第26話 王子、聖騎士派遣

国王が公務の視察で王都を離れ、数日が経っていた。

その静寂を破るように、ルキオン王子は独断で行動を開始した。


彼が聖騎士団長ジラルドを呼びつけたのは、公の謁見が行われる玉座の間ではない。

人払いされた、自身の私室だった。


重厚な扉を開け一歩足を踏み入れたジラルドは、部屋の主の異様な雰囲気に息を呑んだ。

ルキオンの目は不気味に血走り、肩で浅く速い呼吸を繰り返している。

明らかに、尋常な精神状態ではなかった。


「…殿下、お呼びにより参上いたしました。団長ジラルドにございます」

「来たか…」


振り返ったルキオンは、ジラルドの顔を睨めつけるなり、甲高い声で命令を叩きつけた。


「団長ジラルド!そなたに、王命を授ける!」

「王命、でございますか?陛下はまだご帰還なされていないはずですが…」

「父上が不在の今、この国の最高権力者は誰だ?この私、ルキオンだ!これは、次期国王たる私の命令であり、すなわち王命に相違ない!」


狂気をはらんだ気迫に、ジラルドは言葉を飲み、静かに片膝をついた。


「は。…して、いかなるご命令でしょうか」

「直ちに、聖騎士団の精鋭を率い、貧民街を拠点とする反乱分子を討伐せよ!」


ジラルドは、思わず眉をひそめた。


「貧民街の…反乱分子でございますか?」

「そうだ!奴らは徒党を組み、人心を惑わし、この国を内側から食い破ろうとしている!これ以上の放置は許されん!」

「しかし殿下、私の耳にしておりますのは、むしろ逆の話です。近頃、貧民街は浄化され、王都全体の治安が劇的に改善されたと。衛兵隊からも、喜ばしい報告が上がっておりますが…」


ジラルドは冷静に、事実を以て問い返した。

その功労者を、なぜ討伐せねばならないのか。


「殿下。差し出がましいようですが、お聞かせ願えますでしょうか。その反乱分子とは、具体的に誰を指すので?そして、その罪状とは一体…」

「まだるっこしい男だ!」


ルキオンは苛立ったように舌打ちをすると、絞り出すような声で、憎々しげにその名を口にした。


「首謀者の名は、アデル・スターロだ!」


その名を聞いた瞬間、ジラルドの心臓が大きく跳ねた。


「なっ…アデルが…!?」


絶句した。

親友が、生きていた。この王都に、戻ってきていた。


一瞬、雷に打たれたような歓喜が全身を駆け巡った。

しかし、その喜びは、王子が今何を言ったのかを正確に理解した途端、燃え盛る怒りへと変わった。


「奴だ!国外追放にしたはずのあの男が、性懲りもなく王都に舞い戻り、愚かな民衆を扇動して国家転覆を企んでいるのだ!」

「お待ちください!」


ジラルドは、思わず立ち上がり、声を荒らげていた。


「それは何かの間違いです!アデルは、決してそのような男ではございません!」

「間違いだと?この私の目が、耳が、間違うとでも言うのか!」

「ですが、彼が国家転覆など…!ありえません!誰よりもこの国を愛し、民を想っていた男です!そもそも、彼が反逆罪に問われたこと自体が…!」


今こそ、長年胸に燻っていた疑問と罪悪感を、問い質す時だと思った。

だが、ルキオンはジラルドの言葉を嘲笑で遮った。


「黙れぃ! そなたは、朕の言葉を疑うのか?聖騎士団長ともあろう者が、王命に逆らうというのか?」


ルキオンの瞳が、脅迫的な光を帯びる。


「忘れたか、団長。そなたのその地位も、その名誉も、全ては誰から与えられたものだ?この王家からだ。それを、たかが反逆者の友人一人のために、棒に振るつもりか?」

「……っ!」


ジラルドは、唇を強く噛み締めた。

王命は絶対だ。ここで逆らえば、反逆と見なされる。

それは、自分一人の問題では済まない。忠実な部下たちまで、奈落の底へ突き落とすことになる。


しかし、親友をその手で討てというのか。断じて、できるはずがない。


脳裏で、いくつもの思考が嵐のように渦巻く。


アデルは、なぜ王都に?本当に反乱を?いや、あいつに限ってそんなはずはない。

確かめなければ。この目で、この耳で。直接アデルに会って、真実を。


それは、討伐を承諾した者にしか与えられない機会。


数秒とも、数分とも思える長い沈黙の後、ジラルドはゆっくりと、もう一度その場に膝をついた。

親友への想いを、心の奥底に押し殺して。


「…御意。王子殿下の、ご命令通りに」


絞り出した声は、自分でも驚くほどにかすれていた。

その言葉を聞き、ルキオンは喉の奥で満足そうに笑った。

ジラルドは、屈辱に顔を上げることができなかった。


だが、彼の心の中では、既に別の決意が固まっていた。

これは、討伐ではない。アデルと対話するための、最後の機会だ。

何があっても、彼を死なせはしない。

そして、この狂気と理不尽に、必ずや終止符を打ってみせる。


聖騎士団の詰め所に戻ったジラルドの纏う重苦しい空気に、待機していた騎士たちが息を呑んだ。


「団長…!」

「全員、武装せよ。精鋭十数名を選抜する。これから、貧民街へ向かう」


副団長が、信じられないという顔で駆け寄ってきた。


「団長、一体どういうことです?貧民街に、我々聖騎士団が出向くほどの事態が?」

「相手は武装集団なのですか?それとも魔物でも…?」

「…王子直々のご命令だ」


ジラルドのその一言に、詰め所の空気が凍り付いた。

誰もが、その命令の異常性を察した。


「討伐対象は、貧民街に潜む反乱分子とのことだ」

「反乱分子!?あの貧民街にですか?」

「馬鹿な…!衛兵隊の連中ですら、最近は暇を持て余していると笑っていたというのに!」


部下たちの動揺が、波のように広がる。

ジラルドは彼らに多くを語らなかった。語れなかった。


「今は何も聞くな。だが、これだけは肝に銘じろ」


ジラルドは、騎士たちの顔を一人一人見渡し、厳しい口調で告げた。


「これは、我々の誇りが試される任務だ。現場では、何があっても、私の指示にだけ従え。いいな!」

「「「はっ!」」」


騎士たちの力強い返事を聞きながらも、ジラルドの胸は張り裂けそうだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る