第13章 ― 目覚める影

エリアナの足音が、塔を下る螺旋階段に静かに反響していた。

彼女とリラが降りるにつれ、通り過ぎる階層は登った時よりもどんどん暗くなっていく。

彼女たちを照らしていた光は、今やエリアナのモップの先端にかすかに残るだけで、新しい持ち主にまだ慣れていないようだった。


リラは先を歩いていた。

その姿は軽くなったようであり、同時にどこか芯が強くなったようでもある。

彼女の内側から、以前にはなかった柔らかな光がほのかに感じられた。


「エルタラ、本気であんたの中に溶け込んだんだね。」

エリアナはリラを見ながらつぶやいた。

「なんか……前より光ってる? いや、比喩でね。ガチで光られたら眩しくて死ぬから。」


リラはちらりと振り返る。

「私は彼女の“痕跡”を少し持っただけ。完全な力ではない。ただの残された知識よ。」


「残された? なんか……スナックの“かけら”みたいな?」


リラは返事をしなかったが、エリアナには彼女の口元が、ほんのわずかに笑いかけたように見えた。ほんの少しだけ。


階段を下りきった瞬間、背後の石扉がゆっくり閉まった。

夜風が流れ込み、湿った土の匂いと……何か嫌な香りを運んできた。

かすかな煙。ほとんど見えない薄い霞。


エリアナは目を細める。

「この匂い……なんか焦げたみたい。」


「光よ。」リラは静かに言った。

「正確には……“無理やり消された光”の匂い。」


二人は城の前庭へ出た。

西の空はまだ墨のような紫黒に染まり、音のない稲光が雲の向こうで走っていた。

エリアナの背筋が震える。寒さではなく、骨まで響く不穏さのせいだ。


「じゃあ……あれが霧の源?」エリアナが尋ねる。


リラは首を横に振った。

「源ではない。あれは“扉”よ。」


「扉って……トイレの入り口じゃなきゃいいけど。」


リラは無表情で返す。

「霧が生まれる空間へ通じる扉。」


エリアナは深く息をついた。

「はーい、トイレより最悪でしたー。」


数歩進んだところで、地面がわずかに震えた。

小さな震動だが、石片が跳ねるほどにははっきりしている。


リラは瞬時に警戒姿勢をとった。

「何かが来る。」


前庭の端、木々の陰から黒い霧がゆっくりと流れ出た。

濃くはないが、異様に重い霧。

地面に触れることなく、獲物を探すように滑る。


エリアナはモップを構えかけたが、リラがそっと手を上げて止めた。

「まだだわ。あれは“野良の霧”じゃない。」


霧は二人の数メートル前で止まり、形を変え始めた。

人のようだが、人ではない。

肩は煙の塊、腕は細長くのび、顔には目がなく“笑い”の線だけが浮かんでいる。


エリアナは指を指した。

「うわ、さっき空にいたデカい顔の……低燃費バージョン?」


霧の存在はわずかに頭を下げた気配を見せ、口のない顔から声が響いた。


「ついに新しい守護者が塔から降りてきた。」


エリアナは横のリラを見る。

「リラ……これめっちゃ不気味。殴っていい?」


「ダメ。」リラは即答する。

「形が安定してない。攻撃は通じないわ。」


霧の影はすこし近づき、笑みをさらに広げた。

「古い光は消えた。世界はついに空になった。」

「今こそ、我らが昇る時。」


エリアナはモップを見る。

先端の光が脈打っている。

大きくはないが、内側から“支えられている”ような感覚。


エリアナは霧の影をにらんだ。

「悪役のありがちな演説始める前にひとつ質問。

 あんたら何者?」


影は動きを止め、笑ったまま答えた。

「我らは“影”。光が捨てた部分。

 恐れ、迷い、失敗した願い──それらが形になったもの。」


リラは肩を震わせる。

「ありえない。影は守護者なしでは戻れないはず。」


影はリラに顔を向ける。

「古き守護者は崩れた。

 彼女の最後の夜明けが砕けた時、我らは自由になった。」


エリアナは眉を上げる。

「つまりあんたら……システムのバグの残りカス?」


影は近づきながら笑った。

「我らは真実。光は決して完璧ではない。

 光が自分を疑うたびに、我らは生まれる。」


リラは歯を噛みしめた。

「嘘よ。ただの、不要とされた欠片。」


「その通り。」影は楽しげに言う。

「だから今、奪い返しに来た。」


その瞬間、地面が再び震えた。

森林の奥で、黒い点がいくつも灯る。

動いている。数が多い。

まるで形を得た闇の群れ。


エリアナは背筋を固くした。

「ねぇリラ……あれ、ただの寝不足で幻覚見てるわけじゃないよね?」


リラは手にした小さな光杖を掲げる。

柔らかな光が広がった。

「幻じゃない。あれが……影の第一軍。」


エリアナは軽く震えた。

「軍隊!? ここチャプター13だよ!? 盛り上がり方ラスボス前なんだけど!?」


リラは強い目で彼女を見る。

「もう、始まっているの。」


笑う影はゆっくりと後退し、闇へと溶けていった。

冷たい吐息のような声を失いながら。


「ようこそ、光の守護者。

 お前の光がどれほど持つか……見せてもらおう。」


エリアナは背筋を伸ばす。

モップの光は穏やかな輝きから、確固たる銀光へと変わっていく。


リラが並び立つ。

「エリアナ。」


「なに?」


「怖がらないで。」


エリアナは大きく息を吸う。

「怖くない……って言いたいけど、はい怖いです。でも霧が戦争吹っ掛けるなら──こっちもやるしかないでしょ。」


リラは静かに頷く。

「ここから始まる。」


紫黒の空。音のない雷。

そして森から降りてくる影の軍勢。


震えていた世界は──今、完全に目を覚まそうとしていた。

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