第17話 違和感の兆し

 病室の白い天井をぼんやりと眺めていた蓮は、無意識のうちに枕元のスマホへ手を伸ばした。

 画面を起動すると、鮮やかな地図が広がる。ゲートマップアプリだ。


 日本列島のあちこちに光点が浮かび、それぞれが色でランク分けされている。

 青はE、緑はD、黄色はC、橙はB――そして、最上位を示す赤色のSランクは、まだどこにも存在しない。


 蓮の視線は自然と中央区、日本橋近辺に引き寄せられた。

 その一角に、小さな黄色の光がひとつ、強調されたように浮かんでいる。


「……Cランクか」


 本来なら、Fランクの自分が触れられる領域ではない。

 いつもなら警告が表示され、「参加資格外」として弾かれるはずだ。


 だが、その黄色い光をタップしても、エラーメッセージは出ない。

 代わりに、参加申請画面がすっと開いた。


 ――違和感。

 それは確かにあった。だが蓮は眉を寄せただけで、深くは追及しなかった。


「まあ……いいか」


 軽く息を吐き、指先で申請ボタンを押す。


 表示されたメンバー一覧には「採集隊」と記されていた。

 討伐隊とは別枠で、五人まで参加可能な補助チーム。

 戦闘を担うのではなく、ダンジョンボスの手前までで鉱石や素材を採取する役割。


 正式ルール上、Cランクまでのゲートでのみ編成が許される枠だ。

 安全策とはいえ、二重ダンジョンに変貌する危険がゼロではないため、最低限の人員が割り当てられている。


 蓮の胸の奥に、かすかなざわめきが生まれる。

 二重ダンジョン――あの死線の記憶が脳裏をかすめたからだ。


 だがそのざわめきは、ほんの一瞬で押し込められた。

 あの時とは違う。今の自分には、影の眷族たちがいる。

 システムによって刻まれた、確かな力がある。


 申請が承認されると同時に、画面に集合場所の座標が表示された。

 中央区、日本橋近辺。

 蓮はスマホを握りしめ、静かに立ち上がる。


◆ ◆ ◆


 ゲートの前には、すでに数人の覚醒者が集まっていた。

 いずれも採集隊として登録された者たちだ。

 彼らの視線が、一人遅れて到着した蓮に向けられる。


「……お前も参加者か?」


 粗野な声に、蓮は軽くうなずくだけで答えた。

 その瞬間、輪の中から見知った顔が歩み出てきた。


「神谷……君?」


 橘だった。

 二重ダンジョンを共に生還した男。

 その表情は驚きよりも、どこか嬉しさを含んでいた。


 周囲の採集隊員たちが、怪訝そうに視線を交わす。


「顔見知りか?」

「さっき名前、神谷って言ったよな」


 橘は短く息を吐き、真っ直ぐに言い切った。


「彼は……俺の恩人だ」


「恩人!?」

「Fランクの神谷が……橘さんの?」


 ざわめきが広がる。

 蓮は気まずさに耐えきれず、視線を逸らした。


「……そんな大げさなものじゃない」


 小さくつぶやく声は、雑踏の中にかき消えていく。


◆ ◆ ◆


 採集隊は簡単な自己紹介を済ませ、ゲートの中へと足を踏み入れた。

 内部は湿り気を帯びた岩の回廊。青白い光を放つ魔鉱石が壁に埋まっている。


 他の隊員たちは慣れた手つきでツルハシを取り出し、鉱石を掘り始めた。

 金属音が響き渡り、どこか牧歌的ですらある。


 だが蓮は、その場に立ち尽くしたままだった。

 胸の奥に、説明のつかないざらつきが広がっていく。


 空気の密度が、わずかに変わった気がした。

 足元に伸びる影が、心なしか揺らいで見える。


 ――これは。


 二重ダンジョンに呑み込まれる直前、あの時と同じ、重苦しい気配。

 理屈ではない。

 直感が、確実に告げていた。


 このゲートは――何かがおかしい。

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