ひばりと気分屋。 -1
高校生活最初の不満は、通学が大変なことだった。
僕の家から高校まで、自転車で通学をしている。
赤信号に引っ掛からない前提で三十分。今日は信号運が悪かったのか、寄り道もしていないのに四十分も掛かってしまった。この調子だと大雨の日は学校に来るだけで一時間はかかる計算だ。バスを使えばいいんだけど、清算でわたわたする自分を想像しただけで胃がきゅっとなる。どうしてもの時は北村に付き添ってもらおう。
定期券?
交通系電子マネー?
知らない子ですね……。
ふふ、僕は公共交通機関をひとりじゃ使えない少女なのさ――。
放課後、南蛇井の教室にお邪魔していた。
目的は愚痴を聞いてもらうことである。
「このままじゃ、太腿がムキムキになっちゃいそう」
「大変だなぁ。筋肉痛とかは?」
「もうなってる。散々だよ」
大雨が降ったら、学校を休もうかな。
半分本気の冗談である。
僕が愚痴っていたら、南蛇井が笑ってくれた。
「ま、頑張れよ。あたしは応援してっからな」
「他人事だと思って、もう。四十分の運動とか、体育の授業よりキツいじゃん」
「そう考えるとやべーな。あたしは波久礼の半分で済んでるけど」
「いいなー……。本当に羨ましいよ」
そのうち慣れるだろうけど、それまでが大変だ。
僕の家が学校区の端にあったことも影響して、同じ中学出身の南蛇井や北村、東風谷先輩と比べても長い時間を掛けて通学する破目になってしまった。中学の頃は徒歩ニ十分、走れば七分くらいで学校に行けたことを思うと、毎日一時間も使える時間が減っている。遊ぶにしても勉強するにしても、なんとも残念な話だ。
でも、彼女達と過ごす毎日は悪くない。三人ともが元カノであるというノイズみたいな情報にさえ目を瞑れば、とても親しい仲間との時間は居心地の良いものだ。家に帰るのも億劫になってしまったから、僕はこうして放課後の南蛇井に絡んでいるのだった。
「ねぇ、南蛇井。僕と家の場所交換しようよ」
「ばーか。出来るわけねぇだろうが」
「ちぇっ。それじゃ、疲れた時の休憩所にしていい?」
「ダメだっつーの。あたしが親父に怒られるじゃん」
ケタケタと笑った南蛇井が、体操服の入った袋を肩に背負う。教室から出てきた彼女のクラスメイト達が同様の袋を持っていない点を鑑みるに体育の授業はなかったらしい。不良と間違われることも多いけれど、彼女は至って真面目な学生だ。昨日の授業で使った後、持って帰るのを忘れていた……というわけじゃないだろう。
「今日も部活見学?」
「おうよ。テニス部に行く予定だぜ。昨日はバスケ部だったけどな」
「元気だねぇ。で、どこに入るのさ」
「どこにも入らないよ。遊びに行くだけ」
にしし、と南蛇井は歯を見せて笑った。楽しそうな彼女とは反対に、僕は表情を曇らせてしまう。今日も、予定を合わせるのは無理そうだ。自分でも分かるほど、がっくりと肩を落としてしまったのが分かる。
踵を返して自分の教室へ戻ろうとした僕へと南蛇井が慌てて駆けてくる。
がしっと肩を掴まれて、彼女に顔を覗き込まれた。
「どうしたんだよ。何かあったのか?」
「みんなと遊びたいなーと思ってたんだ。別に、たいしたことじゃないよ」
「んだよ、そんなことか。週末の予定とか聞いてみれば?」
「んー。そうじゃなくて、今日遊びたい気分なんだけど」
「うわ、出た。気分屋め」
南蛇井が露骨に顔をしかめ、背負っていた体操服の袋に視線を向けた。
彼女が口を開くより先に、僕は彼女の唇を指で塞いだ。
「だめです。南蛇井は、自分の予定を優先すること」
「……そこまで大事な用じゃないのに」
「いいんだよ。どうせ、いつでも遊べるんだし」
遊んでくれるだろ? とウィンクを飛ばすと、彼女は呆れたように肩を竦めた。
優しい南蛇井を更衣室まで送り届けてから、スマホを開いてメッセージアプリでみんなに連絡を取ってみる。そういえば、北村は南蛇井とクラスが同じはずだけど見掛けてないな。今日も病院に行っているのだとしたら、色よい返事は期待できないかもしれない。
スマホを仕舞って、自分の教室まで戻る。特別棟の一階から教室棟の四階まで歩くと、それなりの距離があった。そりゃ、年配の先生は授業開始前に息を切らすわけだ。
荷物を片付けて駐輪場へと向かう。
自転車のサドルに腰を下ろして、スマホを覗いた。
メッセージアプリを確認してみたが反応は芳しくない。
東風谷先輩は生徒会の仕事があって忙しく、今月は遊ぶ暇がないらしい。
南蛇井は言わずもがな、こりゃ今月は誰とも遊べそうにないな。
「……暇だなァ」
残るふたりからの返信を待って、少しだけ駐輪場で待機してみる。ぽこんと緑の吹き出しが動いて、僕はすぐスマホの画面をタップした。北村からの返信が来ている。彼女は僕が予想していた通り、病院へ薬をもらいに行っているらしい。いつものやつだなと僕はすぐ納得した。唯一、西条からの返信がない。既読はついているから、予定が合わなかっただけだろう。
それにしても、と苦笑する。
五人で共有するグループにはムリと返信しているのに、僕個人宛に「どうしても遊びたいなら予定を空けてあげる」という旨のメッセージが届いていた。これがギャルゲーだったなら、それぞれの個別ルートに入るための選択肢として扱われるところだろう。
だが、現実とゲームは違うのだ。体の弱い北村を無理に連れまわすのは悪いし、忙しい時期に東風谷先輩を引っこ抜くのも生徒会の人達の迷惑になるだろう。西条は受験勉強する時期だし、と考えてみると、残ったひとりは南蛇井か。
「南蛇井と一緒に部活見学するのは……。うん、ナシだな」
疲れるし、そもそも運動系の部に入るつもりはない。
競技ってやつが苦手なのだ。遊びの範疇で競い合うのはとても好きだけど、それが大会や試合になってくると話が変わる。普段はぬるま湯で遊ぶような練習をしている子達が、急に真剣勝負、勝利を目標に掲げて殺気立つのが嫌だった。頑張っている子が勝つとも限らなくて、その無常に耐えられないのも原因のひとつだ。僕はとことん、社会というものに向いていない。
「……帰るか。やることもないし」
遊び相手もみつからないからし、家で勉強することにした。春休みにサボりすぎたぜ。
英語で初回授業から抜き打ちテストがあったけど、半分は白紙で提出しちゃったからな。少しでも勉強しておかないと次の授業から酷い目に遭いそうだった。
駐輪場を出て、表通りを北上する。ちょっと遠回りして国道を走ってみたら、色々な飲食店が立ち並んでいた。駅からはやや離れているけれど、自動車の通行量が多いから店の数も多いのだろう。今度、みんなと食べに来よう。
ラーメン、焼き肉、ハンバーグ、と並ぶ看板を順番に読み上げる。
お洒落とは縁遠いのが、この街の良くも悪くも平凡なところだった。
帰宅した後、僕はいの一番に靴下を脱いだ。ぐっ、ぱっ、と玄関で足の指を開閉する。
「ふへぇ。疲れたぁ」
これでようやく一息つけるぜ。
お茶をコップ一杯飲んでから、てってこと自分の部屋へ向かう。
ご機嫌に部屋のドアを開けると、そこには先客がいた。
「あ。おかえり、お姉ちゃん」
にひっ、と悪戯っぽく頬を緩めたのは可憐な少女。
西条ひばり。僕の幼馴染だ。
なるほどなぁ。メッセージに返信せず誰も選ばないという選択肢によってルートが開拓されるヒロインもいるらしい。今度から注意しておこう。僕はそう、心に誓うのであった。
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