幸福な死刑囚

野崎渚

幸福な死刑囚

 どんなものにも、必ず終わりはある。映画であればエンドロールが流れるし、漫画であれば最後のコマがある。今君が読んでいる小説であれば、最後はたった一文で終わる。これは人の生涯でも例えることができる。人は死んだ時、初めて最期を迎える。そして僕は、残り五時間で最期を迎える。

 僕のしたことは重罪だ。だから死刑囚になった。僕は人を苦しめるのが、好きで堪らなかった。最初は恋人だった。彼女は綺麗な顔をして死んだ。快楽と苦痛を同時に味わっていた。普通の行為では満足出来ないと言う彼女に、僕は行為中、何度も彼女の首を絞めてキスをした。彼女はとても興奮していた。僕は首を絞めて窒息させることに、少し味を占めていた。そして次第に、彼女の苦しむ表情を見たいと思うようになった。その思いが強くなり、僕は彼女を殺めてしまったのだ。人を殺したことには焦燥した。僕の下で鳴いていた彼女が、何も言わない。その上、肌が石のように硬く、冷たくなっていた。思考を巡らせた結果、僕は湖に彼女の遺体を棄てた。罪悪感など、一切無かった。

 次はいじめっ子だった。僕はいじめっ子に呼び出された時、家から持ってきたナイフで彼を刺した。彼は悲鳴を出したので、喉を引き裂いた。彼の最期は、見ていて爽快だった。間抜けな顔で、無駄に足掻いて、愚かに泣いて、僕を見つめて。あまりに可笑しかったので、顔が分からなくなるまでずっと刺し続けた。天国へ行っても歩けないように。天国でこいつが虐められるように。地獄でサタンの餌食になるように。僕は警察に銃を向けられるまで、彼の体に何十ヶ所もの穴を空けた。

 裁判官に死刑を求刑された時は、特に驚くことも無かった。僕は知らない人たちに囲まれながら死ぬのか、と思ったくらいだ。死刑囚になった時、何故か自由を手に入れた気がした。これから死ぬ今も、解放感で満ち溢れている。恐怖も不安も感じない。


 死刑執行まで残り三時間を切った。すると監視員の男が檻の外から僕を見つめて言ってきた。

「君のしたことは決して許されるものではない。けど、執行まで時間がある。最後くらい、食べたい物を食べるといい」

 僕は少しだけ悩んだ。昔から好きな物を選ぶか、ずっと食べてみたかった物を選ぶか。考えた末、僕は男に言った。

「今日って何日?」

「今日は六月十日だよ」

 それを聞いて、僕はすぐに決めた。

「じゃあ、バースデーケーキがいい」

 男は一瞬不思議そうに僕を見た。すると、男の隣にいた警察官が説明した。

「彼、執行日の今日が誕生日です」

 男は納得したらしく、僕の要望を承諾した。まさか承諾されるとは思わなかったが、僕は何も言わずに俯いた。

 幼い頃から、誕生日もクリスマスも祝われることが無かった。家に友達を招いて、バースデーソングを歌ってもらえて、ケーキのロウソクに願い事をして、ロウソクを消して、バースデーケーキを皆で食べて、誕生日プレゼントを「おめでとう」と言われながら貰えて、「ありがとう」と言いながら受け取る。貧しかった僕には経験することの無い、夢のような話だ。一度でいいから、バースデーケーキだけでも食べてみたいと、心の内で思っていた。


 少し経つと、警察官が僕を檻から出した。手首を拘束されて、ある場所に入れられた。数人の警察官がバースデーケーキを囲むようにして、壁に背を向け立っていた。

 僕の隣にいる警察官を見ると、彼は少し寂しげな表情を浮かべていた。しかし、僕の視線に気が付くと、彼は薄く微笑んで言った。

「誕生日おめでとう」

 その言葉を貰った瞬間、視界が滲んだ。頬を涙が次々と伝っていった。心が温かくて仕方がなかった。僕は涙を流したまま、彼に笑顔でお礼を言った。

「ありがとう」

 彼はちらりと僕を見たが、何も言わずに拘束具を解いた。僕は椅子に座り、涙を拭った。目の前のケーキには、数字の形をしたロウソクが二本立っている。僕は今日で、29歳になったらしい。

 感激して再び泣きそうになっていると、壁際に立っていた警察官がロウソクに火を着けた。

「願い事を言って消すんだ」

「じゃあ……次は毎年誕生日を祝ってもらえるといいな」

 僕はロウソクに息を吹きかけた。火が消えて、黒い煙が小さく立ち上っていた。

 その場にいた警察官らは一斉に拍手をした。そして一人一人僕に向かって、「おめでとう」と言った。僕は嬉しくて堪らなかった。「ありがとう」と返すと、警察官はケーキを切り分け、皿に乗せた。イチゴが乗っているケーキを僕に渡してくれた。

 ケーキを一口食べてみると、想像よりも少し甘かった。イメージしていたものよりも美味しく、すぐに食べ終えてしまった。僕は人生最高の幸せを感じながら、処刑場所へ連れられた。


 僕は絞首刑で処刑される。死刑を見届けてくれる人はいないので、ガラスの外には警察官しかいない。

「最期に言っておきたいことは?」

 僕は泥を被ったような人生を送ってきた。助けを求めても、誰もが見て見ぬふりをする。学校ではストレス発散のターゲットにされる。友達はいたことがない。恋人には性行為でしか愛を受け取ってもらえない。自己嫌悪に陥って眠れない日も少なくはなかった。苦しくても死のうとは思わなかった。生まれたことすら祝われずに死ぬのは嫌だったからだ。しかし、29年目で、初めて祝ってもらえた。悔いはない。だから最期の言葉は、お礼を言うことにする。


「最高の時間だった。ありがとう。僕はもう幸せだよ」

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幸福な死刑囚 野崎渚 @nozaki_nagisa

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