第9話 モコ食堂、はじまりの証書
翌朝、俺は冒険者ギルドの前に立っていた。
市場にはあまり行かない俺だが、ここには妙に馴染みがある。――少年なら誰だって一度は「冒険者になりたい」なんて夢見るものだからだ。
「ごめんごめん! 寝坊しちゃって、待たせたよね!」
金髪を揺らしながら、エリスが駆け込んでくる。顔には気さくな笑みと、ちょっとした気まずさが浮かんでいた。
「昨日の晩ごはんがおいしすぎてさ……いい夢見ちゃって、起きるのが惜しかったんだ」
舌をぺろりと出す仕草が、やけに無邪気だ。
「そりゃまた光栄なことだな」
俺は肩をすくめる。どうせ店に客はほとんど来ないし、別に急ぐ用もない。
「そういえばさ、いつまでも“冒険者さん”じゃ呼びにくいだろ。まだ名前も聞いてないし」
「そっか。私はエリス……名字は秘密ね」
ウィンク一つ。多くを語るつもりはないらしい。
(やっぱり、お嬢様にはお嬢様なりの事情があるか……)
「じゃあ、入ろっか?」
俺は話題を切り替えた。
冒険者ギルドの中は思ったより静かだった。木の壁には依頼掲示板が張り出され、空気は酒と革の匂いが混ざっている。
人の数は多くないが、皆どうやらエリスの顔を知っているようだ。
「よっ、エリス。今日も依頼か? 一緒に組まねぇ?」
「おや、そっちの坊主は誰だ? まさか彼氏じゃねえだろ?」
「へぇ、エリスってそういうタイプが好みなんだ。俺も猫かぶればいけるかな?」
直球すぎる茶化しに、俺の思考は一瞬で真っ白になる。
(うわぁぁぁ……なんでこんな人見知り殺しの展開に……!)
だがエリスは慣れたものだった。軽く手を振りながら、にこっと笑う。
「違う違う! 彼は最近知り合った食堂の店主さん。すっごくおいしい料理を作るんだよ!」
「「「おおおっ!」」」
その一言で、場の空気が一気に盛り上がった。
冒険者の大半は料理なんて得意じゃない。ましてや街に家を持つなんて夢のまた夢だ。
だから彼らにとって「自炊する」こと自体が贅沢だったりする。
そんな中で俺が食堂の店主だと知るやいなや、何人もの冒険者がにやにやしながら寄ってきた。
「おいおい、お前の店が安くてうまいなら、休憩場所はそこに決まりだな!」
「最近依頼が山ほどあるんだよ。もしそこでさくっと飯が食えるなら、浮いた時間ぜんぶ稼ぎに回せるじゃねえか!」
(……あれ? 一瞬で冒険者食堂にされそうな雰囲気なんだが?)
ふと視線を上げると、依頼掲示板には朝だというのにすでに依頼書がぎっしり張られていた。
エリスは笑顔で皆に手を振りながら、軽やかに声をかける。
「稼いだらちゃんと店長の店で使ってあげてね!」
そう言うなり、くるりと振り返って俺の手を引き、そのまま二階へ。
登録窓口は依頼受注カウンターとは別で、二階の奥にひっそりと構えていた。
扉を開けると、そこは下の喧騒が嘘のように静かな空間。
壁際には帳簿や巻物が山積みで、木の机の向こうには一人の老人が座っていた。
穏やかな顔でペンを走らせていたが、俺たちに気づくと顔を上げる。
「おや? エリスか。今日はどうしたんだい?」
どうやら、この人もエリスのことをよく知っているらしい。
(ほんと、この子はどこ行っても顔が利くな……)
「友達を連れてきたの! 食堂の登録をしたいんだって!」
エリスは遠慮ゼロで答え、ついでに当たり前のように水を注いで飲む。その様子は、まるで自分の家みたいに自然だった。
「食堂の登録かい? そりゃ珍しい。町に新しい店なんてもう長いことできてないからね……最後に開店の話をしてたのは――確かフィルトだったか」
老人の声がふっと途切れ、表情に惜しむ色が浮かんだ。
胸の奥がきゅっと締めつけられる。
「ん……? そっちの子は……」
視線が俺に移った瞬間、老人の手が止まる。
「まさか……フィルトの息子なのか?」
空気が一瞬、張りつめた。
「こんにちは。俺はフィルトの息子です」
背筋をぴんと伸ばして名乗る。
「そうか、そうか……」
老人は目を細め、その声音には慈しみがこもっていた。
「フィルトの生前の願いを継いでくれるとは、わしも嬉しいよ。だがな――新しい食堂の登録は、必ずF級から始めなきゃならん。これは規則でね、わしにも例外はできんのだ」
「承知しています」
俺はためらいなくうなずいた。
S級やA級はともかく……少なくともB級レストランの水準なら自信はある。
それに、バリーおじさんも言っていたじゃないか。必須の条件じゃないと。
老人は満足そうに頷き、記入を終えた証書を手渡してくれる。
「早くランクが上がる日を楽しみにしているぞ」
そう言って、書き上げた告知の札を一階へ持って行き、掲示板に貼り出した。
俺は手元の証書に目を落とす。そこには大きく印字されている。
――《モコ食堂》
晩中悩んで、ようやく決めた名前だ。
「きゅ!」
肩に乗ったモコが嬉しそうに鳴き、尾びれでぺしぺしと俺の頬を叩いてきた。
(……ああ、やっぱりこの子の名前を看板に掲げるのが、一番しっくりくるな)
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