第5話 庭と花と生き物たちと

 動物だけではなく植物も好きな璃玖は、歓声を上げて駆け出した。花壇のひとつに駆け寄って腰を屈める。アネモネによく似た、赤や白やマゼンタや菫色の大輪の花が咲き誇っているところだ。


 緑も花も空も光も、もとの世界とそんなに変わらない……よかった。


 もとの世界に未練がなければ、ちがいがあったほうが面白いと思ったのかもしれないが、もとの世界に帰りたい璃玖にはこのほうがありがたい。


「庭から出ないかぎりは自由に過ごしてかまわぬ。危険な生き物もいないはずだから、その点でも安心してよい。昼食の時間になったら呼びに来よう。部屋にいるときと同様、用のあるときは指輪を使え」


 ベルトボルトはそう言い残して館に戻っていく。ふっと心細くなって呼び止めそうになったが、領主のベルトホルトにはたくさん仕事があるだろう。璃玖にばかり構っているわけにはいくまい。だから立ち上がって礼を言うだけに留め、庭の散策に繰り出した。


 チューリップ、マーガレット、マリーゴールド、ポピーといった、璃玖も名前を知っている花によく似たものもあれば、見覚えはあるが名前は知らない花によく似たものも、全く見覚えのないものもある。虫や鳥についても同様だったが、璃玖は虫や鳥の名前はかなり知っているので、「見覚えはあるが名前は知らない虫」や「見覚えはあるが名前は知らない鳥」に似た生き物は少なかった。もっとも図鑑――それも『世界の昆虫』や『世界の鳥』といった図鑑でしか見たことがない虫や鳥も多い。


 ところどころには、獣人をかたどった銅像や石像もあった。耳や尻尾のかたちはちがうものの、どれも犬型の獣人だ。この世界の神や聖人、あるいは偉人なのかもしれない。


 もしかして、この世界では犬型の獣人がいちばん偉いのかな。さっきすれ違った使用人さんたちも、庭で仕事をしているひとたちも、みんな犬型じゃないし……。

 じゃあ、獣人じゃないぼくはどんな立場にいるんだろう。


 使用人たちの態度からすると、ことばをかけるどころか一瞥する価値もない存在なのだろうか。でも、だったらなぜベルトホルトは璃玖に親切にしてくれるのだろう。


 思い悩んでいると、目の前の銅像の台座の側面を、小さな生き物が這い上ってきた。そのとたん、璃玖の悩みはたちまち頭の片隅に追いやられてしまった。


 その生き物は、大きな猫目といい、ふっくらした平べったい指といい、ヤモリに似ていたのだ。大きくちがうのは、頭に鹿のような角が二本生えていることである。もとの世界にもツノミカドヤモリという生き物がいるが、あのヤモリの角はもっと小さくて尖っていて、角というよりは突起だ。


 動物はみんな好きだが、飼っている――あるいは飼ったことがある動物と同じ種族には、やはり特別な思い入れがある。


「レオ……」


 ヤモリが――まだるっこしいので、もう「ヤモリに似た生き物」ではなくヤモリと呼んでしまうことにした――台座の上に上るまで待ち、三十センチくらい前にそっと手を出してみた。ヤモリはしばらく微動だにしなかったが、やがて璃玖の手に近づいてくることなく銅像を上りはじめてしまった。


 レオみたいに手に乗ってきてくれたりはしないか……。


 少しがっかりしたが、当然のことだ。四年以上も璃玖が大切に世話をしてきたレオと、初対面の野生のヤモリが同じ反応をしてくれるはずがない。


 璃玖はヤモリが花々のあいだに姿を消すまで眺め、その後も珍しい生き物――始祖鳥のような鳥とも恐竜ともつかぬ生き物や、襟巻があるカエルや七色の透明なクモに出会うたび、驚かさないよう注意しながら眺めた。


 耳が異様に長く、背中にはアルマジロのような甲皮があるネズミを眺めていると、


「リク!」


 ベルトホルトの声が聞こえた。璃玖はネズミに「またね」と挨拶し、館に向かって駆けていく。


 館の前にはトレイを持ったベルトホルトが立っていた。璃玖がきょとんとしていると、ベルトホルトは小さく咳払いをした。


「庭が気に入っているようだったからな。庭で食べてはどうかと思って持ってきたのだ」


 魅力的な提案に、璃玖は顔を輝かせる。


「ありがとうございます。あっ、あっちにベンチがありましたよ!」

「知っている。私の庭だぞ」


 微苦笑するベルトホルトと、照れ笑いする璃玖。近くのベンチに腰を下ろすと、ベルトホルトはトレイごと昼食を璃玖に渡した。トレーには、パンとスープと濃い紫色の飲み物が載っている。パンは朝食のものより黒っぽく、スープは赤く、その具は肉と数種類の豆のようなものとニンジンのようなものだ。飲み物を一口啜ってみると、想像どおりブドウによく似た甘くて芳醇な味がした。


 遠足かピクニックにでも来ている気分で食事を楽しんでいると、数メートル前に、胸毛だけがオレンジ色の灰褐色の小鳥が舞い降りてきた。パンを小さくちぎってそっと投げてやると、跳ねるように近づいてきてくわえて飲みこむ。あげすぎてはいけないのかなと思いながらも、可愛くてついつい二つ三つと欠片かけらを投げていると、


「鳥が好きなのか?」


 ベルトホルトが尋ねてきた。


「え? あ……はい、鳥だけじゃなくて、生き物全般が好きなんです。もとの世界では犬とヤモリを飼ってて……」


 そこまで言って、犬を飼っていたなんて話をして失礼だったかもしれないと思ったが、ベルトホルトは何か考えこんでいるようではあったものの、機嫌を損ねてはいないようだった。


 昼食のあと、


「日が沈むころにまた来るが、その前に疲れたら私を呼べ。部屋の鍵は私しか持っていないからな」


 璃玖の膝からトレイを取ったベルトホルトを、


「はい、ありがとうございます……あの」


 璃玖は今度こそ呼び止めてしまった。


「……何だ?」

「え、えーと……ベルトホルトさんは、ぼくと一緒にごはんを食べてはくれないんですか?」


 ベルトホルトの持ってきてくれる食事はおいしいが、彼と一緒に食べられたらもっとおいしいのにと思っていた。だが領主のベルトホルトが、気軽に誰かと食事をすることなんてできるのだろうか。まして、この世界で自分たち人間が邪魔者扱いされているのだとすれば――。


「ご、ごめんなさい。やっぱり無理ですよね……」


 自分の発言を後悔した璃玖は、軽く手を振って笑顔を作ってみせたが、


「……いや」


 意外にも、ベルトホルトの答えは拒絶ではなかった。


「おまえが望むなら、一日に一度は食事をともにすることができるように取り計らおう」

「えっ……い、いいんですか?」

「いいも何も、望んだのはおまえではないか」

「そうなんですけど……」


 驚きと喜びと、ベルトホルトに迷惑をかけてしまったのではないかという不安と申し訳なさで混乱していると、


「余計な心配はするな。おまえの望みはできるかぎり叶えてやりたいと思っている」


 ベルトホルトはくしゃりと璃玖の頭を撫でた。


 ぼくのいちばんの望みは、もとの世界に帰ることなんだけど……。


 そんな思いが脳裏をよぎったが、口にはしなかった。ベルトホルトなら自分を悪いようにはしない。いまはただ、この大きな手のぬくもりに身を任せていたかった。


 その日は結局夕方まで疲れを感じることはなく、璃玖は庭で虫や小動物たちと戯れて過ごした。

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