第50話

 私は部屋を飛び出した。

 通話を切るとスマホをポケットに滑らせる。

 

 見送りの際着替えたから、このままで問題ない。

 

 階段を駆け降りる。

 

「なぁに今の音?」

 

 ダイニングから姉が出てくるところだった。

 ちょうどいい。

 

「お姉ちゃん、メット借りるよ!」

「え、ちょっと!」

 

 今日はズボラでありがと。

 

 玄関の棚からヘルメットを引っ掴み、蹴るように靴を通して、玄関を出る。

 三月のまだ冷たさが残る空気が私を迎えた。

 

「フン……いい装備してんじゃん」

 

 長谷川はコンコンと自分のヘルメットをノックした。

 

「あんたもな。長谷川、お願い!」

「任せろやぁッ!」

 

 私を後ろに乗せてタンデム状態になったバイクは爆発のような雄叫びを上げて走り出した。

 

「ててててか、ここ住宅街だから! 静かに!」

 

 バイクの響動どよみに負けじと大声を張り上げる。

 

「許せ! んなこと言ってる場合か!」

「確かにそうなんだけど」

 

 街の皆さんごめんなさい。

 

「んなことよりしっかり掴まってろ。落ちるなよ!」

「落ちるような運転しないで!」

 

 長谷川のお腹をぎゅっと抱き締めて前傾姿勢をとる。まずは邪魔にならないようにしなければ。

 バイクは住宅街を抜けて国道へ。片側三車線の道路をできるだけ迷惑かけないように、縫って進む。

 

「ウチが調べた感じ次の快速にぴったし乗れれば少しは早く行ける。浜松町まで行って羽田第二ターミナルに向かえ! ANAだ」

「間に合うの⁉︎」

「余裕持って空港行くっつってた。だから手荷物検査通る前に会えることを祈れ!」

「んな無計画な!」

「こんなときに計画もへったくれもないだろ! 見つけろ!」

 

 そりゃそうだけどさ!

 

「駅までは確実に届けてやる。あとはお前次第だ」

「分かった! でも法定速度守ってよ!」

「プラス10キロくらいは皆やってるぞ!」

「それでも守って!」

「わぁーった!」

 

 そっちは慣れてるかもだけど私は怖いんだ! 捕まったらどうする!

 

 テレビで見るスポーツカーみたいな速さですれ違う対向車。景色もあっという間。勢いで乗っかってしまったバイクだけど、車と違って生身を晒してこのスピードは怖過ぎる。風が服の隙間を走って後ろに消えていくのが寒い。これが気持ちいいなんて私は無理だ。

 

「後ろに乗せてるの、茜だと思って安全運転して!」

 

 これくらい言えば効くだろ。

 

 そう思って投げかけた言葉だった。

 しかし。

 

「あ゛?」

 

 あ、また私なんかやっちゃいました?

 

「茜のためタンデムの準備して……楽しいデート夢見てたのに……」

 

 まっずい。

 

「誰かさんに負けちまったからもうできねぇんだよッ! くそがァッ!」

「うわあああ! スピード上げるなああああ!」

 

 あ、死んだかも。

 

 走馬灯を瞼の裏で見つつ爆進し、幸い命を落とすことなく最寄駅に到着した。絶叫無理なのにジェットコースターを連れ回された人みたいな面持ちでバイクから降りる。膝がすんごい勢いで笑ってる。

 

 もう二度と乗らん。

 

「おい、紫水」

「なに……っと」

 

 顔面に飛んできたなにかをすんでのところで捕まえる。それはパスケースだった。

 

「私のsuica。お前財布持ってないだろ」

「あぁ……」

 

 駅を前にようやく自分の所持金がゼロなことに気づいた。

 

「行って帰ってこれる分は入ってるはずだから。あとメットは預かる。荷物になるだろ」

「あ、ありがと。でも……」

「安心しろ。この私がバイク用品をぞんざいにするわけないから」

「いや、違くて……どうして私にそんなに優しくするの? 私はあんたにとっての恋敵こいがたきなのに」

 

 姉のヘルメットを手渡しながら訪ねる。グローブを外したその手にはもう包帯は無かった。

 

「さっきも言ったろ。この世で茜を一番笑わせられるやつは、お前しか知らん。私この前茜に告ったんだよ。まぁ見事に振られたんだけど、あいつ、振った私の前で紫水の惚気のろけしやがんの。ずぅーっと」

 

 ついこの間の放課後のことに違いない。しかしその惚気とやらは聞いていないので、私が立ち去った後だろうか。

 苦笑混じりに語る長谷川はすっきりと心の整理がついているようだった。

 

「とんでもねぇけどさ、あの嬉しそうな顔見て思ったんだ。やっぱ私じゃ足んねぇんだなって。負けだとも思った。私じゃあの向日葵ひまわりみたいな満開の顔はさせられねぇ。だったらお前に託す。好きな人にはずっとマジな笑顔でいて欲しいから」

「なるほどね」 

「勘違いすんじゃねぇよ。お前のためじゃない。茜のためだ」

「……分かった」

 

 なんだこいつ、かっこいいじゃないか。

 

『まもなく一番線に——』

 

 駅構内の電車到着のアナウンスがここまで聞こえてきた。

 

「ほら急げ。茜にちゃんと伝えてこい」

 

 私の背中をバシッと叩く。

 

「うん。このお礼は……」

「料理教えろ。忘れてんなよ」

「……ああ、絶対」

 

 走り出す。振り返らずに。

 階段を駆け、改札をくぐり、今度は階段を降りてホームへ。

 水色のラインが入った電車が停まっている。

 

 快速、これだな。

 

 ♫〜〜〜♩

 

 発車のメロディが終わる寸前に滑り込んだ。

 

「っはぁ……!」

 

 体育も終わったっていうのに、こんな走るはめになるなんて。

 

 体力が無い己を恨みながら車内のディスプレイを見上げる。このまま京浜東北線で浜松町駅まで直通だ。

 

 っと、ケータイケータイ。

 

 とりあえず茜に連絡を入れよう。

 しかしここで重大なミスをしていることに気づく。

 

「はっ、充電……!」

 

 昨日のゴタゴタで充電コードを挿すのを忘れていたらしい。

 残り1%。

 

 頼む、もってくれ。

 

 そう祈りながらLINEを起動。

 

『茜、今から会いに』

「……っはああああ」

 

 憎々しく息を吐く。

 切れた。

 送る前に。

 

 くっそ。

 

 こうなってしまってはどうしようもない。急いで行って急いで探す。己の脚と目だけが頼りだ。電車の中はただ固唾かたずを飲んで待つだけ。

 長谷川が茜を見送って5分後に駅を出たと仮定。駅から私の家まで10分。折り返しで10分。茜とはだいたい合計25分の差。

 

 間に合うはず……間に合う。間に合え。

 

 浜松町駅に着くといの一番でドアから出た。人混みの中天井を見上げて目当ての案内を探す。

 

 東京モノレールは……!

 

 紺色の表示を見つけて走った。

 

 よっしゃ! 次は区間快速。

 

 今だけは神とやらを信じよう。

 私は一本目の待機列に並んで、感謝を捧げた。

 ここで区間快速をゲットできたのはアドバンテージになるはず。しかし茜が同じ車種もしくは空港快速に乗っていたら、あまり差は埋まらない。

 車両に乗って再び待ち時間。なにもできないこの時間がもどかしい。

 

 着いた……!

 

 駅を出ると、各所の案内を確認しつつ今度は長いエスカレーターに乗る。このまま国内線の出発ロビーへ。

 

 あぁ、やっぱ広いな。

 

 登りきると、右を向き左を向き、周囲を見回す。

 専用のカウンターがあるにしても大手航空会社だとその数が多い。そしてカウンターから行ける保安検査場も多い。

 

 ここのどっかに茜がいる。

 

 だけど見当はつかない。

 おまけに三月だからか、人で埋まっており、肩がぶつかりそうだ。引越しや旅行客がごまんといる。砂の中から針を探すくらいなのに、そもそも検査場を通過していたら姿を見ることさえ叶わない。はっきり言って無謀だ。

 

 それでもやるしかないだろ!

 

 手始めに最も端のカウンターと検査場に行く。そこから反対側にローラーする作戦だ。

 

「すみません、すみません!」

 

 ごった返す中をキョロキョロしていると何度もぶつかりそうになって不満を浮かべられ、その度に精神がすり減るが諦めない。

 

「茜……」

 

 検査場A……いない。

 

 フライトの時刻表が目につく。

 

 関西行くって言ってたから……関西空港行きか⁉︎

 

 出発時刻は40分後。手荷物検査を終えてても不思議ではない。余裕を持ちたい私と同じだったら終えてる。

 

 検査場B……いないッ。

 

 中央の吹き抜けを越えて逆へ。

 目を凝らして、休むことなく脚を動かす。

 

 今頃、さっき探してたところに茜が来てたら、どうしよう。

 うるさい、たらればはいい。探せ!

 

 弱気になる自分を叱咤しったして、無数にある人の顔と姿をスキャンし続ける。

 

 違う、違う、違う。あの人……違う。

 

 検査場C……いない……。

 

「……っ! 茜!」

「はい……?」

「ご、ごめんなさい、人違いでした。すみません」

 

 駆け寄った相手が別人であることに気づき、言い終わる前にきびすを返す。

 

 どこ……どこにいるの?

 

 果たして私は最初とは真反対の位置まで来てしまった。

 時計台の元で立ち尽くす。

 

 検査場Dも……。

 

「はぁ、はぁ、いない……」

 

 いない。

 どこにも。

 もう通ったのか。それだったらもう……。

 くそ、もう一回逆から——。

 

 

「まりー?」

 

 

「っ……!」

 

 背後からの呼び声。

 幾度どなく呼ばれたその声。

 ゆっくり、ゆっくり、振り向いた。

 その輪郭がぼやける。

 

「やっぱりまりーだ! どうし——」

「茜ッ!」

「うわぁ!」

 

 メガネを振り外して飛びつく。

 そして全身をもって茜の細い体に抱きついた。

 

「よかった……! 会えた! 茜……茜……!」

「どどどうしたの⁉︎ なんでここに」

「うっ、うっ、いよいよあっだの《いろいろあったの》……!」

「はわわ、泣かないで。大丈夫、茜ちゃんだよ」

 

 感情が昂り過ぎて涙が止まらない。

 声も顔もぐちゃぐちゃになっちゃう。

 

「もう……いきなり来て、いきなり泣いちゃうなんて」

 

 茜は私を包み返してくれた。

 たった数時間ぶりに過ぎないのに、何年ぶりかのような懐かしさに心も体も委ねる。

 

「茜……! っく、うっ」

 

 時間がない。落ち着いて話したいけれど、しゃっくりのような泣き声ばかりで言葉がつむげない。

 

「どうしたのか……ゆっくりでいいから私に教えて?」

 

 そんな私に茜はそう語りかけた。

 

「っ、わたひ《わたし》、伝えなきゃいけないこと、いっぱいあるの……。だけど一番伝えたいこと……」

 

 私は顔を上げ、茜の双眸そうぼうを見つめた。

 

「茜の恋人になりたい!」

「……いいの?」

「うん……茜のことちゃんと好きだから、いろんなこと考えちゃって……一人で勝手に諦めてた。でも本心は大好きだから! 正直に生きたい! なに言ってんだって、都合がいいとか思われるかもだけど……昨日の告白、今からOKしてもいい?」

「……っ、もちろん!」

 

 茜も泣いていた。

 ところ構わず、人の目も気にせず、私達はお互いの存在を包み込んで泣いた。

 声も。

 姿も。

 体も。

 香りも。

 全てが愛おしくて。

 大切な存在。

 遠回りして、やっと辿り着いた大切な存在。

 時間の許す限りそうしていた。

 

「……じゃあ行くね?」

「うん、また後で。行ってらっしゃい」

「行ってきます!」

「茜!」

 

 愛しの人に唇を重ねた。

 私からだ。

 

「……⁉︎ まりーからしてくれるなんて……」

 

 茜は信じ難いものに出会ったかのように、私を見つめた。

 私だって内心恥ずかしいし、人前でするべきじゃないと思うけど。

 今回は特別。

 

「いいでしょ、私からしたって。恋人見送るんだから」

「ふふ、そうだね。この上ないお見送りありがと」

「こういうときさ、愛情とか願いとか、言葉じゃ伝え切れないことを真っ直ぐ届けられるからさ」



「キスってよくない?」

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