第15話


 ミステリアスなバスは、車体の前部をやや前かがみにして国道九号線を突き進んだ。


 老巧な運転手は、これまでのキャリアの全てを安来に向かうこのオンボロバスの運転に注ぎ込んでいるように見えた。

 わずかふたりになってしまった乗客を目的地に一刻も早く運ぶために。


 安来にはこれまで二度訪れている・・・


      *   *   *


 松江で知り合った江美とは、結局三年間ほど付き合った挙句、ふたりの間の結晶が流れてしまう事故や様々な出来事があって、彼女はある日突然私の前から姿を消した。


 いなくなってしまった翌月、おそらく実家に帰ったに違いないと意を決して会いに行ったが拒絶され、でも諦めきれなくて二週間後のクリスマスイブに再び訪ねた、懐かしい思い出である。


 最初に訪ねた日、安来の駅に到着した時刻はすでに午後二時を過ぎていた。

 私の実家がある今治駅よりもずっと小さな駅だったが、この町に江美が住んでいるのだと思うとこころが震えた。


 駅員に江美の実家の住所を見せると分厚い地図を出して調べてくれ、実家はかろうじて歩いて行ける距離に位置していた。

 私は慣れない雪道を滑らないように注意しながら向かった。


 雪はいつの間にか降り止んでいたが、肌を差すような厳しい寒さだった。

 いくつかの寺院の近くを通り、安来公園を抜けてしばらく歩くと大通りにあたり、それを越えると伯方川が見えた。


 江美の実家はその川沿いから少し入ったところにあった。

 付近は広大な農地が広がっていて、江美の実家は何軒かの大きな農家が飛び飛びに所在する一角にあった。


 開いていた門から玄関まで歩く間に、あらかじめ鞄に入れていた京菓子を取り出し、少し緊張してインターホンを鳴らした。

 しばらくして戸が開いた。


「どちらさまでしょうか?」


 江美の母親と思われる女性が不思議そうな顔で私を見た。

 農作業から帰ってきたばかりのような服装だった。


「京都の小野寺と申しますが、江美さんはご在宅でしょうか?突然でご迷惑かもしれませんが、いらっしゃったら少しお会いしたいのですが」


「小野寺さんと言われたですかね?江美はおりますが、お友達でしょうか?」


「はい」


「ちょっと待ってくださいよ、今呼んできます」


 彼女は私を中に手招いたあとで奥へ入っていった。


 家の中は外からの印象と違って内装が綺麗に施され、廊下はよく磨かれて木の光沢が反射していた。

 私は五分以上も待たされ、少し居辛さを感じはじめたころに彼女が戻ってきた。


「小野寺さん、私は江美の母親ですが・・・江美が、あのう、今日はお会いしとうないと申しちょります。せっかくお越しくださったのにそげなこと言わんでと何度も言うたのですが、すみません、あげな娘で本当に申し訳ありませんですが・・・」


「江美さんは、身体の具合でもお悪いのでしょうか?」


「いえ、特にそげなことはありません。私は少しでもお会いしたらと言うのですがね。せっかく雪の中、京都からわざわざいらしたというのに、困った娘で・・・」


 江美の心境を考えてみた。

 なぜ顔を見せてくれないのだろうと考えたがどうにも分からなかった。


 母親に京菓子を手渡して「心配していますとお伝え願えませんか」と言葉を託し、夕刻四時半過ぎの列車に乗ってやむなく帰った。


 列車は暖房が効きすぎて暑いくらいだったが、私のこころの中は冷たい風雨がずっと吹き荒れ、びしょ濡れになっていた。

 いったい江美はどうしたというのだろう。


 流産のショックが私の想像などはるかに及ばない大きな傷を与えたのか、それともひとつの命を失ってしまったことが、江美にとっては道徳的或いは宗教的な意味合いの断罪を言い渡されたと受け取ったのか。


 私には江美のこころを読み取れる術はなく、自分への腹立たしさと、砂を噛むような惨めな気持で京都へ帰った。


     *   *   *


「おじさん、どのあたりで降ろしてもらうの?」


 有里紗の言葉にまた現実に戻った。

 バスは松江市をあとにして安来市内に車体を踏み入れていた。


「安来駅からおじさんが訪ねる家への道は覚えているんだ。ずいぶんと変わっているかも知れないけどね。君はどこを訪ねるのかな?」


 有里紗は考え込むような仕草をしたあと、「お母さんの実家に行くしかないのよね。そこから明日お墓に案内してもらう」と言った。


「実家の場所は覚えてる?」


「駅に着いたら電話をしてみる」


 有里紗が目的の場所へ無事にたどり着くまで一緒にいてやろう。

 日が暮れるまでまだ何時間もあるのだから、まずは彼女の目的を見届けてからだと私は思った。

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