第34話 母娘(ドルフ視点)
フィオルお嬢様、改めスミレ様が捕まってから7日後の昼下がり――――執事の私は奥様であるブリジット様と共にスミレ様のいる留置所を訪れていた。
私は警護兵に監視されながら鉄柵の向こう側にいる青白い顔のスミレ様に声を掛ける。
「お久しぶりです、フィオル様。お体の方は大丈夫でしょうか?」
「ドルフさん……それにお母様……いえ、ブリジットさんまで。面会に来てくれてありがとうございます。ところで、その、どうしてドルフさんは偽物である私のことを未だにフィオル様と呼ぶのですか?」
「貴女は本物のフィオル様を見事に真似ていました。まるで憧れているかのように。私はクワトロ家を愛してくれる者には敬意を払いたいと思っています。ですので、敢えて本物のお嬢様と同じ扱いをさせてもらいました」
アナイン病から目覚めて以降、転生者である彼女と接してきた私には分かる、スミレ様は本当に素晴らしい人間だと。加えて先日、エリク様やグスタフ様から教えてもらったスミレ様の行動・考え、人間像も素晴らしかった。敬意を払わないわけがない。
それでも目の前の彼女は首を横に振り、ぎこちない笑顔を浮かべる。
「ありがとう。でも、やっぱり私のことはスミレと呼んでください。ドルフさんが罪人スミレに加担していると周りに思われてしまったら危険だから」
こんな状況でも使用人である私の身を案じてくださるとは。スミレ様にフィオルお嬢様の影が重なる。ここはスミレ様に気を遣わせない為にも従わなければ。
「分かりました。では、これからはスミレ様と呼ばせていただきます。ところで話は変わりますが、現状の我々について話させてください。今のところエリク様とグスタフ様が裁判に向けて懸命に動いています。エリク様曰く、勝算は充分にあるから安心して欲しい、とのことです」
「よかった……」
ホッと胸をなでおろしたスミレ様の顔色が少し良くなった気がする。その後も私は細かな状況を伝えつつ、彼女を元気づける為に冗談を言いながら会話を交わした。
思っていたよりもスミレ様が元気そうで何よりだ。だが、一方で気にかかることもある。それはブリジット様の様子だ。ブリジット様は留置所に来てからまだ一言も発していない。
当然、スミレ様も気にかかっていたようで横目でブリジット様の顔をチラチラと確認してから体を正面に向けて声を掛ける。
「ブリジットさん。やはり……その、私のことが許せませんか?」
「…………立花スミレさん……私は……」
距離のあるフルネーム呼びをするブリジット様。しかし、ブリジット様が怒りや敵意を乗せてフルネーム呼びしたわけではないことぐらい私には分かる。視線を伏せ、口元をぎゅっと結び、頬がわずかに強ばっているからだ。
長い沈黙を経てブリジット様は思いを語る。
「私はこれからどう生きればいいのか分からないの。娘を失い、娘と気付かずにスミレさんと接していた自分の過去に耐えられそうにないわ……」
「ブリジットさん……ごめんなさい……私のせいで」
スミレ様は今にも涙を零しそうなほどに目を潤ませている。そんな彼女の瞳を見つめたブリジット様は眉尻を下げたまま首を横に振る。
「スミレさんのせいじゃないわ。だってエリクやグスタフから貴女が素晴らしい人で、悪意なんて微塵もないと散々聞いたんだもの。それに魂となったフィオルがスミレを心から認めていることも教えてもらったわ。だから貴女を娘だと認められなかったとしても、せめてフィオルの友人として認めなきゃいけないって、理屈では分かっているの。でも……」
先に涙を落としたのはブリジット様だった。相反する心の負荷に耐えられなくなったのだろう。そんなブリジット様を見つめながらスミレ様は涙を堪え、鉄柵の隙間から両手を伸ばしてブリジット様の手を握る。
「認めるとか、認めなきゃいけない、とか深く考えなくて大丈夫です。ブリジットさんの思うままにしてくれればいいんです。ただ1つだけ言わせてください。今日も含めて、これまで偽物の私を大事にしてくださり、ありがとうございました」
『今日も含めて』という言葉にブリジット様の葛藤を汲んでいるのが伝わってくる。スミレ様は本当に優しい人だ。
ブリジット様は小さく頷き手を離す。今は心の整理がつかないかもしれないけれど、いつかは迷いなくブリジット様らしい選択ができると私は信じている。
――――時間だ、移送を始めるぞ。
警護兵の無慈悲な声が廊下に響く。今日からスミレ様はキノリス王国の牢屋へと移送させられることとなっている。ブリジット様が留置所に来たのも保護者として書類に確認の押印を済ませる目的があったからだ。
鉄柵が開き、地上への階段を上った我々は留置所の外に移動する。入口から少し離れたところには移送用の馬車が待機していた。
スミレ様の身柄が留置所の警護兵から移送係を務める中年の男性兵に渡される。その時、人相の悪い移送係がスミレ様の腕を必要以上に強く握り、強引に引っ張った。
「おらっ! さっさとこい!」
「痛ッ!」
罪人は人に非ずと言わんばかりの態度をとる移送係。私は堪忍袋の緒が切れそうだった。しかし、私以上に怒っていた人がいた、ブリジット様だ。
ブリジット様は「何するのよ!」と怒号をあげて、移送係の手を掴み、爪を立てる。
「ぐあっ! このアマ……」
汚い言葉を吐いた移送係は鋭く射抜くような視線をブリジット様に向け、拳を振り上げる。
「貴族だからと調子に乗るなよ? 俺はキノリス王国の人間なんだ。ここからは正当防衛扱いとさせてもらうぞ!」
マズい……すぐに止めなければ。腰を落とした私は足裏に力を込める。だが、ここで信じられない事態が起こる。
「ママから離れてッ!」
スミレ様の魔力を練った手から背より高い円柱状の水が放出されて移送係を押し流してしまったのだ。加えて、流れた水は移送係を巻き込んだまま上昇すると瞬時に花の形へと変わると、そのまま氷化し、移送係の膝から下が氷に埋もれていた。
「ヒィィ! な、何だよ、この魔術は!」
移送係が驚くのも無理はない。氷の高さは3階建ての建物に匹敵するほど大きく、放出した大量の水を瞬時に凍らせる魔術なんて見たことが無い。
フィオル様は子供の頃から魔術に長けていたけれど、明らかにフィオル様のレベルを超えている。フィオル様よりもずっと魔術が苦手だったスミレ様が一体何故?
ただただ絶句することしかできない私とは違い、何か気付いたブリジット様はスミレ様に駆け寄る。
「あの氷の花の形……アレはミーミル・トレニアよね? どうしてスミレさんが『あの時の魔術』を? フィオルから幼少期の話を聞いたとでも言うの? それに私のことをママって……」
「え? どういうことですか? 私はただブリジットさんを助けたくて無我夢中で魔術を放っただけで……。それにママなんて呼んだ覚えは……」
フィオル様の幼少期と言えば印象深いエピソードがある。元々、ミーミル・トレニアはやや小ぶりな水色の花でブリジット様が大好きな花だ。しかし、ミーミル・トレニアには強い花粉が含まれており、体質的に苦手なブリジット様は家に飾ることを諦められていた。
しかし、好きな花を植えられないブリジット様をフィオル様は放ってはおけなかった。なんとフィオル様は器用に魔力を練り込み、氷でできたミーミル・トレニアを庭へ具現化してみせたのだ。あの時の季節はちょうど冬で、窓から眺められる雪像のようなプレゼントにブリジット様は大変喜ばれていた。
しかし、氷の花をプレゼントしていたのはフィオル様が9歳前後の頃のはずだ。スミレ様の体験された異界の遊具でもフィオル様の幼少期……ましてやブリジット様とのささやかなエピソードには触れられていないはずなのに。強大な魔力のことも含めて気になるところだ。
思えばシレーヌ行きの船の中でもスミレ様は突然力を開花させた。転生者ならではの進化があるのだろうか? それともフィオル様の魂がこっそり背中を押しているのだろうか?
考えがまとまらないまま移送係は腕で氷を叩き割って地面に降り立った。そんな彼の目にはスミレ様への恐怖が宿っている。
スミレ様は氷塊を消失させると簡素に「行ってきます」とだけ告げて、移送馬車に乗り込み去っていった。
私とブリジット様はただただ困惑することしかできなかった。すると私の後方から誰かの足音が近づいてきて振り返ると、そこにはエリク様が立っていた。
エリク様は出会い頭に頭を下げると、ここにいる理由を語る。
「すみませんが、屋内と屋外の両方で盗み聞きさせてもらいました。裁判の主力となる僕が現れると良くも悪くもスミレを刺激してしまうと思い、話しかけられなかったのです。それに家族の時間も邪魔したくなかったので」
エリク様の言葉を受けたブリジット様は「家族……」と小さく確かめるように呟いていた。ブリジット様の心中が複雑であることを理解したうえでエリク様は懇願する。
「さっきの魔術もそうですが、スミレは少しずつフィオルを取りこんでいる節があります。もしかしたら魔術だけでなく思い出も吸収されていくのかもしれません。もし、この仮説が正しければブリジットさんは今後スミレにどう接していきますか?」
「…………」
「答えにくいことを聞いてすいません。ただ、僕からお願いしたいことがあるのです。スミレをフィオル扱いしろとは言いません。ですが、フィオルを大切に扱ってくれた1人の女性として助けてあげることはできないでしょうか?」
「助ける?」
「ええ、これから先の裁判でブリジットさんとホフマンさんが味方してくれれば僕とスミレはもちろん、フィオルも喜ぶと思うのです」
「フィオルも……」
エリク様の言葉を受けたブリジット様が何を考えているのか私には分からない。たた、これまで怯え、泳いでいたブリジット様の視線が一点に定まっている。私の経験から察するに少しだけ迷いが消えたように見える。
ブリジット様は“はい”とも“いいえ”とも答えず留置所から去っていった。答えは聞けなかったけれど、きっと悪いようにはならないと思う。
留置所入口に2人だけが残る状況になったところでエリク様は……
「裁判に向けて色々と有益な情報が手に入り、良い作戦も思いつきました。テオたちがどんな手を使ってこようとも必ず勝ってみせます。だから安心して見守っていてくださいね、ドルフさん」
力強い断言を残し、去っていった。
昔のエリク様はグスタフ様やテオ様と比べるとどうしても頼りない印象だったけれど、今は本当に逞しくなられた。
今の彼ならきっと守ってくれるだろう、スミレ様の命を。そして、共に築き上げてくれるだろう、スミレ様との未来を。
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