第25話 王子、アデルの生存を知る
玉座にふんぞり返るルキオン王子は、あからさまに退屈そうな表情で肘をつき、父王コレチトの代理という退屈な役目をこなしていた。
父は公務で遠方へ視察。その留守を預かるというだけで、報告の内容など右から左へ聞き流すだけだった。
「次に、財務大臣より…」
「王立魔導研究所の次期予算についてですが…」
「東方諸国との交易が…」
どうでもいい。ルキオンの興味を引くものは何一つなかった。
だが、衛兵隊長が一歩前に進み出た時、彼は初めてわずかな興味を示した。
「ご報告申し上げます! この一ヶ月の王都における犯罪発生率は、前月比で実に80%以上の減少を記録いたしました! これは、我が国の建国以来、類を見ない快挙でございます!」
衛兵隊長は、そこではっと顔を上げ、芝居がかった声で続けた。
「これもひとえに、ルキオン王子殿下が、かの反逆者アデルを追放し、国の綱紀を粛正されたご威光の賜物かと…! 殿下の英明なるご判断の前に、悪党どもも震え上がったに違いございません!」
見え透いたお世辞。だが、ルキオンにとっては実に心地よい響きだった。
そうだ。全ては自分が、あの忌々しい教官アデルを排除したからだ。
国の膿を出し切ったから、健全になったのだ。
「うむ。苦しうない」
ルキオンは満足げに頷き、ふんぞり返った。
「朕が正式に王位を継げば、この国はさらに平和になるであろうな。犯罪者など、一人残らず根絶やしにしてくれるわ」
周囲の大臣たちが、顔を引きつらせながらも「ははーっ!」と追従の声を上げる。
その誰もの目が、どこか冷めていることに、愚かな王子は気づくべくもなかった。
「恐れながら、殿下」
その時、宰相が静かに一歩前に出た。
「治安改善の直接的な要因は、どうやら別にあるようでございます」
場の空気が、わずかに緊張する。
ルキオンは、不機嫌そうに眉を寄せた。
「…何だと? 朕の手柄ではないと申すか?」
「いえ、殿下のご威光が大前提にあることは間違いございません。ですが、実務的な要因としましては、貧民街に最近現れた、謎の指導者の存在が大きいかと」
「指導者だと?」
宰相は、ルキオンの機嫌を損ねることも厭わず、淡々と事実を述べ始めた。
その人物が、極めて劣悪だった貧民街の環境を整備し、住民に食料と医療、さらには職まで与えていること。
荒くれ者たちをまとめ上げ、自警団を組織し、街の治安を自らの手で維持させていること。
「その結果、これまで貧民街を拠点としていた犯罪組織が一掃され、王都から流出した、というのが真相のようでございます」
「ほう…」
ルキオンは、少し不機嫌になったが、まだ余裕はあった。
「奇特な者がいたものだな。どこの貴族だ? 慈善活動とは感心なことだ。褒美をとらせてやろうではないか」
彼にとって、貧民街の住民など、道端のゴミと変わらない。
そのゴミを、誰かが無料で掃除してくれたというのなら、それはそれで結構なことだった。
「それが、貴族ではないようで…」
宰相はそう言うと、懐から一枚の羊皮紙を取り出した。
「貧民街の住民たちが、感謝を込めて描いたという、その指導者の似顔絵が、こちらにございます」
側近の手を経て、羊皮紙がルキオンの前に広げられる。
そこに描かれていたのは、お世辞にも上手いとは言えない、拙い子供の絵だった。
だが。
線の歪んだその顔の特徴は、嫌というほど、ルキオンの記憶に焼き付いていた。
優しそうで、いつもどこか困ったように眉を下げていた、あの男の顔。
「……ア……デル……?」
ルキオンの口から、掠れた声が漏れた。
玉座の間に、彼の声だけが小さく響いた。
宰相は、静かに頷いた。
「はい。その指導者は、『アデルの兄貴』と呼ばれ、慕われていると。そして、複数の目撃情報、およびその特異な人心掌握術から鑑みるに…先日、殿下への反逆罪で国外追放となった、元教官アデル・スターロ本人であると、ほぼ断定されております」
瞬間、ルキオンの頭の中が真っ白になった。
時間が止まる。
音が消える。
追放した。国外に。二度とこの国の土を踏めないと、そう宣告したはずの男が、なぜ、王都にいる?
それどころか、貧民街を掌握し、民衆から聖人のように崇められている?
ありえない。
何かの間違いだ。
悪夢だ。これは悪い夢に違いない。
だが、宰相の冷徹な瞳と、目の前の稚拙な似顔絵が、それが紛れもない現実であることを、彼に突きつけていた。
理解が、恐怖に変わるのに、時間はかからなかった。
アデルが、生きている。
そして、民衆の支持を得ている。
嘘が、父王や民衆にバレてしまったら?
自分の輝かしい未来は、全て終わってしまう。
「う…うわああああああああああっ!!」
ルキオンは、玉座から転げ落ちるように立ち上がると、甲高い悲鳴を上げた。
その様は、王子の威厳など微塵もない、ただの怯えた子供だった。
「なぜ生きている! なぜ王都にいるんだ! あいつは反逆者だ! そうだ、そうだ、まだ反乱を企んでいるに違いない! 貧民街の連中を唆して、王都に攻め入る気だ!」
支離滅裂な言葉を叫びながら、彼はその場にいた衛兵隊長に掴みかかった。
「今すぐ兵を出せ! 聖騎士団を動かせ! 貧民街にいる反乱分子どもを、アデルごと、皆殺しにするのだ! 一人残らずだ!」
「で、殿下!? お待ちください! それはあまりに…!」
「黙れ! これは王命だ! いいな、今すぐだ! 俺の命令が聞けんのかぁっ!!」
狂気に満ちたその姿に、玉座の間にいた誰もが息を呑み、言葉を失った。
自分の嘘が暴かれることへの、子供じみた恐怖。
それが、ルキオン王子を、国家の正規軍を、私怨のために動かすという、決して越えてはならない一線を越えさせた。
彼の暴走は、もはや誰にも止められないところまで来ていた。
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