南蛇井と現実。 -2
頼まれたわけじゃないけど、南蛇井と生徒指導との言い争いに首を突っ込んだ。脂ぎった肌に薄ら寒い感情を浮かべ、生徒指導は僕達を見下ろしている。その視線が僕の親友に向けられていることがあまりにも不快で、耐えられなくて、だけど僕は握った拳を振り上げない。
だって、これは口喧嘩だからね。
それじゃあ、取引停止になるまで商売をしてみよう。
売り込まれたのはハグレ者への悪意と偏見で。
買い取らせるのは生徒指導への不興と顰蹙だ。
「まず、髪色に対してのあなたの指導は偏見に基づく差別に他なりません。髪型などに関する校則を確認しても、適切な、という表現に包括されています。髪を染める行為を契機として生活態度が著しく悪化するなら指導も必要でしょうが、彼女の髪色は生まれ持ったもの。入学して一週間が経過しますが、授業態度も勤勉です」
「いいぞ、波久礼。もっと言ってやれ!」
「染髪に対する社会認識も変化しています。髪を染めたから不良になるとは、やや短絡的で時代錯誤な発想ではないでしょうか。……まぁ、強がりや虚栄心のために染髪する人がいるのも否定しませんけど」
すいすいと流れるように言葉が出てきた。嘘吐きには必須の技能だからね。。
生徒指導は、唇をわなわなと震わせている。
どうやら、僕みたいな口先の回る子供が嫌いらしい。僕は心にもないこと喋るのが上手だった。それでいて人付き合いが苦手なのは誠心誠意に向き合うと言葉を選ぶのに時間が掛かるから、ということにしておこう。
南蛇井は僕の話を聞いて笑みを浮かべていた。満足気に首肯を繰り返す彼女は膨れっ面をしている日の何倍もかわいくて、その表情の差に僕はぎゅっと胸を掴まれる。こちらの視線に気付いた彼女がぷいと顔を背けるまでの数秒、僕はじっと南蛇井の顔に見惚れていた。
「……っと」
生徒指導の先生と戦っているのに、意識が余所に向いていた。
反論がなかったので、バイトに関する誤謬についても指摘しておこう。
「アルバイトに関しても、疲労で授業に集中できないためとするのは論点をずらしていると思われます。その理屈では、部活動やサークル活動も停止になってしまいますよね」
「ん。そうだよな。高校生は年齢的にも労働が認められているはずだし……」
「バカが。バイトなんかしたら、勉強が疎かになるだろうが」
端的な暴言を吐かれて、ぴくりと南蛇井の指が跳ねた。
僕もムカつく。拳を振るう気はないけれど、権利を不当に奪われるのは嫌いだ。
「本当にバイトのせいですかね?」
「そうだろうが。忙しいとか理由をつけて、勉強をサボるに決まっている」
「勉強時間の確保が難しいという話ですか? ひょっとして先生は、僕達が学校での授業を終えて帰宅した後も、一切の娯楽を禁止して勉学に励むべきなどという考えをお持ちなんでしょうか? 不要で不当な束縛は、生徒の人権を無視したものだと思いますよ」
「わかる。あたしもそう思う」
「社会勉強のためにもアルバイトのような役割や責任が限定的な仕事は相応しいでしょう。先生の言う通り、私達は未熟な子供です。子供から大人への過渡期であるに経験を積むことは、私達が成長するためにも必要なことだと思われますが?」
ぐにゃり、と先生の顔が歪む。
念のために断っておくが、僕の話もすべて正しいわけじゃない。
そもそも髪を染めたがる理由を生徒達に聞けば、格好いいから、お洒落だからという声が上がってくるだろう。それを上っ面だけと指摘するのも容易いし、悪い言い方をすればイキって髪を染める子だっていないわけじゃないと思う。
アルバイトが忙しくて勉強をサボる子もいるだろう。それでも、家庭ごとの金銭事情が異なる以上、健全な青少年として活動していくために必要な金銭を稼ぐためにバイトをすることの何がいけないというのだ。勿論、未成年を対象にした危ないバイトもある。それは禁止すべきと思うけど。
「子供は黙ってオトナの言うこと聞け、とでも言いたいんですか?」
それは、最低な言い訳だ。
返答を待って、生徒指導を見上げた。彼が酸いも甘いも噛み分けた大人としての意見を述べてくることを祈ったが、無駄みたいだな。シワの多い額に青筋を立てた彼はわなわなと震えるばかりで、続く言葉がない。
滲む脂汗に煙草とアルコールの残滓が混じって、不愉快な臭いに顔をしかめる。
苦虫を噛み潰したような顔をしたかと思うと、彼は不意に息を吸い込んだ。
「なんだ、その生意気な態度は!」
職員室のガラスが音を立てて揺れるほどの怒声だった。
僕は性格がとても悪いので、ぞわぞわと沸き立つ敵対心が興奮剤となってくすりと笑みを漏らしてしまう。それが気に入らなかったのか、生徒指導の先生は更に怒声を重ねる。彼から受けた言葉を文字列として脳に刻むことはしない。無駄だし、不快だ。
南蛇井も同意見なのか、冷めた目をしていた。組んでいた腕は前から後ろへと回され、退屈そうに指遊びを始めている。最後に先生が言いそうなことも分かっているので、僕らはとても落ち着いていた。
「いいか、お前等みたいな奴が学校の秩序を乱すんだ!」
お手本のようなセリフを挟んで、先生の説教はまだ続く。
僕と南蛇井は、ただ黙って先生の口端に泡が浮かんでいるのを眺めていた。
なんだか、とても懐かしい。中学の頃、僕と南蛇井が仲良しになったのも生徒指導室の前だった。僕の一人称をからかった生徒を南蛇井が拳で黙らせ、南蛇井の髪をバカにした生徒を僕が蹴り飛ばした日のことだ。あの日と同じ轍はもう踏まない。理不尽に暴力で返すのは、それ以外に解決法がない時に限る。
僕らは、痛みを耐える術を知ったのだから。
淡々と説教を受け流していたら、職員室から大人が顔を覗かせる。
「あ、あの。何の騒ぎですか……?」
「潟桐先生、どうしたんですか」
あまりに騒がしかったのか、職員室で昼食を取っていた先生達が恐々ながらも顔を出し始めた。怒鳴り声は廊下の端にまで届いたのか、遠く階段がある辺りから他の生徒がこちらの様子をうかがっている。
というか、潟桐って名前なのか。僕達、自己紹介もしてないからね。
生徒のひとりが廊下の端でスマホを構えていた。当然のようにカメラをこちらへ向けていて流石にまずいと思ったのか、他の先生達が生徒指導印の潟桐を掴んで職員室へと引っ込んでいく。現場に残された僕と南蛇井は互いに顔を見合わせて、もう帰ってもいいかなと教室棟へと身体を向けた。
途方もない開放感に、ぷるぷると脚が震える。内臓がふわふわと浮くようだった。
「なぁ、波久礼。ちょっといいか。今から昼休みだろ」
「……うん。どうしたの、南蛇井」
「昼飯って、クラスの友達と食べてんのか?」
「うーん。今のとこ、ひとりで黙食してるけど」
「ははっ、ぼっち飯かよ。それじゃ、ウチのクラスに来いよ。北村もいるし」
「いいね、それ。先に荷物だけ置いてくるよ」
南蛇井と連れ立って渡り廊下を歩く。まだ日差しが強くないこともあってか、カーテンを開けているクラスも多いようだ。換気のために窓を開けた教室からは生徒達の楽し気な声が響いている。
僕には眩しい青春の光に臆して歩みが止まっていた。渡り廊下の先で南蛇井が僕を待ってくれている。くすんだ赤色の髪をわしわしとかきあげて、彼女は僕を手招きした。
「はやくしろよ。昼休み、終わっちまうだろ」
「……うん!」
待ってくれる彼女のために、僕はノートを抱えたまま走り出す。廊下を走るなと小言を漏らす南蛇井は、やっぱり不良なんかじゃないように思えた。
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