第31話

 そしてその雌雄を決する学年末テストが今日の帰りのホームルームで返されるというわけだ。

 私が勝つことは必定であり、運命であり、宇宙の心理なのだからこれを喜ばずにいられようか。ここ数年はテスト結果なんて変わり映えしない数字しか列記していなくてしょうもなかった。だけど今日のテスト結果は、自らの答えに得点をつけられ、いい点数をとることにやりがいを見出し始めた小学生の頃以来の期待だ。いつもと同じような数字だとしても、それが持つ意味は歴然と違う。

 

「ぁ……」

 

 教室へと通じる廊下で担任の池田先生とばったりでくわす。

 いつも思うのだが廊下で担任教師と遭遇したときの対応はなにが正解なのだろうか。挨拶は朝のホームルームで既に済ましてあるわけでそう何度もするのも堅苦しいし、無反応決め込むのも不躾ぶしつけな気がする。というか失礼だ。

 結局私は数度くらいのごくごく小さな角度で会釈するしか他なかった。

 

「紫水さん」

 

 すると先生は軽い笑みともに私を呼び止めた。

 

「……? はい」

「テスト結果すごかったぞ。まさに前人未到って感じだな」

「え?」

 

 それはつまり?

 

「私の結果、すこぶるいいんですか?」

「そりゃあね。我が目を疑ったよ。コロンブスのアメリカ大陸発見に比肩する日だね今日は」

 

 おいおいおいおい。

 

「結果待っててな」

 

 そう残すと、池田先生は帰りの雰囲気騒がしい教室に入っていった。

 

 おいおいおいおいおいおいおいおいおい。

 

 これはもう勝ち確定じゃないか! 先生があそこまで驚く程の高得点を叩き出したのだからもう勝利でしょ! 来た! 解放! 自由!

 

 手をギュッと握り、発声できない歓声を胃に飲み込む。

 そうして先生に続いて教室に飛び込むと窓側には既に茜の姿がある。席替えで新しくなった廊下側の自分の席は素通りして茜の机へ。

 

「ん。まりー」

「……(雅笑みやびわらい)」

 

 ひらひら。

 なにも言わず、ただ皇族のようにやんごとなく手を振り、ぐるりと教室を巡って席に戻った。

 

「よぉし、席につけー」

 

 間もなく池田先生が教壇に立った。

 

「帰りのホームルーム。テスト結果返すぞー」

「「「えー」」」

「なんでお前らはいつも嘆くんだよ。並べー」

 

 あーワクワクする。

 

 テスト結果でワクワクなんて本当に久しぶりだ。歳を重ねるごとにこの高揚感を感じられなくなってしまった私だが、今の一時にはある種のノスタルジーを覚え、なんだか昔に戻ったような感覚だ。

 

「はい、紫水さん」

「ありがとうございます……!」

 

 受け取った紙切れ。しかし今までとは違う紙切れ。大切に胸に抱えて戻る。だが中身を楽しむのはもう少しお預け。茜との事前の取り決めで、開けるのはホームルーム終了後にいっせーのだ。

 

「まぁ模試と違ってレベルは学校単位だけども、今回の結果を反省して三年生の勉強頑張れよな。来年受験なんだから」

「「「えー」」」

「じゃあ留年」

「「「えー」」」

「なんなんだよ。はい解散!」

「「「えーい!」」」

 

 皆に習って私も席を立った。つま先の方向にはもちろん茜。

 

「来たよ」

「いよいよだねーワクワクだね」

「あぁ全くだよ」

 

 足を組みふんぞり返ってどっかり座る姿はまさしく革命の末これから処刑を伝えられる女王のそれ。先生との会話を経て、私だけは圧倒的勝利を知ってしまっているから、無邪気な茜の姿は哀れだ。なにも知らない無垢な微笑み。それが今から崩壊する。

 

 あぁごめんねぇ、強くてさぁ!

 

「確認しとくけど、比較対象は二人が受けてる授業ね。私は地学受けてないしあんたは数Bやってないでしょ」

「おっけー。ほんとに合計点数じゃなくてよかったー」

 

 はは、どっちでも同じだよ。

 

「じゃあ見よっか! 覚悟はいい?」

「そっくりそのまま」

「「いっせーの」」

 

 机上に約束された私達の未来が今示された。


   現代文 :98   2

   古典  :100  4

   数学II :96   0

   英語  :100 6

   生物  :98   1

   化学基礎:100  2

   現代社会:99   0

   地理B :99   100


「はああああああああっ⁉︎」

 

 私は学校生活史上出したこともないような声で椅子を蹴り、手のひらをバァンと打ちつけた。やかましかった放課後の教室が水を打ったように静まり返る。

 

「やったやった! いぇい!」

 

 森閑しんかんの中聞こえるのは、茜のこの上ない歓声だけだった。

 

「は⁉︎ 嘘だ⁉︎ なぜ⁉︎」

 

 私は軽いパニックに陥って、のけぞるように頭を抑えた。

 

 どういうことだ⁉︎ 信じられない。

 

 しかしいくら疑念を持って、くしゃつくほど結果の紙を握って見つめても、その数字はほんの少しも変わらない。地理Bで私が99点、茜が100点という認め難い結果はあり続けた。

 

「勝てた♪ 勝てた♪ いぇいいぇい!」

 

 私が負けた……? 入学以来全ての教科で学年1位を修め続けたこの私が。

 なぜ茜は私に勝てた? 今までの成績もお察しの通りの茜に。

 

 眼前の現実に歯を食いしばって悶えながら、茜の勝利と私の敗北の理由を探る。私の今までの努力と結果を思い出して、茜の勉強に対する態度を思い出して、あの日の私の回答を思い出して。

 そこでピキーンと一つの考えが浮かんだ。

 

 まさか……不正……?

 

「あー、紫水さん」

 

 私の思考を中断させたのは池田先生だった。

 

「紫水さんにはちゃんと伝えておくけど、今回の小榑さんの成績は彼女自身が努力して掴んだものだから、そこは間違えないように」

 

 なん……だと……?

 

「ここ最近、小榑さんってば放課後はずっと私のとこに来てたんだ。まりーに勝ちたいので補講してください! って」

「あ、先生! それ言わないつもりだったのに!」

「だって紫水さんがものすごい形相で睨みつけてたんだもん。結果だけみたら、誰だってよからぬことしたって考えちゃうよ。小榑さんの今までが……ねぇ」

「ひどい!」

「事実」

「うぅ……」

 

 最近放課後一緒にいられなかったのは、一人で課外を受けに行ってたから……。

 

「そう……だったんですか」

 

 ぽつりと呟く。

 先生からそう証言されてしまうと私は声の上げようがない。

 茜は正当な努力をして、競い、勝った。

 

 また私は茜を知らなかった……。

 

 何度目だろうか。こんな気持ちも。

 

「だからこの点数は小榑さんの努力の成果だから紫水さんも認めてあげてね。悔しいっていう気持ちも分かるけど」

「認めてあげてね!」

「して小榑さん。この他の教科について弁解は?」

「〜♫」

 

 茜は知らないと言わんばかりに口笛を吹いた。

 

「えー他の先生の報告によるとここ数日の課題の提出率が非常に悪い。そして黙認していたが授業中に地理の勉強をしていたというのもちらほら」

「バレてたの⁉︎」

「認めたね」

「あ」

 

 このやらかし、デジャヴ。

 

「いや、まりーに勝つにはもう他の教科捨てて一点突破しかないなと思いまして。賭け事してたんすよ賭け事。勝ったほうが〜みたいな。それでしたらこの作戦しかないでしょ? 先生。そう思いません? いや思う! 反語形!」

 

 なるほど。物語でよく見る命乞いみたいによく口が回る。

 

「ふむ。その発想と実行して結果を残したという点は素直に称賛に値する」

「ですよね!」

「それはそれ。地理以外全部補習な」

「どぅぁぁああああああああぁぁぁ……!」

 

 私に代わり今度は茜が頭を抱える番だった。糸が切れたマリオネットのように机に伏して動かなくなる。

 

「ふっ」

 

 とてつもなく普段通りで解釈一致なその姿を見て私は笑みをこぼしてしまった。

 

 茜らしいや。

 

 確かに茜は夢に向かって全力で挑み続けるやつだった。バスケでもなんでも。でも決まってどこかでポンしてしまう。今回のケースも例に漏れずといえるだろう。

 

「あーあ負けた負けた」

 

 うぉううぉう泣き続ける姿の横で自嘲するように吐いた。完敗だ。

 

「そういえば先生。さっきの会話はなんだったんですか?」

 

 はてとついさっきの廊下での出来事を思い出す。

 

「テスト結果すごかったって」

「紫水さんいつもすごいじゃん」

「前人未到」

「紫水さんの点数を初めて上回った生徒が小暮さん」

「コロンブスが云々」

「小暮さんが紫水さんを抜いて1位か〜」

「……」

 

 どついたろか、という言葉をすんでのところでこらえる。あくまでも相手は担任教師だ。落ち着こう。

 

「なんやねん!」

 

 ダメだった。周囲の群衆で気まずいけどせめて叫ばせてくれ。頼む。

 

「はっはっは。因みに足りない一点は大問二の問三ね」

「大問二の問三……。」

「EUでユーロ使えない国は? ってやつ。もうイギリスいないぞ」

「どぅぉぉおおおおおおおおぉぉぉ……!」

 

 もう卒倒と形容していいくらいの勢いで茜の反対側に身をうちつけた。また周りから変な目で見られているが知ったことではない。

 

 最悪だあああああぁっっっっぁぁぁっぁぅぅぅ……。

 

 そんな簡単な凡ミスで私は敗北し辱めを受けなきゃいけないのか。

 

 情けなくて涙がちょちょ切れる。

 

「今日は葬式が二件か。ご愁傷様」

 

 遺体が二つ並んだ机の前で、池田先生は静かにそっと合掌した。

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