あの日のこと

「あの日のこと、教えてくれないかな……?」

「え……」

 夏美の表情が曇り、少し渋ったからか、「ごめんね、本当に無理にじゃなくていいんだ」と今田は慌てて言った。

 夏美は事情聴取で言われたことを思い出した。


『三橋さんがいなくなったとき、あなたはどこにいたの?いなくなったことに途中で気がつかなかった?』


 今田はあの日のことを聞いてどう思うだろうか。

 あの日、亡くなる前に彼女の一番近くにいたのは自分だった。

 彼も疑うだろうか。

 けれど心配そうな目を向ける今田を見て夏美は決心した。

「大丈夫です」

 順番にちゃんと話すだけ――。


「あの日――」

 夏美は記憶を探りながら少しずつ伝えた。


 合宿初日の活動は、海岸のゴミ拾いだった。

 合宿地に着いてから宿泊所に荷物を預けて、昼過ぎから海に向かった。

 作業中、照りつける日差しは強く、体力的には辛かったが、きれいになった浜辺を見たあとは、達成感を感じた。

 はまボラ部は毎年この時期に来ているため、海の家を経営しているオーナーも先輩たちと顔見知りで、休憩時には部員たちにジュースやアイスの差し入れてくれた。

 夕食後は合宿所に戻ってバーベキューをして、その後にみんなで買った花火をやった。


「玲奈とずっと一緒だったといわれると……。なんていったらいいのか。他の子たちとも話したり作業してましたし、どちらかというと私は明香と一緒にいました」

 今田は頷きながら話を聞いている。

 実際ご飯を食べたり、花火をしたとき夏美の隣にいたのは明香だった。


「合宿初日の夜――、玲奈がいなくなった夜ですね。私、玲奈とくじで同じ部屋になったんです。もう一人は同じ一年の小谷こたにさんでした」

 小谷は夏美たちと同学年ではあるが、学部は違う。

 けれど教養科目などでは一緒になることはあり、会えばそれなりに話をしたりする。

 その日は寝るまで話は尽きなかった。

 

「その夜、玲奈たちと話したことは別に大したことじゃないです。普段と変わらない、わりとくだらないこと」


 ゴミ拾い後に先輩たちが水着になって海ではしゃいだのが面白かったこと。

 バーベキューで作った焼きそばが存外美味しかったこと。

 使っている化粧品。

 髪のケア。

 始めたいと思ってるバイトの話。

 疲れていたわりにそんな話で盛り上がり、気が付いたときには深夜の1時を過ぎていた。

 寝る直前も玲奈は笑って話をしていた。

「確か……、『寝相悪いし、寝ぼけて変なことするかも』みたいな、寝相の話とかもしました」

「三橋さんって寝相が悪かったんだ?」

「それは正直分からないです。結局のところ寝ている姿を見ていないので……。でも、そのときは気にしなくていいよって言いました。あと――」

「あと?」

 

『あ、あと明日、あたしのことちゃんと起こしてね?』

 

「玲奈あのとき、そんなこと言ってました。『起きれるか分からないから不安だ』って」

「そうなんだ……?」

 今田は首を傾げて不思議そうな顔をした。

「玲奈って一人暮らしだったけど、……だからなのか、1限がある日は教室に着くのギリギリなこと多くて……」

「あぁ、実家と違って起こしてくれる人がいないからね」

 今田は苦笑いしながら頷いた。


 結局その日は「おやすみ」と互いに声を掛け合って、寝に入った。

 実際直ぐに寝ることなどは出来なくて、暫くは胸がずっとどきどきしていたのを覚えている。

 初めての合宿が面白くて楽しかった。

 翌日もこんな感じだと思っていた。

 楽しく終わるはずだった。


「――でも翌日、目を覚ましたときに玲奈はいなくて……」

 最初はトイレかと思った。けれど、十分を過ぎても戻ってくる気配はなく、電話をかけても出なかった。しまいには部屋からバイブ音が聞こえてきて、玲奈のスマホは部屋に置いたままであることが分かった。

 結局集合時間近くなっても戻って来なかったため、先輩に連絡してみんなで探すことになった。

 海の家も近くのスーパーやコンビニにも、彼女の姿はどこにもなかった。

 一日中探したけれど、玲奈は見つからなかった。

 学校と自宅に連絡して、地元の警察に捜索を依頼することになった。

 見つかったのは、その日の夕方だった。

 海岸の岩場で挟まるようにして亡くなっているのが見つかった。

 来ていた服は、あの夜、三人で寝たときと同じ格好だった。

 先輩や警察が「見るな」と指示したので、夏美は亡くなった玲奈の姿を、彼女の遺体を少しの間しか見ていない。


 海岸で見つかった玲奈は、最終的に自殺もしくは事故と片付けられた。

 夜遅くに彼女が海辺に向かって一人、歩いていくところを近くの住民が目撃していた他に、彼女の身体の傷は他人から受けたと思われるものはなく、事件性は極めて低いと判断されたためだ。


「自殺か事故、か……」

 ひと通りを聞いたあと、今田は眉をひそめた。

「その、玲奈のことを見かけたって住民は、すれ違ったときに声をかけたようなんです。玲奈が俯きながらふらふら一人で歩いてたから。でも心配して声をかけたのに、ガン無視されてしまったようで……。結局そのまま通り過ぎてしまったって……」

「なるほど……。その人の証言だと三橋さんは自分から海のほうに向かって行ったんだね」

「そう、ですね……」

 海に向かって歩いてたときは、何を考えていたんだろう。既に死のうと決めていたんだろうか。

 人の声を無視するほど海に向かう必要が、理由が、強い意志が彼女にはそのときあったのだろうか。

「うーん……」

 今田は腕を組みながら唸ったあとに一旦くうを見つめると、視線を夏美に戻した。

「自殺なら、どうして合宿先で死のうなんて思ったんだろう……」

「それは――」

 それは夏美含め周囲の人間の誰もが思っていることだ。

 きっと親しかった友人や家族でさえ、彼女が死を選ぶ理由など分からない。


 だからだろうか、彼女が亡くなってから、ずっと心にモヤがかかったような感覚がついてまわるのは。


『あ、あと明日、あたしのことちゃんと起こしてね?』


 時間が経った今でも心の奥でずっと引っかかっている。

 自殺しようとする人がそんなこと言うんだろうか。

 けれども、他殺の証拠もない。

 事故なら、なぜ知らない場所で深夜に一人で外に出たのか。

 そして自殺なら、何がきっかけで死にたいと思ったのか。

 自殺は、止めることができたんだろうか。


「あ……、ごめん。佐々岡さんを疑っているわけじゃないよ。ただ単純に、なんでなんだろうなって」

 黙ったまま俯く夏美をなだめるように今田は言った。


「良かったら、送るよ」と、心配した今田は夏美を駅まで送っていった。

 夏美が駅の改札を抜けて、ホームへの階段を昇ったところを見計らって、今田は駅から離れた。

 そして、ちょうど体の左側。誰もいないはずの空間に向かってポツリと言った。

「君も、分かっていないんだね、……」


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