第14章 ― 夜明けの帰還
最初の“影”が木々の間から飛び出してきた。
その体は人間のように細長いが、骨という概念を忘れたかのように歪んだ動きで揺れている。
一歩踏み出すたび、足は地面に触れていないのに、濡れた布を床に引きずるような音が響いた。
エリアナは半歩下がった。
「……はい出た。あれ絶対“兵士”じゃない。ホラー系ガチ勢のコスプレでしょ。」
リラは静かに手を上げた。
白い光がその掌にふわりと咲き、圧縮された光で形成された細い刃へと変わる。
「エリアナ。胸の奥の光に集中して。あれがあなたの力の核よ。」
「エルタラってさ、チュートリアルモードとか無いの?」
エリアナは自分の胸を軽く叩く。
「具体的に何すりゃいいの? チャージ? クリック? ローディングバー待つ感じ?」
リラは無表情のまま見つめた。
「深呼吸して。光の流れを感じるの。応えてくれるから。」
「もし私が爆発したらさ、そのモップはオシャレな場所に飾っといて。」
エリアナが何かを試そうとしたその瞬間、影が煙のようにしなる動きで飛びかかってきた。
低い悲鳴のような音を上げながら。
リラは光の刃を閃かせ、稲妻のような速さで斬りつけた。
光と霧がぶつかり合う。
金属音ではなく、熱湯を氷に注いだような音が響き、影はゆっくり溶け、煙となって消えた。
安堵する間もなく、五つの影が背後から姿を現す。
「うわ、リスポーン早すぎでしょ。」
エリアナがぼやく。
一体が背後を狙う。
エリアナは反射的にモップを回した。
その先端が脈打ち、心臓の拍動のような白い光を放つ。
光は影を撃ち抜き、ガラスのように砕いた。
エリアナは固まった。
「……は? 今の私? モップにオートエイム機能でも付いてんの?」
リラはちらりと振り返った。
「光の反応よ。持ち主を守るために動く。」
「はい、神機能入りました。」
だが影は次々と現れる。
一体、二体どころではない。
数十体。森の奥、割れた地面、揺らぐ空気の裂け目――そこら中から湧き出す。
まるで世界そのものが、封じていた古い傷を無理やり開き始めたかのように。
リラは前に出て影を切り払う。動きは舞のようで、光がリズムに合わせて瞬いた。
エリアナは後ろで距離を保ちながら戦うが、影が近づくたびにモップの先端が勝手に光り、二撃、三撃と応戦していく。
しかし時間が経つほど影は増え、形も濃く、強くなっていく。
「リラ!」
エリアナが叫ぶ。
「これヤバい! 数増えすぎ! 無理ゲー入ってない?」
リラは跳び下がり、エリアナの横へ着地する。
「分かってる。これは倒す戦いじゃない。あなたの力を計るために送られているの。」
「テストかよ!? 開幕シーズンで退学コースなんだけど!」
その時、大地が裂けた。
小さなひび割れではない。
ゆっくりと大口を開くような長い裂け目だ。
深く、底から紫黒い霧が立ち昇る。
影たちは突然動きを止めた。
数歩後退し、まるで“場”を譲るように。
リラの顔が強張る。
「エリアナ……あれは、普通の影じゃない。」
裂け目から“手”が現れた。
黒く、人の手に似ているが異様に長く、枝のように細い指が生えている。
地面を掴み、何かが這い出てくる。
出てきたのは細長く背の高い影。
顔には表情がなく、ただ不自然に長い“笑みの線”だけが刻まれている。
その体は霧が中から押し寄せているかのように脈動していた。
エリアナは固まる。
「……はい、ボス戦入りましたねこれ。」
リラは小さく頷く。
「“第一階層の霧”。古の守護者の恐怖から生まれたもの。」
「いや待って。私これ倒すの? モップはまだ説明書すら無いんだけど?」
その巨影は一歩進むごとに地面を黒く腐らせた。
「……新しい光の気配。」
その声は複数の声が重なったように響き渡る。
「弱い……未成熟……」
エリアナはモップを握りしめる。
「いや、昨日アップデートしたばっかで。ちょっと待ってくれん?」
リラが一歩前に出た。
「エリアナ。ひとつだけ方法がある。」
「早く言って。」
「“光の核心(コア)”を呼び出すのよ。」
エリアナの瞳が鋭くなる。
「めっちゃ格好いい名前だけど……呼び出しボタンどこ?」
リラはエリアナの背に手を置いた。
「ボタンなんていらない。心から呼ぶの。」
「だからそのチュートリアルを――」
「私がいる。」
エリアナは目を閉じた。
世界が遠のく。
影も、裂けた大地も、霧の声も、すべて消えていく。
残ったのは、自分の心臓の鼓動だけ。
一つ。
二つ。
三つ。
――
「光の守護よ、我が呼び声に応えよ。
秘められし聖なる本質よ、真なる姿を示せ。
“聖光降臨――深淵の光核(しんえんのこうかく)!”」
――
何かが応えた。
熱でも冷気でもない。
“存在”。
胸の奥から優しく呼びかけるような光の気配。
「エルタラ……?」
呟くと、光は確かに反応した。
モップの先端が白銀の輝きを爆ぜさせた。
その光は広がり、巨大な円となり、影たちを後退させる。
巨影ですら振り返り、その“笑み”にひびが入った。
リラの目が大きく開く。
「……それが“光核”……」
エリアナはモップを掲げる。
重い。
だが、何かに支えられているようでもあった。
巨影が低く唸る。
「あり得ぬ……その光は滅んだはず……」
エリアナは青ざめながらも笑った。
「悪いね、片付け終わるまで寝られない体質で。」
――
「行けッ! “コーリン・シンエン(光輪深淵)!!”」
――
彼女がモップを振り抜くと、
白い光が大波となって放たれた。
巨影は引き裂かれ、霧が剥がれ、静かに崩れていく。
最後の瞬間、低く囁いた。
「お前は……エルタラではない……
“真なる霧”の奥で……何が待つかも知らずに……」
黒い塵となり、消えた。
その他の影も風に吹き飛ばされるように散っていった。
光が収まり、エリアナは息を荒げた。
膝が崩れ落ちそうになるところを、リラが支える。
「……よくやったわ。」
エリアナは弱い笑みを浮かべる。
「これ成功? それとも地獄からの昇進?」
空は灰色へ戻りつつあった。
晴れではなく、脅威でもなく――ただ、静かな待機の色。
リラは遠くを見つめた。
「これは序章にすぎないわ。第一の霧が動いたなら……他の霧も必ず続く。」
エリアナはモップの先端を見つめる。
微かな光がまだ残っていた。
「よし。残業シフト、始まったってことね。」
だが森のさらに奥で、別の“何か”が目を覚ます。
赤い霧でできた巨大な目が、ゆっくりと開いた。
そして――
世界は再び、不安げに息をした。
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