2.

 真っ先に反応したのは、ブルーだった。

「大天使様。誠に僭越ながら、意見をお伝えしてもよろしいでしょうか」

「いいよ」

「墓守として、ということは、ユラに不完全な死の状態にある魂を弔わせる、ということでしょうか」

 ブルーの問いかけに、セーレは頷いた。

「うん。そうだよ」

「以前にもお伝えさせていただいたかと思いますが、ユラは、血統でないながらも墓守としての力を身に着けた、稀有で優秀な人材です。ですが、血統ではないが故に、弔いにはそこの悪魔の力を必要とするだけでなく、体力をひどく消耗する」

 慇懃を保ったまま宣うブルーに、セーラはふむ、とひとつ頷く。

「要するに、かわいいかわいい弟分に墓守の仕事をさせるのが心配だってことかな」

「中央には常駐の墓守もいます。大天使様のご依頼、他の者に任せることはできませんか」

 セーレは顎に人差し指を添えて、うーんと首を傾げる。

「今回は、ユラくんに頼みたい気分なんだよね。もちろん、無理強いをする気はないけれど……どうかな、ユラくん?」

 ヴェール越しに眼差しを向けられたユラがどう答えるか。きっとセーレ以外は皆、もしかしたらセーレさえも察していた。

 ブルーは不服さを隠しながら、ミオはずっと楽しげに体を揺らしながら、セーレは試すように、オリアスは苦い気持ちで。

「分かった」

 オリアスの背後から、静やかに解を放つユラを見ていた。

 セーレはにっこりと両手を合わせる。

「ありがとう。じゃあ、ひとまず、ブルー。君は弔花祭のお仕事に戻ってもらえるかな」

「……承知しました」

 すくっと立ち上がったブルーに、ミオが駆け寄る。ふたりは連れ立って、ドアの方へと向かった。すれ違いざま、ブルーはオリアスを一睨みし、ユラには砂糖菓子のように甘やかな声で注意を囁いた。

「ユラ。分かっているとは思うけれど、くれぐれも。中央では大人しく過ごすように」

「ああ」

「それじゃあ、またね」

「じゃあね~、ユラ、オリアス」

 ふたりが出て行ったドアがばたんと閉められると、セーレは自身の顔に掛かったヴェールを煩わしそうに捲りあげた。

「立場柄、気安く素顔を晒さないように言われていてね。でも、まぁ、君たち相手は問題ないだろう」

 セーレに封印され離別してから、ゆうに三百年が過ぎている。しかし、現れたセーレの顔は、あの頃とちっとも変わらないつくりをしている。

 灰色の髪。色白の肌。灰色の瞳。長い睫毛はくるりとカールを描き、多少のおいたは仕方ないと許される愛嬌のある甘い面立ち。ただ、瞳の光だけが、いくらか虚ろになったように感じた。

「どうだい、ユラくん。私も、オリアスに負けず劣らずの美貌をしているだろう?」

 問われたユラは、オリアスとセーレを交互に見て、わずかに首を傾げた。

「どちらも綺麗だと思う」

「どちらも、か。いいね。率直で。ユラくんも、その半面外してもらってもいいかな? それから、オリアスはユラくんの前から退けて?」

「……絶対に指一本触れるなよ」

 揶揄されるだろうと分かっていても言わずにいられなかったオリアスがそう言うと、セーレは「本当、新鮮だな」とまたくつくつと喉を鳴らした。

「いいよ。約束しよう。なんなら誓約魔法でも使う?」

「そこまではしなくてもいいが、手を出した瞬間、お前をぶん殴る」

「魔法の名手が物理攻撃か。でも君って無駄に鍛えてるからなぁ。殴られたら痛そうだ」

 不承不承、オリアスがユラの前から隣に移動する。猫の半面を外したユラはまた、セーレとオリアスを交互に見た。

「天使と悪魔って、もっとバチバチしているものだと思ってた。けど、オリアスとセーレは、なんだか。昔馴染みって感じがする」

 オリアスは口を噤み、セーレは笑みを深める。

「実際、昔馴染みさ」

「セーレ」

「三百年前から知り合いなんだから」

 のらりくらりと、うざったい喋りをしたうえにウィンクまで送ってくる男に、オリアスは内心で舌打ちをする。

「天使も悪魔も、この世界では長いとされる寿命と特殊とされる力を持つからね。数少ない理解者でもある。多少の交流はあるというものだよ」

「そう思っているのなら、なんで、悪魔を封印したんだ」

「なんでだと思う?」

「分からない」

「ええ~、お手上げするの早すぎじゃない? 幼い学童でももう少し思案してから手を挙げるものだよ」

「昔、ジジイ……俺の養父からからその歴史を聞いたときは、悪魔が悪いやつだから、世界を守るために封印したんだと思っていた。でも、オリアスは悪いやつじゃない。俺も、そしてあんたも、そう思っているように見える。だから、どうしてあんたがオリアスを封印したのか、分からなくなった」

 セーレは「笑み」に分類される表情を動かさなかった。ただ、じっと、そこに穴を開けんばかりにユラを見つめた。

「君、面白いね。かしこまらなくていいと言えばすぐに遠慮を取り払う。思ったことは率直に口にする。それに……他にもなにか、根深いしこりを抱えているように見える」

 セーレの瞳孔がきゅうっと、蛇のように縦長に細み、口角がにいっと持ち上がる。

「実に、生きづらそうでかわいいね」

 オリアスがもう一度ユラを背に庇い、セーレを睨みつけると、彼は両手をひらりと上げ、首を小さく横に張った。

「まるで悪漢を前に姫を守る兵士だね。本当に大切にしているらしい。君にそんな存在ができたことを心から嬉しく思うよ、オリアス」

「……そう思うなら二度とちょっかいは出さないでもらいてぇな。戯言はいい加減にして、さっさと依頼の内容を話せ」

「もう少し歓談したかったところだけど」

「君は昔よりも少しせっかちになったね」と肩をすくめたセーレが、ぱちんと指を鳴らす。

 するとその手に鳥籠があらわれ、鳥籠の中には白い光がふよふよと漂っていた。

 ユラが首から下げている銀の羅針盤から、かちかちと針が回る音がする。

「さすがにオリアスがそばにいるだけあって、これぐらいの手品じゃあ驚かないか」

 セーレは鳥籠をユラの方に差し出す。

「それはね。およそ百前に死んだ、私の従者の魂だよ」

 鳥籠を受け取ったユラは、わずかに瞳を見開いた。

「不完全な死の状態の魂がいつ悪化するかはその魂によるが、さすがに百年も前の魂はなかなかない……あんたは不完全な死の状態の魂を保持できるのか」

「これでも大天使だからね。この世のすべての魂はさすがに無理だけれど、ひとつくらいはできないこともない。それで、その子の弔いを頼めるかな、墓守くん」

 それが何時のものでも、誰からの依頼でも、誰に依頼されずとも。不完全な死の状態の魂を前にして、ユラが弔いを拒むことはない。焦がれ、努力し、命を懸けてまで墓守になった彼は、いかなる魂とも真摯に向き合う。

「オリアス」

 オリアスとしてはセーレに試されているようであまりいい気分じゃないが、それでも主人が望む道には伴う。ふたりの間に絶対服従は存在しないが、ユラを気に入り、たっぷりと頼るよう育てたのはオリアスなのだから。

 オリアスはユラの空いてる方の手を左手で握る。右手をユラの持つ鳥籠に向けて翳す。そこに光でできた鍵が生まれ、くるりと回せば、ふたりは夢想へと足を踏み入れる。



 黄昏時の道にいた。

 左右に花畑がある、石畳の一本道。その先には、木造二階建ての邸があった。外壁は白に塗られており、向日葵色の屋根が乗っている。築年数は浅そうに見える。敷地内のようだった。

 足元に気配を感じて見れば、そこにはユラが座り込んでいた。夢想に入り同じ場所に着地するのは珍しいことだった。

「ご主人。無事か」

「夢想に入るときはいつもぐわんってなるから。それで尻もちついただけ」

 ユラがオリアスを仰ぎ両手を伸ばしてくる。掴んで引き起こし、尻を払ってやる。

「とりあえず、あの邸を訪ねてみるか?」

「うん。なんか」

 ユラが邸の、二階部分を見つめた。少しだけ開かれた窓。その向こうで、白いカーテンがはたはたと揺れている。

「導かれている感じがする」

 オリアスにはない感覚だったが、ユラは血統でなくとも、弔いの力を持つ墓守だ。魂の主から何か特別感じる者があるのかもしれない。普段も、ユラは夢想に入れば魂の主に必ず巡り合う。もっとも、なぜかユラだけスタート地点が辺境になることが多い分、オリアスが先に魂の主と思しき相手と遭遇することもぼちぼちあるのだけれども。

 連れ立って邸に向かい、玄関ドアの脇に設置されたベル紐を引いてベルを鳴らす。からん、からん、からんと涼やかな音が響く。しばらくすると、ドアが開いた。中から出てきたのは、メイド服を着た妙齢の女性だった。彼女はオリアスとユラを見ると、化粧っ気のない純朴な顔に驚きの表情を浮かべる。

「突然の訪問失礼する。この邸の者か」

「あ、はい。この邸で雇っていただいている、使用人です……あの。つかぬことをお伺いしますが。あなた方は墓守様でいらっしゃいますか?」

 今度は、オリアスとユラが驚きを抱く番だった。ユラが、答える。

「ああ、俺が墓守。ユラ・エトランゼだ」

 ユラが首に提げた羅針盤、その表面に彫られたキンレンカを見せる。女性は感心したようなため息を零した。

「本当に……」

「なにか、墓守が来るような心当たりがあるのか」

「旦那様が言っていたんです。「もうすぐ人がやってくる」って。「どなたか見舞いに来る予定が?」と聞いたら「名前は知らない。だが、墓守のはずだ。もし墓守が来たら、私に確認を取らなくていいから、家にあげなさい」って。名前も知らない誰かが来る、なんて、不思議じゃないですか。私は、てっきり……旦那様はあまり表には出されないけれど、実は人恋しくて、そういった夢でも見て寝ぼけていらっしゃるのかなと……。旦那様はお友達が多い方ではなく、文通などもしていないようで、お見舞いのお客様が訪れるのも本当に稀ですから。それに、ほら。体調が優れないときって、変わった夢を見るものでしょう」

 女性はふと切なげに瞳を伏せたかと思うと、今度はまた目を見開く。

「ああ、すみません、長々と。本当に墓守様がいらっしゃると思っていなかったものですから。事情は分かりませんが、旦那様となにかご縁があるんですよね、きっと。どうぞ、お上がりください。旦那様のお部屋までご案内します」

 にっこりと微笑んだ、ころころと表情を変える朗らかな彼女の後について、オリアスとユラは屋内に入った。

 案内されたのは、階段を上って二階。先に外から窓が開いているのを見た位置にある部屋だった。

 女性がドアを三度ノックする。

「旦那様、墓守様がいらっしゃいました」

 ややあって、やわらかくも老いの嗄れを帯びた声が返ってくる。

「ああ。入れてくれ」

 女性がドアを開け、促されるままにオリアスとユラはその一室に足を踏み入れた。

 少しだけ開けられた窓からは風が吹き込み、白いカーテンがはたはたと揺れている。

 ぱっと目に付く家具は質素で、机、クローゼット、書棚。書棚には大小さまざまな本がいくつか並んでいる。

 それから、ベッド。上には、老爺がい枕を背もたれにして座っていた。

 白い髪に白い髭をたくわえ、深い歩みを感じる皴が顔や手に刻まれている。華奢だが心許なさはなく、鷹揚な雰囲気がある人だった。

 老爺はオリアスとユラに顔を向けると、毛布を掛けた太腿の上に乗せていた本をぱたんと閉じる。エメラルドグリーンの布表紙に、金の箔でなにかの物語であるらしいことをが記されている、綺麗な上製本。

「お嬢さん。彼らにお茶と、クッキーを用意してもらえるかい?」

「もう。その呼び方止めてって言ってるじゃないですか、旦那様」

 女性は唇とをがらせながらも「持ってきますけど」と部屋を出ていく。

「君たち、たしか、飲食はできたね」

「ああ」

 ユラが答えると、老爺は眦を綻ばせ、目尻の皴を濃くする。

「それはよかった。気に入りの店のクッキーでね。ぜひ君たちにも食べてほしいと思っていたんだ」

「あんた、どうして俺たちが来ることを分かっていた」

「まぁ、腰を据えてゆっくり話そうじゃないか。長くはないが短くはない時間、ここにいられるのだろう? 椅子はそこから持ってきてもらえるかい」

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