝都にて (1)使節団に随行す
帝都ノイエンキルヘンの石畳を、薫る春風が軽やかに撫でていった。冬の寒さを耐え抜いた木々は若葉を芽吹かせ、街路樹に植えられた色とりどりの花が楽しそうに擦れ合い、通りに甘い香りを充たしている。帝都の中心部は早朝から賑わいが絶えない。焼き立てのパンを並べる少年、槌の音を響かせる職人、果物を売る老婆。皆の活き活きとした声や音が、街の活気を物語っていた。交易都市として発展したノイエンキルヘンには、アンブライドル帝国の民だけでなく、近隣諸国から多くの商人が行き交う。彼らの服装や言葉は、帝都の街を一層彩る。
その喧騒の中、ライネ共和国からの使節団一行が、人々の好奇の目に晒されながら大通りを進んでいた。先頭を歩くのは共和国軍の士官らしき壮年の男で、いかにも偉丈夫といった佇まいだ。数騎をおいて続くのは、共和国で指折りのの名門出身にして雄弁家として名高いユリアヌス卿の座乗で、中の様子は伺い難い。続いてま線の細さの残る若者の操る黒馬が続き、更に数台の馬車と50ほどの騎兵隊。
帝国貴族らのそれとは違う、質素で重厚感のある装飾や武具らがライネ共和国の文化の一端を物語る。
ユリアヌス卿の座乗車に続く若者は、旅の途中で十六になったばかりだ。背丈はすでに大人と見紛うほどに高く、その体は一見頼りなさげだが、身のこなしは柔らかそうで背筋はぴんとしている。栗色の癖っ毛、透き通る黒色の瞳。その眼差しは、大通りの彼方に見える宮殿よりも、路肩に並ぶ人々の暮らしに向けられていた。
「すごい活気だな」
若者たるアルダン・ユリアヌスは目を丸くして、思わず感嘆の声を漏らした。
隣を歩く護衛役のオスカルが頷く。
「はい。帝都は大陸随一の交易都市ですから。我らの首都ハウゼンと比べても、街の規模が一回りは違います」
「規模の問題じゃない。この熱気だ」
アルダンはそう答えると、足を止めた。彼の目に留まったのは、木屑にまみれて木材を加工する職人たちだった。彼らの顔は油と埃で黒ずんでいたが、その瞳は活き活きと輝いている。彼らが一本の木材から器を削り出す様子を、アルダンは食い入るように見つめた。
「若様、隊列が乱れます」
オスカルは声をかけるが、アルダンは構わずその場に馬を止めたままだ。
「この職人たちは、何のために働いていると思う?」
「さあ……家族を養うため、でしょうか」
「彼らが作っているのは、民が使う器だね。奥の棚にある品物は、どれも手に馴染みそうに工夫されているようだ。民の生活をより良く豊かにするためのもの。彼らの労働は、誰かのためになっている」
アルダンは、父が口癖のように言う『民衆のために益する国であるべし』を思い出し、軽く身震いした。この帝都の街路で肌で感じ取ったものは、書物や演説で聞くものとは全く異なる、生々しく、熱を帯びた感情だった。
「国とは民を食わせるためにある。民の生活を支えるためになら、俺はどんなことにも挑んでやろう」
アルダンの声は、若者とは思えないほどの強い決意に満ちていた。
オスカルは、その優しく静かに見つめていた。ユリアヌス家の嫡子として生まれたアルダンは、幼い頃から経済、流通などに興味を示す変わり者だった。彼の視線は、常に己の足元にある大地に向けられていた。華やかな支配階級の虚飾よりも、市井の人々の暮らしの中に共和国の本質を見出していた。
「道中の各所でも感じたが、……その国の姿は、民の顔を見ればよくわかる」
アルダンは馬首を翻し、使節団を追いかけた。
使節団の帝都訪問の目的は、ライネ共和国とアンブライドル帝国の間で新たに締結される通商条約の調印とその祝賀のため。
だが、アルダンは思う。大陸では2大強国とされる共和国と帝国のみが繁栄を極めるばかりではいけないのだ、と。後に、長き葛藤の元ともなる、固い決意の萌芽だった。
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