第14話
有里紗と松江城の天守閣の望楼から宍道湖やその向こうに見える町並みを眺めていると、やはり昔の懐かしい記憶が次々とよみがえってくる。
「ここからの景色って最高ね」
有里紗が宍道湖の湖面を眺めながら言った。
「そうだね、いつまでもずっと観ていたいよね。おじさんは昔いろいろあってね」
「そうなんだ~」
有里紗は私の横顔を不思議そうな表情で見た。
* * *
松江の水郷祭のあと、四国四大祭りの一つである松山祭りが終わって大阪に戻った私は、秋からは真面目に大学の講義に出ていた。
そして秋も深くなったある日、江美は突然私の前に現れたのだ。
この日は早朝のバイトを終えて週に一度楽しみにしている「社会思想史」の講義を受けるため急ぎ足で大学へ向かっていた。
一時限目から講義を受ける学生たちは、皆真っ直ぐ正面だけを向いて歩いていた。
緩やかな坂を上りきって正門に着くと、門の中に吸い込まれていく学生たちとは少し離れた位置でひとりの女性が佇んでいた。
ダークグレーのスーツに黒のハイヒール姿のその女性は、学生とは異なった大人の雰囲気を漂わせていたが、大学職員でもなさそうだし、バイトの求人担当かなとあまり気にも留めず私は入口へ急いだ。
するとその女性が私の方向に駆け寄ってきて叫ぶように言うのだ。
「小野寺君、私よ!」
走り寄って来た女性は、何とあの野口江美だった。
彼女は松江のときとずいぶん雰囲気が違っていたので、全く気がつかなかった。
「驚いたなあ、どうしたんですか?」
島根の松江での出来事も月日が経つにつれて風化されようとしていただけに、驚きと一緒に懐かしさがこみ上げてきて、私は次第に嬉しくなってきた。
「すごく大きな大学なのね。朝からこんなにたくさんの学生さんがドッと来るから、絶対見つけられないわって、あきらめようと思っていたところなの」
学生たちは私と江美をチラッと見て、怪訝そうな顔をして正門へ入って行った。
「何時から待っていたのですか?ここには一万人位の学生がいるんですよ。無茶過ぎますよ」
「そうね、三十分くらい前かしら。もし一時間ほど待っても見つけられなかったら、大学の中に入って、あなた法学部って言っていたでしょ、だからそこの事務所へ行って小野寺浩一君の住所を教えてくださいって訊こうと思っていたのよ」
「そんなこと簡単には教えてくれませんよ。ああもう・・・あなたって人は。ともかくちょっと喫茶店にでも入りましょう。さっきから皆がジロジロ見ていますから」
そんな無謀なことを簡単にやってのける江美だから、長門湯本を出て、確かな根拠など何もないのだが、きっと今は安来にいるに違いないと思った。
きっと何かが動いているのだ。
その証拠に、日本海に沿って東へ行けば安来にたどり着くだろうと考えた私を、「希望浜」と消えそうな文字で書かれた時刻表のないバス停にミステリアスなバスが現れて、行先を告げなくとも目的地に運んでくれているではないか。
* * *
「おじさん、そろそろバスに戻ろうよ」
有里紗の言葉にまた我に返る。
そうだ有里紗は亡き母の墓参りのために安来に向かっているのだ。
「ところで有里紗ちゃん、君の亡くなったお母さんの名前は江美じゃないよね?」
江美から結婚したと連絡があったのは五年ほど前だから、目の前の有里紗が江美の娘であるはずがないのだが念のため訊いてみた。
「違うよ、お母さんの名前は多美子っていうのよ」
「もうすぐお墓にたどり着けるね。もうひと頑張りだ」
「うん」
バスが待っている場所に戻ると、運転手はすでにエンジンをかけていつでも出発できる状態で私たちを待っていた。
ふたりだけを乗せたミステリアスなバスは目的地の安来へのラストスパートに入った。
こころが自然と昂ぶり、横の有里紗は次第に顔がこわばってきているのがはっきりと分かった。
運転手さえもが緊張の面持ちでしっかりとハンドルを握り、目的地の安来へ脇目も振らず向かっていた。
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