第19話 虚影の黒騎士
石造りの大聖堂は、冷えた闇に沈んでいた。
天井は高く、そこに届くはずの光はなく、代わりに深い影が垂れ込める。巨大な石柱が幾重にも連なり、奥の奥まで視線を投げても、尽きることはなかった。
採集隊の面々は、場違いなほど軽い声を上げていた。
「すげぇ……なんだここ、ゲームの宝物庫かよ」
「討伐隊からは報告されてなかったよな? おい、これ完全に未踏じゃねぇか!」
「ははっ、俺らが先駆者ってわけか! ギルドに戻ったら一杯奢れよ」
場の空気は浮ついている。
だが、蓮の胸中だけは違った。
――おかしい。
彼は入り口に背を預けるようにして立ち、他の連中とは違い、一歩も動かず周囲を見渡していた。
ただならぬ違和感が、骨の髄を這うようにまとわりついて離れない。二重ダンジョンで味わった、あの底知れぬ恐怖。それと酷似した気配が、この大聖堂を満たしていた。
そんなときだった。
大聖堂の中央、石床の半ばに走る黒い溝――水路のような仕切りが、蓮の視界をかすめた。
そこを流れる液体は水とは程遠い。漆黒に、ところどころ青い光が混ざり、まるで闇と星空を溶かしたような不気味な色彩を放っていた。
蓮の心臓が跳ねる。
――境界線。
あれは、絶対に踏み越えてはいけないものだ。
「よし、採集の準備だ!」
浮かれた声とともに、数人のモブ隊員が草を摘み取り始める。その中に、橘も混ざっていた。何気なく辺りを見渡しながら、彼女の足が、その水路を跨いでしまう。
「やめろッ!」
蓮の声は、強くもなく、かといって囁きでもない。全員に届くくらいの鋭さで響いた。
だが、遅かった。
次の瞬間――。
闇の奥から、紅の光が射した。
それは目だった。黒に溶け込む巨影の奥で、二つの眼が妖しく光り、空気を震わせる。
“何か”が、そこにいる。
他の隊員たちが「……え?」と戸惑う間に、蓮は確信していた。
姿はまだ完全には見えない。それでもわかる。
――虚影の
その存在を、システムがネームとして刻みつけた。
だが、その色は“赤”ではなかった。
濃く、深く、血よりも鮮烈な色――“真紅”。
「赤を……超えている、だと……?」
蓮の喉が震えた。
赤=格上の存在。それは今までの基準だった。だが、このネームは明らかに別格。未知のランク。蓮の全身を、理屈を超えた恐怖が貫いた。
そのとき、場違いなほどの重みが大聖堂に落ちた。
――ズシン。
地面を打ち震わせる一歩。
闇がわずかに晴れ、巨影の輪郭が浮かび上がっていく。
漆黒の甲冑。両腕で握られた大剣は、剣先を床に突き立て、臨戦体勢でありながら休息の構えをとっていた。その巨体はただ立っているだけで圧迫感を与え、視界に収まること自体が恐怖だった。
「な……なんだよ、あれ……」
「馬鹿な、聞いてねぇぞ! 討伐隊から一切!」
モブたちが後ずさり、橘も顔を青ざめさせる。
蓮だけが、黙然とその姿を見据えていた。
背筋に冷たい汗が伝う。
――やっぱり、そうか。これは……本物だ。
ヴォイド・レギオンの眼が、真紅に輝いた。
その瞬間、大聖堂全体を覆っていた闇が音もなく剥がれ落ちていく。
姿が露わになる。
巨体、甲冑、大剣。その全てが圧倒的で、暴力的で、神聖さすら帯びていた。
「ひ、ひぃっ!」
誰かが悲鳴を上げる。
そして、大剣が持ち上がった。
刃にまとわりつくのは、禍々しい黒のオーラ。触れるだけで魂を砕かれるような殺意の奔流。
「ヤバい! 退がれッ!」
モブの一人が叫ぶ。
振り下ろされる寸前。
大剣の軌跡が空を裂き、空間ごと引き裂くかのような圧を放ちながら――
――そこで、場面は途切れる。
⸻
一方そのころ、ダンジョンの外。
討伐隊の待機拠点では、異変に気づいた者たちがざわついていた。
「……おい、なんだあのゲートの揺らぎは」
「普通のゲートじゃねぇ……影が滲んでやがる」
黒い靄が門の表面を這い、ゆらゆらと波打っている。
「まさか、これ……イリーガル・ゲートじゃねぇか?」
「嘘だろ……それって、閉鎖されて出入り不可能になるって話じゃなかったか?」
「どうすんだよ! 中に採集隊が入っちまってるぞ!」
「だが、入れねぇんだよ……閉じてやがる。助けに行きたくても、どうにもならねぇ」
焦燥が広がる。
だが誰一人として、あの内部で何が始まろうとしているのかを知る者はいなかった。
⸻
再び、大聖堂。
虚影の
死を告げるその一撃が、空間全体を切り裂かんと迫る。
――次回へ続く。
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