第8話 モコは皿を舐めて、俺は格付けを聞いた
再び視線が食卓に戻る。
「この料理は……?」
カリンが目の前の皿を見つめ、好奇心を隠さない。
それは、彼女にとって見たことのない調理法だった。
「これは“炝拌野菜(チャンバンやさい)”。新鮮さが命なんだ!」
胸を張って答える俺。
みんなは恐る恐るフォークで少しだけ摘む。
普段は完全な肉食派の彼らにとって、野菜料理は少し敷居が高い。
「やっぱり肉のほうが……んっ!?」
バリーが口に入れた瞬間、瞳孔がぐっと開いた。
まるで未知の美味に出会ったかのように。
次の瞬間、皿に残っていた野菜を一気に平らげてしまう。
「こ、これは……不思議な味だな」
カリンも思わず小さく息を呑む。
瞳がきらきらと輝き、口からこぼれる言葉は感嘆そのものだった。
「しかも……まるで肉に負けてない」
「当然だ。本店の秘伝だからな!」
俺は得意げに笑う。
「“炝”っていうのは、まず熱した油で香辛料の香りを引き出して――それを食材に一気にかけることで、香りがふわっと立ち上がるんだ。まあ、これは“炝”流派のひとつにすぎないが――」
言いかけたところで、皿はすでに空っぽ。
最後のひと口まで、おじさんたちが競うように奪い合っていた。
「なんて妙技だ! 坊主、お前は親父さんよりずっと天才だな!」
俺は苦笑した。
(やっぱりこのおじさんたち、“炝拌(チャンバン)”だの何だのって技法には興味ないんだな。頭の中は酒と肴だけか……)
「じゃあ、次はこの二品をどうぞ」
俺の視線がテーブルの上に並んだ料理へ向かう。
一皿はスズキの清蒸だ。
雪のように白い身がほろりと開き、表面には透き通るソースが艶やかに光る。
立ちのぼる湯気には、生姜と葱のやさしい香りが混じっていた。
もう一皿は――
「あっ! これ知ってる!」
金髪の冒険者少女が、すかさず指差した。
「今朝のあれでしょ?」
「その通り」
俺は笑みを返す。
「ひとつは清蒸魚。そしてもうひとつは確かに煮込みだが……朝のとは違うんだ」
今夜の煮込みは、中華風の濃い味の醤油煮込み――いわゆる“紅焼き”だ。
同じ煮込みでも、朝の爽やかさとは正反対に、濃厚な醤油の香りが立ち上る。
主食と合わせてこそ真価を発揮する一品。
(さて……彼らの口に合うかどうかは、運次第だな)
二つの主菜――
ひとつは清らかで淡い味わい、もうひとつは濃厚で芳醇。
「これぞ男の料理ってやつだな!」
バリーが真っ先に紅焼きのイノシシ肉へと手を伸ばした。
濃いタレが肉塊を包み、口に入れれば臭みは消え、香りだけが弾けるように広がる。
「おおっ……! こりゃたまんねえ!」
「パンで拭って食えたら最高だな!」
おじさんたちが口々に感嘆する。
「もちろん、用意してあるさ」
俺が切ったパンを差し出すと、彼らはあっという間に平らげ、髭にまで赤いタレをつけて夢中になっていた。
一方その頃――
二人の少女とモコは、清蒸のスズキに強い関心を示していた。
「私が今まで食べた魚って、焼くか揚げるか、あとは煮るだけだったの」
金髪の冒険者少女が白い身をフォークでそっとすくい、口へ運ぶ。
「こんな調理法は初めて見た。でも……だからこそ、魚そのものの香りが際立つのね」
「うん……」
カリンが真剣にうなずく。
「これはきっと、新鮮な魚じゃなきゃできない調理法なんだね」
(さすが優等生……観察眼が鋭すぎる)
「その通りだ」
俺は笑みを浮かべて答える。
「素材が新鮮だからこそ、このやり方の価値が生きるんだ」
テーブルの端では、モコが我慢できずに前足で魚をちょいと引っかく。
だが身がつるりと滑って、顔から突っ込みそうになる。
その姿に少女たちが思わず吹き出した。
仕方なく俺が大きめに切ってやると、小さな体はすぐに食の世界へ没頭していった。
「こりゃなかなかだな。前に食べたC級の店よりうまいぞ。坊主セレン、お前の腕前ならB級評価でもおかしくねえ!」
バリーおじさんは酒杯を掲げ、髭にスープをつけたまま豪快に笑った。
「……C級? B級? それって何ですか?」
俺が首をかしげると――
「え? 話してなかったっけ?」
バリーは頭をかきながら答える。葡萄酒のせいか、いつもより饒舌だった。
「ランクってのはな、いくつかのギルドが共同で決めた店の格付け制度さ。絶対必要ってわけじゃねえが、ランクが高ければ客も増えるし、専属の業者が新鮮な食材を届けてくれるんだ」
(……要するに異世界版ミシュランってことか)
(で、高ランクになったら……まさかマント着て表彰式に出ろとか言わないよな?)
「セレン、お前の店はまだ登録してねえだろ? 一度試してみろ。きっと役に立つ」
バリーはぐっと親指を立てる。
「私に任せて!」
俺が返事をする前に、金髪の冒険者少女がぱっと手を挙げた。
瞳をきらきら輝かせながら、元気よく声を上げる。
「私が冒険者ギルドまで連れて行ってあげる! ついでに宣伝もしちゃうから!」
俺は彼女を見る。――確かに、冒険者ギルドなら彼女のホームみたいなものだろう。
テーブルの端では、モコが話なんて一切聞かず、皿に顔を突っ込んで残りのソースをぺろぺろと舐め取っている。
(……本当にのんきだなお前は)
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
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