第16話 影と契約(後編)

 協会本部の最上階。

 加賀美惣一は、窓の外に広がる夜景を見下ろしていた。

 東京湾を臨むその光景は、平和そのものに見える。

 だが、彼の知る現実は違った。表の平和の裏で、覚醒者社会は常に爆発寸前の火薬庫だった。


「……影ノ座、か」


 ぽつりと、誰にも聞かせぬ独り言。

 その名を耳にした者のほとんどは、ただの都市伝説だと笑い飛ばすだろう。

 だが加賀美は知っていた。暗黒の組織影ノ座は実在する。

 その歪んだ思想――覚醒者の力を国家の枠組みから解き放ち、世界を闇から統べるという狂信的な理想。

 それが実現すれば、人類社会は滅びの道を歩む。


 机上の端末に、新たな暗号通信が届く。

 画面に浮かんだのは海外発の情報網。差出人はヨーロッパ拠点の監視組織――《白き契約(ホワイト・コヴナント)》。


『確認された:九条零士の周辺に影ノ座の残滓あり。

 監視対象として要注意』


 短い報告文。その背後に広がる意味は重い。

 《白き契約》は長年、影ノ座を追い続けている。

 そしてその名を結びつけられたのが、よりにもよって協会内部の監査員――九条零士だった。


「……やはり、か」


 加賀美は唇を結び、指先で机を軽く叩く。

 九条は有能だ。いや、有能すぎる。

 だが同時に、不可解な死亡例や覚醒者失踪の影に、常に彼の名がちらついていた。

 証拠はない。だが、勘は確信に近い。


 ふと、脳裏をよぎるのは別の名。

 ――神谷蓮。

 偶然のように九条と同じ攻略戦へとアサインされた少年。


「本当に偶然、なのか……?」


 協会が作成するパーティーリストに、最下位ランクの少年が選ばれることなどありえない。

 そこには必ず「意図」が介在している。

 だがそれが人為的なものか、あるいは――もっと異質な“システム”の干渉か。

 加賀美の胸中には、常にひとつの疑念が渦巻いていた。


「……君の父は、もし生きていたら、この歪みをどう見ただろうな」


 亡き友への言葉を漏らすと、加賀美は静かに瞳を閉じた。

 蓮の背後に見える影。その正体が、かつて共に歩んだ男の意志と繋がっているのかもしれない。

 だが、それを確かめる術はもうない。


 その頃――。

 海外、ヨーロッパ某国の古城にて。

 漆喰の壁に蝋燭の炎が揺らめく広間で、フードを被った者たちが集っていた。


「日本で再び動きがあったそうだ」

「白き契約の連中が我らを嗅ぎ回っている」

「愚かだな。すでに九条という刃は、我らの意志を宿している」


 そこに座すのは影ノ座の幹部格。

 低く響く声が広間を震わせる。


「いずれ、神谷蓮という存在も浮かび上がるだろう。……必ず排除せねばならん」


 その言葉が示す通り、蓮の存在は既に「偶然」ではなく、世界規模の陰謀の中で注視され始めていた。


 一方で――。

 《白き契約》の監視員もまた、東京行きの航空便に搭乗していた。

 黒髪をまとめ上げたスレンダーな女性。

 その瞳には、冷ややかな観察者の光が宿る。


「……九条。そして、神谷蓮。

 本当に“歪み”を抱えているのは、どちらなのか」


 彼女の調査の矛先は、当初は九条ただ一人に向けられていた。

 だがやがて、思いも寄らぬ人物――蓮との接触を果たすことになる。


 それは、まだ誰も知らない未来の一幕だった。

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