第7話 変身変装して街へ(1)

 さらに十日が過ぎた日の昼、


「リク……今日は、街に出てみないか」


 ベルトホルトに提案され、璃玖はびっくり仰天した。いままでは、館の敷地の中でしか自由を許されなかったのに――。


 街……ベルトホルトさんが治めている異世界の街が見られるんだ!


 驚きにつづいて喜びがこみ上げてきたが、すぐにその喜びには影が差した。


 街のひとたちも、人間のぼくを無視するんだろうか。それだけじゃなくて、睨まれたり罵られたり石を投げられたりしたら……。


 根がポジティブな璃玖には珍しく、悪い想像ばかりが脳裏をよぎる。だが、


「大丈夫だ、リク」


 ベルトホルトの温かくも力強い声が、そんな想像を打ち消してくれた。


「私もおまえも魔法で姿を変えていけばよい。私とて、街を歩き回っているところを領民たちに見られては困るからな」


「そうか、そうですよね。魔法って、そんなこともできるんですね」


 素直に感心してはしゃぐ璃玖を見て、ベルトホルトは破顔した。


 この世界に来た翌日、璃玖を立って歩けるようにしてくれたときと同じように、ベルトホルトは璃玖の手を取って呪文を唱えた。もっともというべきか、もちろんというべきか、呪文の内容はあのときとはちがう。


 あの電流のような刺激に耐えてから、目の高さまで手を持ち上げる。そこにはやわらかそうな純白の毛が生えていて、爪が消えていた。――いや、消えていたのではない。もしやと思って指先に力をこめると、鋭く尖った爪がにゅっと飛び出してきたのだ。頭に手をやると猫の耳が、お尻に手をやると猫の尻尾が生えていた。


「うわぁ……ぼく、一度思う存分猫の尻尾をもふもふしてみたかったんです!」


 璃玖が尻尾を撫でたり揉んだり指に絡めたりしていると、ソファにいたフルーが尻尾に飛びついてきた。


「フルーももふもふが好きなの?」


 璃玖が笑いながら手を添えてやっても、フルーは尻尾を咥えて離そうとしない。


「おまえたちは本当に見飽きぬな」


 ベルトホルトも笑みをもらしたが、ふと真顔になって胸に手を当て、呪文を唱えはじめた。自分で自分に魔法をかけるときはあの刺激を感じないのか、それともベルトホルトが刺激に慣れているのか、顔色ひとつ変えない。何だか尊敬してしまう。


 やがてベルトホルトの耳は小さく丸っこくなり、尻尾はやや短く太くなり、爪は伸びて下に湾曲した。耳の色は上半分が白で下半分が黒、尻尾の色は灰色だ。こういう特徴を持っている動物といえば、アナグマだろうか。


「次は、これに着替えろ」


 ベルトホルトは、鞄からケープ、上衣、ズボン、帽子、リュックサックを二組取り出した。リュックサックといっても、荷物を入れる部分は、袋ではなくきっちりした鞄になっている。サイズから、どちらが璃玖用でどちらがベルトホルト用なのかは一目瞭然だ。


 璃玖はフルーを宥めながらソファに戻し、小さいほうの衣類を手に取った。ケープは朽葉くちば色、上衣とズボンは生成きなり色で、どちらも染めにむらがあってごわごわしている。いつも璃玖が着せてもらっているものとは比べものにならない安物なのかもしれないが、変装らしくてかえってテンションが上がった。


 やや苦心しながらも、猫化した手で着替えを終えると、


「あの……フルーも連れていっちゃだめですか?」


 璃玖はベルトホルトに頼んだ。着替えのあいだじゅう、心なしか羨ましそうなフルーの視線を感じていたのだ。ベルトホルトは璃玖とフルーに交互に目をやり、


「まぁ、よかろう。首輪と紐でつないでおくのならな」


 小さく咳払いをして許可を出してくれた。


「やった!」


 璃玖はガッツポーズをとり、いそいそとフルーの首輪を革のものに替え、自分の手首に紐を結びつける。ポケットにフルーを入れ、帽子をかぶってリュックサックを背負った。


 ベルトホルトは、璃玖を館の裏手へ連れていった。そこには厩舎のような建物があったが、中にいたのは馬ではなく竜だ。いわゆるワイヴァーンタイプの二足の竜である。


「カッコいい……!」


 前足の代わりに翼があることを除けば、上半身はフトアゴヒゲトカゲに似ている。顔立ちは畏怖よりも愛嬌を感じさせ、顔は棘に囲まれ、体の横にも棘が並んでいた。後ろ足は爬虫類とはちがって恐竜のように下に伸びており、尻尾の先はやじりのようなかたちをしている。色は黒、灰色、褐色、砂色、うぐいす色とさまざまだ。


 フルーが怯えていないかだけが気がかりだったが、ポケットを見ると、フルーは顔を出して興味深そうにきょろきょろしている。ほっとしながらも念のため「怖くない?」と訊くと、笑っているような顔で「くぇくぇくぇ」と鳴いた。


 ベルトホルトは、ひときわ大きなつや消しの黒マツトブラツクの竜の房に入り、


「アルノー、今日は友人も一緒に乗せてやるつもりだが、構わぬか?」


 竜――アルノーの眉間を撫でながら訊いた。アルノーは棘だらけの喉を波打たせ、小刻みに顔を上下させる。


「ありがとう。頼んだぞ」


 ベルトホルトはぽんぽんとアルノーの眉間を叩き、手綱と、二人乗り用と思しき鞍をつけた。手綱を取って房から、そして竜舎から出す。と、アルノーは自分から膝を折り、主人とその年若い友人に促すような目を向けた。璃玖はベルトホルトに手伝ってもらって鞍に乗り、ベルトホルトもその後ろにまたがる。


 ベルトホルトが手綱を引くと、アルノーはすっくと立ち上がって力強く羽搏はばたき、空へと舞い上がった。


「うわぁ……!」

「くぇぇ……!」


 璃玖はもちろんフルーまで感嘆の声をもらす。このとき初めて、璃玖はベルトホルトの館が山の上に建っていることを知った。山の様子はもとの世界とほとんど変わらないが、ふもとの街並みはやはりヨーロッパ風だ。


 ベルトホルトの指示で、アルノーは何度か山の上空を旋回してから、山の二合目あたりに降り立った。二人が――正確にいえば二人と一匹が下りると、ベルトホルトはアルノーを木につなぐ。


「あの……誰かに攫われたりしないでしょうか?」


 ふと不安に駆られて訊くと、


「大丈夫だ。アルノーは私と、私の仲間だと見なした者には従順だが、それ以外の者が近づけばこの尾で串刺しにしかねん」


 ベルトホルトはにやりと笑った。


「すごいや! アルノーは強いんだね」


 璃玖の称賛に、アルノーは胸と尻尾を反らして弓なりになる。


「でも、いきなり殺しちゃだめだよ……」


 たしなめると、今度は明後日の方向を向き、尻尾を大きく左右に振った。

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