第4話 魔法が存在する世界
次に目を覚ましたときには、部屋はすっかり明るくなっていた。三十分ほどのち、
「よく眠れたか?」
「はい……おはようございます」
璃玖がぺこりと頭を下げると、
「ああ……おはよう」
ベルトホルトは律義に挨拶を返してくれ、盥とトレイをナイトテーブルに置いた。盥のお湯に布を浸して絞り、璃玖の顔に伸ばす。璃玖が思わず少し身を引くと、
「すまぬ……驚かせたか? 顔を拭いてやりたいと思っただけなのだが」
ベルトホルトは気遣わしげな、どこか傷ついたような顔をした。
「い、いえっ……こっちこそすみません」
璃玖も何だか申し訳なくなって謝り、「えーと……お願いします」と言って目を閉じる。
間もなく、湿った温かい布が頬に触れた。恥ずかしかったし布の感触は硬かったが、この世界に来て以来洗っていない顔を拭いてもらうのは心地好かったし、ベルトホルトが璃玖を傷つけまいと細心の注意を払ってくれているのがわかってほっこりする。と、ある疑問が頭をもたげた。
「あの……ベルトホルトさんは、身分の高いひとなんですよね? いわゆる貴族みたいな……」
「え? ああ……そうだな。この地方の領主だ」
「ですよね……。そういうひとって、こういうことは使用人さんに頼むんじゃないんですか?」
「ああ……」
ベルトホルトが口をつぐんだので、璃玖は気分を害してしまったのだろうかと不安になったが、
「ふつうはそうだが……おまえの世話は特別だ」
そんな不安はベルトホルトの返事で吹き飛んだ。「特別」ということばがなぜかとても嬉しくて、頬が緩んでしまう。
朝食は昨日と同じスープと、小さく切られた小麦色のパンだった。
「パンはスープに浸して食べたほうがよかろう」
ベルトホルトの助言に従い、パンをスープでやわらかくしてから口に運ぶ。こちらもシンプルだからこそ味わい深く、スープとの相性も抜群だ。
「これもおいしいです!」
「それはよいが、あまり急いで食べるな。腹に障るぞ」
そのことばに璃玖が小さく笑みをもらすと、
「どうした?」
ベルトホルトは怪訝そうに眉を
「い、いえ……昨日は早く食べろって言ってましたから……」
「何だ、そんなことか。揚げ足をとるな。何事もほどほどが肝心だということだ」
「すみません……」
しゅんとしてしまった璃玖の頭に、
「本気で咎めたわけではない……そのような顔をするな。もう、好きな速度で食べろ」
ベルトホルトはぽんと手を置いた。頭に黄金色のエネルギーが流れこんできたような気がして、璃玖はたちまち顔を上げ背筋を伸ばし、次のひと切れに手を伸ばす。
朝食が終わると、
「リク……おまえはやはり、立ったり歩いたりしたいか」
尋ねたというには確信のありすぎる口調で、ベルトホルトが言った。
「は、はい……もちろんですけど……」
ベルトホルトの意図を測りかね、璃玖は目をぱちくりさせる。
ベルトホルトは数秒のあいだ黙りこんでから、ふいに璃玖の手を取った。璃玖が戸惑う間もなく、目を閉じて呪文を唱える。昨日燭台にかけていたものよりも何倍も長い、舌を噛みそうな呪文を。
詠唱が終わったとたん、璃玖の体にビリビリとした刺激が走った。スーパー銭湯で電気風呂とかいうものに入ったときに似ている。不快とまではいえないがひどく落ち着かず、体が強張ってしまう。
一分足らずで刺激は感じられなくなり、璃玖は体から力を抜いて息をついた。
「立ってみろ」
ベルトホルトが
「うわぁ……すごい、すごいです!」
足踏みしてぴょんぴょんと飛び跳ねた。魔法が存在する世界の素晴らしさを実感する。
「この程度、大したことではない」
ベルトホルトは目を逸らしたが、すぐに璃玖に視線を戻し、
「外にも出てみたいのではないか」
さっきよりも明るくやわらかい口調で言った。璃玖は「はい!」と勢い良く頷く。
「では、ついてこい」
身を翻したベルトホルトのあとを、璃玖は慌てて追った。何度か角を曲がり、ワインレッドの絨毯が敷かれた階段を下りる。途中、何人もの獣人の使用人とすれ違ったが――それぞれ、猫やイタチやアライグマのような耳と爪と尻尾を持っていた――みなベルトホルトには丁寧に挨拶するものの、璃玖には目もくれない。
ベルトホルトさん以外には、嫌われてるのかな……。
落ちこみそうになった璃玖だが、玄関ホールの壮麗さには目を
だがそれ以上に璃玖を驚嘆させたのは、玄関扉の向こうに広がっていた景色だった。生け垣や花壇で左右対称の幾何学模様が描かれた、広大な庭。
「すごい、綺麗だ……!」
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