第3話 おヒメの絶叫


「大したものはございませんが……」


 そう言って、麦飯、ろくに中身の入っておらぬみそ汁、大根の漬物つけものをおヒメはそっとさし出す。

 おヒメの家で、飯のにおいをかぐことで意識をとりもどした忍者はしばし理性とのたたかいをしていたようであったが、


面目めんぼくねェ、面目めんぼくねェ、死ぬかと思った……! もうダメかと思った……!」


 と海賊マンガのキャラのような口調に変わりつつ、涙を流しながら飯をかきこんだ。

 おヒメはさすがに「クソうめェだろ」とは言わなかったが、慈愛に満ちた顔でその様子をながめている。


 麦飯のおかわりもついでやり、食事が一段落したところで、


「ところで忍者さま、お名まえは……」

 と問うた。


「拙者、忍者ではござらん」

「えっ」


 おヒメはおどろき、あらためて忍者の全身を見やる。

 顔の上半分こそ出ているが、飲食のとき以外面頬めんぼおで鼻から下を隠しているし、黒に近い濃紺で統一された服はもいかにも夜にまぎれられそうである。

 しかしおヒメが彼を忍者と認識したのはもっと直接的な部分であった。


「さっき忍法って言ってませんでした?」


 忍者は食後に飲んでいた薄い茶を盛大に噴き出す。


「にににに忍法?? 聞きまちがいではござらんか??」

「忍法と聞きまちがう言葉ってそんなにあります?」

「ほら吉報とかそんな感じの言葉と」

「忍法と吉報じゃちょっとちがうし、あの状況で吉報なんて口にします? 『【吉報】男が骨折したのかと思ったら木の枝と入れ替わってた件』とか言ってたっていうんですか昔の掲示板のスレタイじゃあるまいし」

「なんて?」

「ともかく私はこの耳でしかと聞きましたよ。忍法空蝉うつせみの術って。忍者以外に忍法ってつかえます? つかえないでしょ?」


 忍者はごまかすようにお茶を口へ運ぶが、動揺によりお茶が揺れに揺れてびちゃびちゃと周囲にこぼれまくっている。

 「きたなっ」とおヒメは言ったものの、


(まあここまで隠すということは、きっとなにか理由がおありなのであろう。助けてもらった身のうえであまり追求すべきでない)


 とさんざん追求したあとでありつつも反省し、


「いえ失礼いたしました。では忍者さまではないとして、お名まえは……?」


 と本来したかった話題へと戻す。

 どうにか急所への質問をまぬがれた様子の忍者は、ほっとひと息ついたあと泰然たいぜんと答えた。


服部はっとり半々蔵はんはんぞうでござる」

「やっぱ忍者じゃん!!」


 たまげたおヒメがひっくりかえりながら絶叫する。


「いや服部はっとり半蔵はんぞうではないでござるよ!? もし忍者だったら、かの高名な忍者服部はっとり半蔵はんぞう氏に似た名前、おそれ多くてつけられないでしょ知らんけど。貧乏武家ではござったが、たまたま服部はっとり姓をもつ親からさずかった大切な名でござる」

「いや、うーん、はぁ……」


 承服しかねる様子がまったく隠れていないものの、おヒメは「はい、半々蔵はんはんぞうさまですね」とどうにか気もちを落ちつけたあと頭を深々とさげる。


「私はおヒメと申します。先ほどはあやういところをお助けいただき、あらためて感謝いたしたく……」


「なに、おのれの欲望のために他人を犠牲にするようなやからは成敗されるが道理というもの。だというのに一飯いっぱんのお世話になってしまい、かえって拙者のほうが助けられてしまい申した」


「そんなことはございません。むしろ、恩人さまにこんな粗末な食事しかお出しできませなんだこと、お恥ずかしゅうございます。この村は海に近いので、魚の一匹も出したかったのでございますが、なぜか村長むらおさから『しばらく海に出ることは禁ずる』とお達しがありまして……」


「ふむ、なにゆえ?」


「理由は申しておりませんで、わからず……。いつものごとく私へのいやがらせかと思いましたが、村の者全員が対象のようなので今回はなにかあったようでございます」


「いやがらせ? 村の一員であるおヒメ殿がなぜいやがらせを……」


「私が『呪いの子』だからだそうでございます。私の父は村一番の商売人だったのでございますが、妻子のある身でありながら、そこで下女をしておりました母を口説いて姦通かんつうし、できたのが私だとか……」


 その言葉についで語られたおヒメの半生はんせいはなかなかにむごく、半々蔵はんはんぞうは眉間にしわを寄せながら耳をかたむけた。

 すきま風の絶えないあばらに、訥々とつとつとしたおヒメのうれいにぬれた声が満ちる――

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