第13話

 有里紗と松江城の天守閣に入ってみると、二十年近く前に江美と訪れたときの記憶が、まるで再現フィルムみたいによみがえり、横にいるのは有里紗ではなくて江美のような錯覚にまで陥るのであった・・・。


     *   *   *


 「ビストロ・マルコ」でのひとときは心地よいランチタイムだった。

 お勘定は江美がすべて支払った。


「あなたは学生、私は社会人よ。さっき冴えない貧乏学生ですって言っていたじゃない。それに私が誘ったのだからね」


 自分の分だけでも払おうとすると、江美はまた違う種類の笑顔で窘めた。

 外に出ると猛烈な暑さで、江美は空を見上げながら少し戸惑った様子だった。


「とりあえず松江城・・・行ってみる?」


「松江といえば宍道湖と松江城だよね。じゃ、松江城だけ案内してもらおうかな」


「分かった」と江美は言い、私たちは駅前からタクシーに乗った。


 容赦なく照りつける強い陽射しのため、エアコンの効きの悪い車内は窓を開けていても蒸れるように暑く、汗で濡れた私の右腕に江美の左腕が触れ、彼女の汗ばんだ腕の感触にドキドキした。


 タクシーを降りると、アスファルトに反射した蜃気楼で遠くに見える松江城の天守閣が揺れ動いていた。

 水郷際では宍道湖で何千発もの花火が打ち上げられて多くの人で賑わった松江城だが、この日は観光客も少なく、一昨日まで祭りがあったことが嘘のように静かだった。


「松江城って思ったより立派だな」


「松江城はね、全国でも有名なお城のひとつなのよ。でも築城にまつわる悲しい話もあるの。少しだけ聞きたい?」


「もちろん聞きたい」


 松江城の悲話よりも彼女が説明してくれることに興味を持った。


「それでは遠くからお越しになった小野寺様、松江城の築城にまつわる悲しいお話を少しいたしましょう。

松江城は関が原の合戦のあと、初代城主の堀尾吉晴という人が五年の歳月をかけて築城したのですけど、すんなりとは完成しなかったのです。本丸の石垣と天守閣の土台が何度も崩れ落ちて、なかなか工事が進まなかったのですね。

原因を調べてみたらその場所に槍が貫通した頭蓋骨が出てきました。これが原因だと判り、城主様の指示により急いで祀ったのです。

そのあとは築城も順調に進み完成の運びとなりました。それから今度は松平直政氏の代になってからの出来事で、天守閣の最上階に「天狗の間」というのがあるのですが、そこに若い女性の亡霊が出たのです。

いろいろ調べさせたところ、この女性は前に崩壊した石垣の場所に人柱として埋められていたことが判ったのです。盆踊りの最中にさらわれて、人柱として埋められてしまった可哀相な女性だったわけです。

昔はひどいことをしていたのですね。このときも松平氏が宍道湖のコノシロを供えたらもう亡霊は出なくなったとのことです。おしまい」


「すごいね、暗記してるんだな」


「毎日のように案内しているんだから嫌でも覚えるのよ」


 私たちは日陰を求めて急いで天守閣に入った。

 内部はヒンヤリとしていて、流れ出ていた汗が引いた。急な傾斜の階段では先に立って手を差し出し、彼女が握った私の手から心臓が脈を打つ音が伝わっていないかと気になった。


 最上階の望楼に上がり南方向を眺めると、美しい宍道湖がすぐそこに見え、真夏の強い陽射しで、まるで魚の鱗のように湖面はギラギラと輝いていた。


「宍道湖って、すごく綺麗だね。来てみた甲斐があったよ」


「本当にそう思う?」


「もちろん本当にそう思っているよ」


「宍道湖で獲れる白魚は有名なの。そのまま食べてもいいんだけど、天ぷらにするともっと美味しいのよ。でも残念ながら今の季節は獲れないけど」


 私は明日の朝、松江を発って四国の松山へ向かう。

 江美とはこのまま別れてしまえばもう会うこともないかも知れないと思うと、少し残念な気がした。

 昨夜知り合ったばかりなのに、どうしてこんな気持ちになるのかが不思議だった。


     *   *   *


「おじさん、どうしたの?」


 有里紗の声に現実に返った。


「昔を思い出すと現実を忘れてしまうんだ、ごめん」


「フーン、そうなの」と有里紗は唇を尖らせて、少し不服そうでもあり、納得しているようにも見える顔つきで言った。


 私たちはしばらく天守閣から宍道湖や松江市内の街並みを黙って眺め続けた。

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