第39話 国王、気付く

王宮の門前で、民衆の怒りの声が地響きのように響き始めた、ちょうどその時。

重厚な扉に閉ざされた国王の執務室は、外の喧騒が嘘のような静寂に包まれていた。


その静寂を破り、室内の影が揺らめいたかと思うと一人の男が音もなく現れた。

黒装束に身を包んだ国王直属の密偵は片膝をつき、分厚い報告書の束を玉座の前の机に差し出した。


「陛下。ご命令の件、全て、調査完了いたしました」


感情の欠片も感じさせない、水面のように平坦な声だった。

玉座に深く身を沈めていたコレチト国王は、疲労の滲む声で応じる。


「…ご苦労だった。して、結果はどうであった」


国王は、その紙の束を見ただけでこめかみを抑える。


「へ、陛下、お気を確かに…」


傍らに控える宰相が案じるように声をかけた。

国王は力なく手を振り、密偵に報告を促す。


「よい。話せ。息子の…我が国の王子が、一体何を仕出かしたのか、全てを」

「は。まず、アデル氏の追放理由について。王子が陛下へ行った報告は、全て虚偽でございます」

「…なんじゃと?」


国王の眉がピクリと動いた。


「パワハラなどという事実はなく、単に王子が厳しい訓練を忌避するための身勝手な言い訳に過ぎませんでした」

「私に…あやつは、この私にまで嘘を吐いたというのか…!」


ギリ、と奥歯を噛みしめる国王を宰相が制する。


「陛下、まだ報告の途中でございます」

「…続けよ」


密偵は淡々と、次の事実を口にする。


「次に、聖騎士団について。王子は陛下の裁可なく、独断でアデル氏の討伐を命令」

「独断だと!?私は許可した覚えはないぞ!」

「はい。しかし、派遣された部隊は、アデル氏に同行していた二名の女性により、瞬く間に無力化されたとのこと」

「たった二名の女に、ジラルドの騎士団が敗れたと申すか!団長は何をしていた!」


国王が机を叩く。だが、密偵の表情は変わらない。


「ジラルド団長以下、団員全員が王子の理不尽な命令に反旗を翻し…自らの意志でアデル氏に降りました。報告書には『彼こそが真の主君』と」

「馬鹿な…!我が国の聖騎士が自ら寝返っただと…?」


国王の顔から、急速に血の気が引いていく。


「…魔術師団はどうなのだ。クロムは、まだ王家に忠誠を誓っているだろうな…」

「王子は次に、魔術師団へ貧民街の焼き討ちを命令いたしました」


密偵の言葉に、今度は宰相が息を呑んだ。


「なっ…!貧民街を!?自国民をその手で殺せと、ルキオンは…!?正気か、あやつは…」


国王は呻くように呟いた。


「その非道な命令もまた、一人の少女により阻止されました。魔術師団のあらゆる魔法は完全に封じられ、無力化された、と」

「…またか。それで、クロムはどうした」


国王の問いに、密偵は僅かな間を置き、事実だけを告げた。


「クロム団長はその少女の魔法に心酔。己の未熟を悟り、団ごと弟子入りを志願。受理された模様です」

「…で、弟子入り?団ごと、だと…?ふざけるなッ!国の最高戦力をなんだと思っておるのだ!」


報告書を持つ手が、わなわなと震える。

自分の息子が、この国の二大戦力を自らの愚行によって無駄に消費した。

その事実が、重く、重く国王にのしかかる。


「まだあるのか…?密偵、続けよ!」


国王は叫んだ。

密偵は、変わらぬ声色で次の絶望を紡ぎ出す。


「は。王子は国璽を偽造し、国庫より多額の資金を横領。隣国の悪名高い傭兵団『鉄血傭兵団』と密約を結びました」

「国璽を偽造し、国庫に手を付け…外患誘致までしたというのかッ!」

「その傭兵団ですが、国境地帯で忽然と姿を消しました。恐らくは…アデル氏に同行する、カイネと名乗る女性の仕業かと」

「またか……」


国王はもはや、怒る気力さえ失いかけていた。

だが、報告はまだ終わらない。


「最後に、市井のゴロツキを多数雇い、アデル氏の名を騙って略奪や破壊活動を行わせ、彼の評判を貶めようと画策。しかし、これが裏目に出て、今回の民衆の暴動を煽る直接的な原因となりました」

「…もう、よい」


国王は、か細い声で報告を遮った。


「もう、聞きたくない…」


執務室に、重い沈黙が落ちる。


窓の外から響く「王子を出せ!」という怒号だけが、やけに鮮明に聞こえた。

全ての報告書を読み終えた国王は、その場に崩れ落ちそうになるのを、必死で堪えていた。


「…宰相よ」

「は…」

「私は…私は一体、何を育ててきたのだ…?」


震える声だった。

王としての威厳など、どこにもない。ただの、打ちひしがれた父親の声だった。


「甘やかしてきたつもりはなかった。だが、見ていなかった…。あの子の内側に、これほどまでに醜く、歪んだ怪物が潜んでいたとは…!」


国王はよろめきながら立ち上がると、窓辺へと歩み寄った。

眼下には、松明を掲げ、怒りに燃える民の姿があった。


「『王子を出せ』、か。当然だ。当然の怒りだ…!」


その言葉を最後に、コレチト国王は力なく膝から崩れ落ちた。


「我が息子よ。お前はここまで愚かだったというのか…ッ!!」


王の悲痛な絶叫が執務室に響き渡った。

それは、国を揺るがす大罪に対する王の怒りであると同時に、愛する息子のどうしようもない愚かさを嘆く、一人の父親の悲しみの声だった。


密偵は微動だにせず、宰相はただ、悲痛な面持ちでうなだれる主君を見つめることしかできなかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る