第20話 影灯と黒騎士

 漆黒の大聖堂に、鈍く重い音が轟いた。

 それは大地の奥底から響くような、いや、空間そのものを震わせるような――絶望の鐘の音に等しいものだった。


 次の瞬間、空間を支配していた闇がわずかに薄れ、奥の闇の奥から、巨躯の影が輪郭を帯びて姿を現す。


 《虚影の黒騎士(ヴォイド・レギオン)》。

 その体躯は三メートルを優に超え、漆黒の甲冑に包まれている。顔の部分には仮面のような面頬があり、眼窩の奥に赤黒い光が滲んでいた。

 握られた大剣は人間の背丈ほどもあり、その刃からは禍々しい瘴気が立ち上る。


 ――ドォン。


 一歩、踏み出しただけで床石が割れ、亀裂が走る。

 その異様な存在感に、採集隊員たちは一様に息を呑んだ。


「な、なんだよあれ……!? 討伐隊からこんな報告、聞いてねぇぞ!」

「嘘だろ……S級? いや、あんなの見たことねぇ!」

「……こ、これ冗談じゃねぇよな……?」


 浮かれていた空気が、一瞬で凍りつく。

 誰もが理解した――これは、自分たちの手に負える相手ではない、と。


 だが、理解したところで遅かった。


 黒騎士が、大剣をゆっくりと持ち上げる。

 空気が悲鳴を上げるように震え、床に影が濃く広がる。


 ――ドシュッ。


 振り下ろされた瞬間、衝撃波が奔った。

 床石が砕け、爆ぜるように破片が飛び散る。


「うわぁああああッ!」


 数名の採集隊員が、声を上げる間もなく叩き潰された。

 人の形を保てないほどの衝撃に、血肉が霧のように散り、大聖堂の床を赤黒く染める。


「や、やめろぉぉぉッ!」

「逃げろっ! 逃げろォ!」


 残された者たちは、蜘蛛の子を散らすように走り出す。

 だが、逃げるには空間が狭すぎた。重厚な石壁に遮られ、絶望が迫る。


 その光景を見て、蓮の喉は音を失っていた。

 だが次の瞬間、脳裏をよぎったのは冷徹な直感だった。


 ――逃げても、全滅する。


 ここで背を向ければ、全員が殺される。

 ならば、少なくとも時間を稼がなければ。


「……クソッ……!」


 蓮はストレージに意識を集中させた。

 次の瞬間、手の中に冷たい重みが収まる。


 ユニーク短剣影灯


 闇を思わせる黒き刀身に、淡く青白い光が宿る。

 それはまるで、漆黒の夜に揺れる小さな灯火のように――微弱でありながら確かな存在感を放っていた。


「……頼むぞ」


 蓮は短剣を逆手に構え直す。

 心臓が破裂しそうなほどに打ち鳴らされる。だが足は止めなかった。


 黒騎士が、再び大剣を振り上げる。

 その刃が放つ圧は、竜巻のように空気を裂き、髪を逆立たせた。


「来いよ……!」


 蓮は床を蹴った。


 ――ドガァンッ!


 振り下ろされた剣を、紙一重でかわす。

 背後の床石が粉砕され、瓦礫が弾丸のように飛び散った。

 石片が頬に突き刺さり、熱い血が伝う。


「……っ!」


 痛みを無視して、懐に飛び込む。

 《影灯》が黒い残光を描き、甲冑の胸を狙った。


 ――ギィンッ!


 甲高い音と共に、衝撃が手首を痺れさせる。

 刃は通らない。岩壁を突いたような反動が全身を揺さぶった。


「嘘……だろ……!」


 息をつく暇もなく、大剣が横薙ぎに振るわれた。

 轟音と共に突風が吹き荒れ、肺が押し潰されそうになる。


 蓮は腹這いに転がり、背中すれすれで斬撃をかわした。

 直後、背後の石柱が粉砕され、崩れた瓦礫が雪崩のように落ちる。


 汗が額を伝う。息が荒い。

 肩で呼吸しながらも、蓮は短剣を離さなかった。


「はぁ……はぁ……来いよッ!」


 強がりの叫びで、自分を奮い立たせる。

 それでも分かっていた。

 ――この戦いは、分の悪さどころの話ではない。


 黒騎士の動きは、重厚でありながら速い。

 まるで死そのものが歩いてくるかのように、逃げ場を塞いでいく。


 蓮は再び走った。

 影のように踏み込み、渾身の突きを脇腹へ放つ。


 ――ガギィンッ!


 またも弾かれ、今度は手首の皮膚が裂けた。

 熱い血が柄を伝い、掌を濡らす。


「……クソッ!」


 だが、握りを強める。

 手を離せば、それで終わる。


 黒騎士の眼が、不気味に赤く揺らめいた。

 その視線に射抜かれ、蓮は全身の血が凍るのを感じた。


 ――次の瞬間。


 大剣が閃き、肩口を狙って振り下ろされる。


 「っ……!」


 蓮は身を捻り、辛うじてかわす。

 だが刃先が肩を掠め、熱い痛みが走った。

 血が飛沫のように散り、床を染める。


「……ぐッ!」


 片膝をつき、息を荒げる。

 肩に力が入らず、腕が震える。

 それでも《影灯》を手放さなかった。


 ――まだ、終わらない。


 目の前の怪物を見据えながら、蓮は奥歯を食いしばった。

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