第2話「それはMRI検査中、宇宙を想像したら起きていた」
吉田が他人の過去、それも「知られたくない暗くて罪深い過去」に映像化というかたちでアクセスできる能力を獲得したのは、一年ほどに医療機関で受診したMRI検査がきっかけだった。
吉田は、40歳を前に勤め先の同僚に勧められて受けた人間ドックのMRI検査で、不思議な体験をした。それはとても神秘的で、現在立証されている科学の知識では説明できない謎めく現象だった。
体を仰向けた状態でカプセルのような細長い形状の空間に入った吉田は、検査中、脳が電磁波を浴びる不快と恐怖から少しでも逃れようと、頭の中で宇宙の絵を想像した。
広大無辺の宇宙に心を遊ばせることで緊張が解かれ、リラックスできると考えたのである。なぜそこで宇宙かは特別な理由などなく、電磁波といえば宇宙が思い浮かんだだけのことであった。
そんな軽い気持ちで星々の美しい輝き、銀河や青雲のダイナミックな動きなどを想像していたら、突然、目蓋の裏で金色の光線が幾重にも交錯し、頭の中でビーーーーンと大きな音が反響した。すわ事故かと驚き、大いに動揺したが、頭の中で鳴った音はすぐに消え、目を開けても正常な世界が映るだけでそのとき一瞬だけ異常が起こっただけかとほっとした。ただ、頭の奥でジリジリと小さな音が鳴り続ける異常だけは残った。
まもなく検査は終わり、他の検査項目もすべて終えて帰宅したのだが、頭の奥で鳴る小さな頭鳴りが残る以外は特別異常らしき症状はなかった。
翌朝目を覚ますと、不可思議な頭鳴りは消えていた。吉田は胸をなで下ろした。医療事故ではなく、一時的な症状だったことがわかり、心から安堵したのだ。
その日は倉庫作業のアルバイトを休みにしていたので、朝から行きつけの喫茶店でのんびりと過ごしことにした。いつも注文するエスプレッソを飲み、スポーツ新聞を開いて、目が疲れたら畳んで外の景色をぼんやり眺め、また開いて読むということを繰り返す。平和な時間が流れていた。
ふと、席と厨房、席と席の間を配膳やら片付けやらで忙しく立ち回る店員の姿に目が止まった。六十は越したと見える年老いた小柄な女性だった。吉田は暇つぶしがてら、この女性はどんな経緯からこの店で働くようになったのか、少しだけ興味が湧いた。結婚はしているのか、子どもはいるのか。結婚はしてもその後にいろいろあって離婚して、今は天涯孤独の身、年金だけじゃ生活できないからこんなところで働いているのではないか。などなど、名前も知らず口も聞いたことない人物の過去をあれこれ妄想していたら、突然、その女性の頭上に映像が浮かび、二度見したがそれは紛れもなくはっきりと肉眼で確かめられる映像だった。
その女性はタクシーに乗っていた。客ではなく運転するほうである。今より十歳くらい若く見えるが、間違いなくこの喫茶店で働く目の前の女性店員の姿だ。後ろに座る中年男性が手を伸ばし、女性のほっぺをなでている。その手つきがまたいやらしく、女性は嫌がるどころか楽しそうに笑っているところから、この二人がよんどころない関係だとわかる。いやそんなことより、吉田はわけがわからなかった。夢かと思ったが違う。頭の中で繰り広げている妄想などでもない。紛れもなく現実に起きていることで、この目にしっかりと映りだしている光景だった。
吉田は目を丸くしながら、引き続き女性の頭上で展開される映像を追った。そしたら次に異なる絵が浮かび上がった。それは、女性が泣いている姿だ。
そこは立派な額縁とか掛け軸とか熊の彫り物とかが飾られている応接室で、女性はソファで二人のお偉方らしい男性と向かい合っている。その片方、いかにも上司のご機嫌取りで出世して幹部ポストを掴みましたと見える小者風の気難しげな顔をしたオールバック眼鏡の男性が、タクシーチケットらしい紙をかざし、数字の箇所を指さしながら、女性を詰問している様子が映っている。その様子からして、女性はどうもタクシーチケットに乗車料金の金額をごまかして記載し、それが発覚したために呼び出しを受け厳しく尋問されているものと思われた。女性はただ俯いて泣きじゃくっていた。吉田は新聞が床にずり落ちていることも気づかずただ目を見ひらき口をあんぐりと開けその映像に見入った。
吉田は眼前に広がる映像が一体何を意味するのか。これは女性の過去の真実を正しく映し出しているものなのか、確かめずにはこのまま退店はできないと思った。会計しようとレジ前に立ち、対応に出た女性店員に、さりげなく「もしかして、昔タクシーに乗ってました?」と振ってみた。そのときのはっと驚き目を見ひらいた女性のリアクションで吉田はもう確信するしかなかった。女性はかろうじて、「え、ええ」とだけこぼしたが、その返事も疑問に対して肯定の裏付けをするものだった。女性はバツの悪そうに黙りこくり、変な空気が流れたので、吉田は慌てて「ちょっと似てる人が運転するタクシーに乗った記憶があったので。もしかしたらと思って。失礼しました」と弁明するように言ってそそくさと店を出た。
吉田はその後、アルバイト先の物流倉庫の同僚とか年下の社員とか事務員のおばさんとか、あるいは住んでいるアパートの隣に住む生活保護受けてそうな70くらいの年配男性とか週一くらいの頻度で清掃にくる管理会社のおじさんとかを相手に、女性に対してしたようにその人の過去についてあれこれ妄想してみたら、まったく同じようにくっきりとした映像が浮上し、その人しか知らないはずの過去、しかも眉をひそめたくなるような暗く醜い秘密の暴露が眼前で展開されるのを見たのである。
吉田は自分に、他人の過去を見る能力が備わったことを認めるしかなかった。それは怖いことのようであり、心をときめかすような高揚感が湧いてくるものでもあった。
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