第7話 モコが生まれた夜
夜が降りると、アルボルフェルトの街灯が一つ、また一つと灯り、窓からは温かな明かりが漏れ始めた。
俺はテーブルいっぱいに料理を並べ、カリンとバリーを待つ。
バリーが父さんの戦友を連れてくるかもしれないから、少し多めに作っておいた。
小さなキメラはおとなしく椅子に座っていたが、視線はずっと料理に釘づけだ。
「みんながそろってからだぞ!」
俺が真顔で言うと――
「きゅっ!」
小さな尾びれがぴんと立ち、ぴしっと自分の額の横を叩いた。まるで敬礼みたいに。
(……どこでそんな芸を覚えてきたんだよ)
ほどなくして、客たちが次々とやって来た。
「よう、セレン坊! 今日は景気づけに来たぜ!」
真っ先に入ってきたのは、バリーおじさんの朗らかな声。後ろには父さんの古い戦友が三人も続いている。
そのすぐ後に、カリンも駆けつけた。
彼女は俺が何も言わなくても自然に碗や箸を手に取り、手際よくみんなの前に並べていく。
その様子は、まるで俺よりもずっと店の主人らしかった。
「おやおや、小さなカリンも、もう立派な女将さんの風格だなあ」
戦友のひとりが笑いながらからかう。
「えっ、そ、そんなこと言わないでください!」
カリンの顔は一瞬で真っ赤になり、箸を並べる手つきもぎこちなくなる。
「みなさん、まだお酒も飲んでないのに……もう酔ってるんじゃないですか!」
そう口では反論しながらも――
結局、彼女は最後まで否定しなかった。
「何を話してるんですか?」
最後の一皿を持って出てきた俺は、ちょうどおじさんたちが意味ありげに笑い、カリンが顔を真っ赤にして俯いている場面に出くわした。
「な、なにも!」
カリンは慌てて俺の皿を受け取り、まるで話題をかき消すように手早くテーブルへ並べる。
みんなが触れたくないなら、俺も深くは追及しない。
「さあ、これで全部そろった。いただきましょう――」
その時、食堂の扉が勢いよく開いた。
「よっ、大将! 晩飯に間に合ったぞ!」
入ってきたのは、今朝の金髪の冒険者の少女だった。
「えっ……わ、私、今来ちゃまずかった?」
扉の前で立ち尽くし、にぎやかな食卓を見て一瞬ためらう表情を浮かべる。
「お客さんを立たせたままにするなんて何してるの、早く入って!」
真っ先に反応したのはカリンだった。
小走りに彼女の腕を引き、椅子を引いて座らせる。
その口元から小声のぼやきが漏れる。
「ほんとにもう……迎えるのは店主の役目でしょ……」
(……いやいや、店主は俺なんだが!? なんで彼女のほうが女将っぽいんだよ!)
心の中で突っ込みつつも、もちろん追い返すなんてできるはずもない。
お客はお客だし、今日の料理は十分すぎるほどある。
「そうそう、座ってくれ。君は俺の最初のお客なんだから、歓迎しない理由なんてないさ」
俺は笑いながら食器を一式そろえ、すっと彼女の前に置いた。
椅子の上から小さなキメラが「きゅ」と鳴き、まるで「ようこそ!」と同意しているかのよう。
少女は一瞬きょとんとしたが、すぐに微笑み、表情から緊張の色が消えていった。
◇ ◇ ◇
宴が始まった。
最初にみんなの視線が集まったのは、テーブル中央のスープだった。
「おお、このスープ……濃いな」
バリーが匙をすくい、口に含む。
それは普通の煮込みのように水っぽくもなく、果実ソースのようにねっとりもしていない。
まるでヨーグルトを思わせる、なめらかな舌触り。
口に広がるのはキノコの濃厚な香りと乳の甘み、そしてかすかなスパイスの余韻。
「うまい! 酒を飲む前にこれを一杯やれたら、胃がずいぶん楽になるわ!」
おじさんたちは大絶賛し、どこからか小さなワイン樽まで持ち出してきた。
(……結局それが目当てかよ)
思わず心の中で突っ込む。
もっとも、キノコの濃厚スープは確かに胃にやさしい。
「これって、確か“ポタージュ”って呼ばれるものよね」
金髪の冒険者少女が勺を取り、上品に一口。
「でも……こんなに滑らかで、味のバランスが取れてるのは初めてだわ」
まるで評論文でも書いているかのように、真剣に感想を口にする。
「王都の高級店と比べれば、味は少し劣るかもしれない。けど――このバランス感は勝ってる」
一刀両断。
(……まさかこの娘、ただのグルメか?)
思わず身構える俺。
すると、テーブルの端から小さなキメラの視線が突き刺さる。
前足で机をよじ登り、こちらをじっと見つめていた。
(あ、そうだ……名前!)
「みんな、ちょっといいかな」
俺は咳払いして声を上げた。
「この子の名前を、そろそろ決めようと思うんだ」
途端に食器を持つ手が止まり、場の空気がわっと沸く。
「フナってのはどうだ!」
最初に声を上げたのはバリーおじさん。
(……やっぱりそう来るか)
「いやいや、こいつはポチだろ!」
「タマも悪くないぞ!」
おじさんたちは大盛り上がり。
けれど当の小さなキメラは、思いきり嫌そうな顔をした。
(ふっ、この流れ……俺が決めるしかない!)
胸を張って口にする。
「なら――シロモフだ!」
一瞬、空気が固まった。
小さなキメラの瞳に浮かんだのは、なんとも言えない複雑な色。
「はははっ、やっぱり坊主もネーミングは苦手か!」
おじさんたちは爆笑。
「この子、ほんのりピンク色だし……フローラなんていいんじゃない?」
冒険者少女は詩的な名を提案するが、小さなキメラは首をかしげただけで反応しない。
最後に、カリンが口を開いた。
「じゃあ……モコってどう? ふわふわしてる感じが、ぴったりだと思う」
「きゅ!!」
小さな耳がぴんと立ち、尾びれがパタパタと音を立てる。
青い瞳がきらきら輝き、まるで「それだ!」と言わんばかり。
「決まりだね――モコ」
みんながうなずいて同意する。
(……おいおい、こいつは俺の心獣だろ!? 結局、気に入ったのはカリンがつけた名前かよ!)
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