第40話 新しい人生



 1秒1秒が長く感じる沈黙で睨み合うテオとエリク。どちらが喋り出すのか固唾を飲んで見守っていると先に口を開いたのはテオだった。


「俺が目覚ましい成長を遂げた……か。確かに俺はフィオルのおかげで強くなれたかもしれない。だが、それも全部泡となってしまったわけだがな」


「強さが消えることはありませんよ。僕たちにとってもテオの努力はずっと尊敬の対象であり、宝物ですから」


「宝物か。フッ、相変わらず綺麗ごとが好きな奴だ。磨いてきた力を悪事に使った悪人だということを忘れたのか? どうしてお前たちはこんな所まで俺を追いかけてきた? 空っぽになった俺に今さら何を望む?」


「罪人だろうと関係ありませんよ。それにテオは空っぽになんかなっていない。確かにテオの罪は消えません。被害者の遺族から一生許されない可能性の方が高いでしょう。それでもテオの心にできた大きな傷をちょっとずつ治すことはできます、償いという形でね」


 真っすぐにテオの幸せを願うエリク。その眩しさが辛かったのかテオは斜め下を向いたまま肩を竦める。


「お前は俺を死なせてくれないのか? 恐らく死罪……軽くても一生牢屋に入れられるほどの大罪を犯した、この俺を」


「ええ、自害なんてさせませんよ。僕たちとフィオルの魂が悲しい思いをするので」


 即答するエリクを前に舌打ちしたテオは剣を遠くに放り投げて両手を上に挙げる……投降のポーズだ。


「とことん不愉快な奴だが、まぁいい。裁判を経てエリクが俺を上回ったのは事実だ。癪だが捕まってやる」


 大きく抵抗されるかと思ったけれど、最後は潔く諦めてくれるみたい。


 戦いにならなくてよかったと胸をなでおろす私。でも、安心できたのは一瞬だけだった。驚くことにエリクも剣を放り投げてしまったからだ。


 言葉を失うテオを前にエリクは要求する。


「僕がテオに勝てたのは……裁判だけです。まだ肝心なところを超えられてはいない」


「肝心なところ? どういうことだ?」


「力でもテオを超えてみせます。フィオルを守りたいと思って努力したのは貴方だけではないですから。そして、これからの先の未来……僕はスミレの為に努力を捧げるつもりです」


「……フッ、負けず嫌いの末っ子ほど面倒くさい奴はいないな。いいだろう。どうせ捕まる身だ、最後に思いきり暴れてやる」


「ええ、本気で喧嘩しましょう。最後の兄弟喧嘩を」


 距離を取り、拳を構える2人。


 普通の女性なら『どうして男は上下を決めたがるの?』『どうして強さに拘るの?』と言って止めに入るのかもしれない。でも、彼らのことをゲームとフィオルの肉体を通して見てきた今、止める気なんて微塵も湧かない。


 意味がなくても怪我をしてでも納得できることが大切なのだと心の底から理解できるから。私にできることはもうなにもない。ただ見届けるだけ。


 テオは氷を、エリクは風を拳に纏って走り出す。2人の殴り合いは威力と速度を除けば子供の戦いそのものだった。


 テオがエリクの足を両腕でロックして押し倒し、倒れたエリクが肘と膝を撃ち込む。


 互いの体力と魔量がなくなってきてからは足が震えてパンチを避けることすらしなくなっていた。互いの顔と拳がどんどんと血に染まっていく。それでも2人は楽しそうだった。私には決して向ける事のない男同士の友情を確かめ合う笑顔を浮かべて。


「ハァハァ……テオにしては随分と泥臭い戦い方じゃないですか?」


「フゥフゥ……人の事を言えた身か? 好きな女の前なのだろう? もう少しスマートに戦ったらどうだ?」


「スマートに戦っていたらテオに勝てませんよ。だから最後は一層泥臭くいかせてもらいます」


 そう宣言するとエリクはまるで剣道のように両手を前に添えた。手元からは細く長い竜巻の長剣が高密度で生成されていた。昔、グスタフがデートの時に見せてくれた岩の大剣を思い出す魔術の剣だ。


 同様にテオもまた両手を構えて氷の長剣を作り出す。2つの剣を見つめたテオは鼻で笑う。


「フッ、まさか最後の衝突が互いにグスタフから教えてもらった技になるとはな。認めたくはないがグスタフは戦闘の天才だ、勝つ為には力を借りなければいけない」


 2人の間に鼓動すら聞こえてきそうな静寂が流れる。10秒以上見つめ合った2人は同時に目をカッと見開いて走り出し……


「いきます!」


「いくぞ!」


 目にも留まらぬすれ違いざまの一閃が交差する。2人が駆けた地面は圧倒的な速度と魔力によって溝を作り、5mほど距離を空けて互いに背を向けていた。


 一閃の後には再び静寂が流れ……倒れたのは…………。


「見事だ……」


 テオだった。


 両膝で立つことすらできず倒れるテオ。心配になった私は慌てて駆け寄る。見た限り腹部に強い一撃をもらったようだけど問題は無さそう。大怪我をしてなくてよかった。


 勝利を収めたエリクもまたテオほどではないにしても一撃をもらったらしく、体力と魔量の消耗で足が震えている。それでも何とかテオの元まで歩み寄ったエリクは片膝をつき、握手を求めて右手を差し出す。



「最後に思いっきり戦ってスッキリしましたか?」


「……負けてスッキリする奴がいると思うか?」


「ええ、思いますよ。貴方の顔を見る限りは」


「フッ、相変わらず不愉快な奴だ」



 強い言葉とは裏腹に満足気な笑みを浮かべたテオはエリクの手を握り返す。遂に戦いは終わったんだ。裁判から殴り合いにまで発展した幼馴染たちの戦いがようやく……。


 2人の握手が解かれた後、私たちの元へボロボロの姿をしたグスタフが駆け寄ってきた。後ろには大汗を掻いているドルフさんの姿もある。どうやらグスタフは宣言通り追手を退けてくれたみたい。礼を言わないと。


「ありがとうグスタフ。貴方のおかげでテオとエリクは全てを曝け出して戦えたよ」


「そうか、体を張った甲斐があったな。と言ってもテオとエリクはもう歩く元気もなさそうだがな」


 テオはともかくエリクも? 不思議に思った私が視線を向けるとグスタフが来て安心したのかエリクは崩れるようにその場で倒れてしまう。エリクの近くに寄って顔色を確認したグスタフは安堵の笑みを浮かべていた。


「まぁテオよりは元気そうだな。1時間程度休めば歩けるようになるだろう。テオのことはドルフさんに運んでもらおう。構わないか、ドルフさん?」


「ええ、勿論です。私は8年前、テオ様に救われた身ですから。テオ様の為に働けることがとても嬉しいです」


 ドルフさんに背負われたテオは何とも言えない表情をエリクとグスタフに向ける。これが外で話せる最後の時だと考えているのかもしれない。そんなテオの気持ちを汲み取ったのかグスタフは親指を立てると……


「またな」


 再会を願う言葉を告げる。言葉を受けたテオは小さく舌打ちを返す。


「“また”なんてある訳ないだろう。大罪を犯した俺なんかに」


「いいや、実現してやる。テオはそこまで悪人じゃないと訴えて、外の世界に出られるようにしてみせるさ。俺たち全員の力でな」


「…………そうか、期待せずに待ってるぞ」


 テオは最後まで彼らしい悪態をつき、私たちの元から去っていった。


 テオの姿が消えるのを見届けたグスタフはエリクの頭を撫でていた。


「よく頑張ったなエリク。お前が勝って止めなければテオは自害していたかもしれないんだからな。きっとテオはエリクと戦ったことで自分を見つめ直すはずだ。今後、刑を終えて外に出ても馬鹿な真似はしないだろうよ」


「褒めてもらって恐縮ですが、大人数を1人で止めたグスタフの方が凄いですよ。テオの強さを超えられてもグスタフはまだ越えられそうにないです」


「……心の強さではとっくに俺を超えてるよ、お前は。それより、エリクとスミレは2人だけで帰れるよな? 俺は先に帰ってるぞ」


 あれ? てっきりこのまま3人で帰るものだと思ってたのに。どういうつもりか分からず首を傾げているとグスタフはエリクには見えないよう私だけにウィンクをしてから背中を向け、去ってしまった。


 もしかしてグスタフは私とエリクが2人きりになれるよう気遣ってくれたのかな? エリクも何となく分かっていたようで気まずそうに私をチラ見した後、鼻の頭を掻いていた。


「余計なお節介ですよ、グスタフ」


 エリクは珍しく頬を染めている。グスタフ、家族、屋敷の者たち、モーズさん、ルーナ様、他にも沢山の人たちが私を支えてくれている。私はなんて幸せ者なのだろう。


 溢れ出る感謝の気持ちとエリクへの愛が抑えきれなくなってしまった私は気が付けば……


「余計なお節介なんかじゃないよ。だって凄く感謝してるもん、私」


 エリクの上半身を起こして抱きしめていた。驚いた表情をみせるエリクを前に私は言葉を続ける。


「ずっと2人きりになりたかったから。エリクにはありったけのありがとうを伝えたかったの」


 私の言葉を受けたエリクは力の無い弱々しい腕で抱きしめ返してくれた。私の右耳が彼の口に触れてしまいそうな距離でエリクは想いを語る。


「感謝したいのはこちらの方ですよ。僕がフィオルの死を受け入れられたのはスミレが頑張ってフィオルのフリをしてくれたおかげですから」


「私のおかげ? どういうこと?」


「見た目はフィオルだけれど細部が違うスミレと接し続けたことで僕の中の違和感は少しずつ膨らんでいきました。逆に言えば別れのショックを段階的に受け入れることができたとも言えます。もしも、いきなりフィオルが亡くなった事実を突きつけられていれば僕もテオと同じように心が壊れていたかもしれません」


 フィオルのフリを続けていた過去はずっと私の罪悪感を肥大化させていたけれど、エリクに礼を言ってもらえたことで心の重しが無くなったような気がする。


 私の頑張りは無駄じゃなかったんだ……エリクの役に立てて胸が熱くなってくるのを感じる。


 喜びを噛みしめているとエリクはハグを解き、至近距離で私の瞳を見つめる。


「改めて言わせてください。フィオルの人生の続きを生きてくれてありがとう、と。そして、これから先の未来はスミレが望む人生を歩んでください。周りの事は気にせず、スミレが思うままの人生を」


 周りの事を気にせず……か。思えば転生以後、ずっとフィオルとパパ・ママ、そして仲間たちを悲しませない事ばかり考えて生きてきたかも。


 今日から本当の意味でスミレとしての人生が始まるのかもしれない。それでも、私の望みは昨日までと変わらない。だって私は……


「私の望む人生をエリクは隣で歩いてくれる?」


「ええ、もちろんです。僕はスミレを愛してますから」


 エリクからの告白は初めてではないけれど、今が1番嬉しい。


 もう言葉だけでは彼への愛は伝えられない。2つの世界で愛した彼の瞳と唇を私は交互に見つめる。呼応するようにエリクの視線もまた落ち着きなく私の目と唇を行き来している。


 それでもエリクは最後には覚悟を決めたように真っ直ぐに私を見据えていた。


 頬にかすかな赤みを帯びたその目は不器用ながらも真剣で、子供のような誠実さがあふれている。


「スミレ……」


 大好きな彼の唇が徐々に近づいてくる。夢にまで見たシチュエーションは張り裂けそうな程に鼓動を早める。全てを彼に委ねよう。そう決心して目を瞑った直後、私の胸に重たい何かが押しかかる。


「え?」


 驚いた私が目を開けると力の抜けたエリクの上半身が私に寄りかかっていた。忘れかけていたけどエリクは激闘を終えた後だった。私が慌ててエリクの頭を膝枕の形で寝かせると彼は自嘲気味に謝る。


「ははっ、流石に体力の限界がきてしまったみたいです。もう全く体に力が入らないし、瞼も重い。やっと恋人らしいことができると思ったのに」


「エリク……」


 本当に神様は意地悪だ、と一瞬思ったけれど本当にそうなのかな?


 エリクは私の為に死ぬ気で情報を集めて、論戦に勝利し、立てなくなるまで戦って、最後には勇気を持ってキスをしてくれようとしていた。これ以上無いほどに頑張ってくれた彼に守られてばかりの私にできることは何? 私がありったけの想いを伝えるには私自身が勇気を持たなきゃいけないよね?


「エリク……大好きだよ……」


 気が付けば私は世界で1番素敵な彼に唇を重ねていた。


 何秒唇を重ねていたのか、どんな感触だったのか、必死過ぎて何も覚えていないけれど想いだけは伝えられたと思う。


 傍から見れば肉体的に弱っている彼への一方的なキスかもしれないけれど後悔はない。だってエリクは心から愛に満ちた笑顔を返してくれたから。


「ありがとう。愛してるよ、スミレ」


 敬語の抜けた愛の呟きを経て、エリクは意識を失ってしまう。


 キスで目覚める童話はあるけれど、まさかキスの後に眠ってしまうなんて。でも、大好きなエリクが全てを出し切って眠る姿は凄く愛おしい。瞼の裏に刻まれるほどに。


 エリクが起きたら何を話そうかな? 将来について語り合おうかな? 膝の上で眠る彼に2度目のキスをした私は未来を夢想する。フィオルに託され、家族と仲間に守られたスミレとしてのこれからを。



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