Ⅵ.弔花祭
1.
エトランゼ家——この世界におけるユラの育ちの家は、どの街にも属さない静かな場所にある。
基本的に自給自足の生活だったが、月に一、二度は徒歩で半日ほどの街へ買い出しに行った。病に伏した養父のための医者を呼んだり薬を買うのも、そして亡くなった養父の弔いもその街、中央に依頼した。
中央では毎年晩春、故人を偲ぶ祭り、
故に、養父の旅程を辿る旅に出てから三年が過ぎた晩春、ユラとオリアスは久々に中央へと向かった。弔花祭へ参加するために。
Ⅵ.弔花祭
「あ、梅餡団子」
「こら、買ってやるからひとりでふらふら行こうとするな」
「かぼちゃのケークサレ」
「はいはい、ひとつずつ回ろうな」
中央で一週間に渡って開催される
広場にも屋台が多く出店し、街中のあちこちに花とランタンをモチーフとした華やかな飾りが施されている。そしてとにかく、人で溢れている。
こういった場所で少しでも目を離せば最後、ユラがあっという間にはぐれてしまうことを、オリアスはよく学んでいた。
そのうえ、今日のユラは猫の半面で顔を隠している。
三年前かつ冤罪といえど、ユラは中央監獄の脱獄犯だ。指名手配も出されており、これまで立ち寄った街で指名手配書を見かけたこともあった。幸い、似顔絵が下手くそだったおかげで追われるのは稀、たまに訝りの目や声を掛けられる程度だ。
とはいえ、素顔で中央に訪れるわけにもいかず、オリアスが土と魔法で拵えた猫を模した半面で顔の上部を隠している。お面屋台もいくつか出ているお陰で、それを訝る者はいなかったが、それはつまり、他にもお面をしている人間がちらほらといるということ。
ユラとはぐれるとぱっと見つけ出せない可能性があり、その隙に彼が厄介に巻き込まれないとも限らない。
だからオリアスはユラと指をしっかりと絡ませ手を繋ぎながら、通りを歩いていた。
「ジャムクッキー……」
「あら。お兄さんお目が高いね。中央一歴史あるクッキー屋といえばうち。蛙印のフロッシュ・ロゼだよ。中でも看板商品はそのジャムクッキー! ほれ、味見をどうぞ!」
店員から渡された花の形をしたジャムクッキーを一枚、ぱくりと食べたユラが黒い瞳がぱっと煌めかせる。前の街でしっかりと稼いでいおいてよかったと思いながら、オリアスの財布の紐は緩め、ジャムクッキーを箱で買った。
そうして、ユラの腹が満たされるまで買い食いを楽しんでから、ふたりは一番の目的地である中央の役所に向かった。
街の奥方に建つ、小規模な城めいた立派な出で立ち役所の表門は、長蛇の列ができていた。皆、オリアスとユラと同じように、ランタンを貰いに来たのだろう。
期間中の毎夜に行われる、弔花祭におけるメインイベント、花送り。
弔花祭期間中、大天使からの加護が与えられているという特製のランタンキットが中央役所で配布される。
その中の竹で土台を作り、固形燃料を中央に設置して、故人に贈る言葉をしたためた紙袋を被せる。そうして作ったランタンを夜に、固形燃料に火を灯して空に放つと、ある程度の高度まで行ったところで花火になるらしい。
天に還った故人へ感謝と祈り、そして花を捧げるための儀式だ。
「ジジイが病に伏す前は、毎年参加してた」
長蛇の列の最後尾に並び、ユラが言う。
「とても綺麗な光景が見られるんだ。オリアスもきっと、気に入ると思う」
「そいつは楽しみだな」
列はゆっくりと進み、オリアスとユラの後ろにもすぐに新たな長い列が生まれる。
他愛のないことを駄弁りながらまた一歩前へと進んだときだった。
役所の制服を着た男がひとり、オリアスとユラの方に小走りで迫ってくる。
オリアスはすぐさま警戒を強めた。半面をつけているといえど、下手くそな似顔絵ではなく三年前にユラと顔を合わせ認識している人間は気づく可能性がある。ユラは、一見凡庸でありながら、一度しっかりと目を合わせるととてつもなく深い印象を与える、不思議な魅力を持っているから。
やがてオリアスとユラの側で足を止めた男は、一礼した。非常に、恭しく。
その振る舞いに、前後の民は何事か、何者なのか、とオリアスとユラに注目し始める。
オリアスは眉間にいっそうしわを寄せた。先まで抱いていたのとは別の嫌な予感が細かな汗となり背を伝う。
「大天使様がお二方とお話がしたいと望まれております」
「そういえば弔花祭の期間は、大天使様が天の街から中央へご行幸なさるんだった」
「……先に聞きたかったな、それは」
先に聞いていたところで、ユラが望むのならばこの街には来たが、それでも多少の心構えはできたというものだ。なにせ大天使は、オリアスにとってはこの世界であまり会いたくない存在、そしてユラを会わせたくない存在なのだから。
ユラを一瞥すれば、思うようにすればいい、というような頷きが返される。
本当は是非とも面会などしたくない。だが、この大陸における大天使の存在は非常に大きく、万が一にもユラがこの祭りに参加しづらくなることがあってはいけない。
ならばせめて顔を合わせるのはオリアスだけにさせてもらいたいところだが、特にこの街ではユラをひとりにはいかなかった。
オリアスは眉間を指で解し、やがて深々とため息を吐いた。
「……分かった。案内してくれ」
列から外れたオリアスとユラは関係者用門に通され、中央役所の中から渡り廊下で繋がった別施設へと案内された。
廊下には表情ひとつ動かさない厳かな警吏が等間隔に配置されていた。
役所の方の内装は比較的庶民的であったが、その施設は幅広の長い廊下の天井にさえシャンデリア、値の張りそうな絵画や花瓶などが設えられ、壁や床は白を基調としつていた。
厳重な警備と豪奢な内装が施されたそこは、大天使を出迎えるためだけに用意した館らしい。
つきあたりの広間は、大型のシャンデリアが光を降り注いでいるにもかかわらず妙に薄暗く、静寂に包まれていた。四方の窓はステンドグラスになっていて、少し不気味だ。
その広間には長い階段がひとつだけ設置されていた。
「階段の先にある最上の間に、大天使様はいらっしゃいます。ここから先は、大天使様が招かれた客人のみしか立ち入りが許されないため、ご案内できないことをお許しくださいませ」
男は恭しく一礼し、その場に佇んだ。
ユラや行く街々で話には聞いていたものの改めて、ずいぶんと出世したものだ、とオリアスは内心で呟いた。
ユラとともに階段を上ると、大きな両開きのドアが立ちはだかる。白く塗られた上質な木に花の模様が真ん中で線対象に繊細に彫刻されており、取り付けられている金色のドアノブは傷ひとつついていない。
「……オリアスなら」
ユラが声を潜めて言う。
「ここからでも、逃げられるだろ」
オリアスはひとつ瞬くと、ユラの頬をそっと撫でる。
「心配すんな。争ったりすることにはなんねぇと思うから。それに、並んでた列から外れてわざわざ応じてやるんだ。ランタンのひとつやふたつ、便宜を図ってくれるかもしれないだろ?」
片面のドアノブを引いて開ける。
現れた部屋は、深紅の絨毯が一本の道を作っていた。その先の、一段高くなった場所には玉座のような椅子があった。そこには、手すりに頬杖をつき、優雅に腰掛ける男がひとり。
オーガンジーのベールを被って顔ははっきりと見えない。フリルがたっぷりとあしらわれた衣服を身にまとっている。いずれも白を基調としており、オリアスと比べると、朝と夜ほどの色彩の差があった。
その男の一段下のところには、跪いた状態からちょうど立ち上がっているところの男がいた。海色の髪の彼の傍らには、白い髪をふたつに結んだ少女も立っている。
玉座の男、そしてその下にいるふたりが揃ってオリアスとユラの方へ目を向けた。
真っ先に表情を変えたのは、ブルーだった。
左目は髪で隠されているものの、晒されている右目がその分まで雄弁に光を湛える。大天使の御前というのもあって大声は上げずとも、その表情から「ユラ!」と叫び出さんばかりの歓喜を抱いているのを感じた。
「ブルー、構わないよ。君の常通りに振る舞ってくれて」
玉座の男が、やわらかなテノールの声で言う。
「ですが……」
「君、大型犬の耳としっぽを幻視するほどに喜びを隠しきれていないもの」
「ブルーはユラのことだぁい好きだものね」
ミオにまで言われブルーは少しばつが悪そうにしながらも、ユラの方に近づいて来た。
「久しぶりだね、ユラ」
「久しぶり、ブルー」
「不思議だね。君の声で名前を呼んでもらえると、どれだけ英気が失われていても一瞬にして元気になるよ」
「おや。それは私と話して疲れた、という意味かな、ブルー」
「滅相もございません、大天使様。ただ、僕にとってユラはそれほどかわいい存在なのです」
「なるほど」
玉座の男はくつくつと喉を鳴らす。ブルーは親密そうな笑顔を浮かべて、ユラを抱きしめようとする。オリアスはユラの腕を引いて背に庇った。
「……かわいいユラとの再会の邪魔をしないでくれるかな。悪魔如きが」
ブルーの眼差しは春の陽だまりから一転、一気に氷点下に落ちる。彼の背後で、玉座の男は「おやおや」と興味深げに首を傾げ、ミオはけらけらと笑う。
「俺のご主人に気安く触れないでもらえるか。処刑人」
「ユラを守ろうとする姿勢は評価するけれど、守るべき相手を判別できないとは。君の人を見る目が脆弱なのか、それとも君の醜い嫉妬と下心がそうさせるのかな」
「その発言自体が醜い嫉妬だとは思わねぇのか? ユラが拒んでるにもかかわらず、会うたびに墓守を辞めろとしつこく迫ってきて。ユラの気持ちをひとつも汲まない従兄気取りが」
「従兄気取りなんかじゃない。僕はユラの兄のつもりだよ」
「どっちにしてもキモいっつうの」
「ふ……く、ふふふふふ……」
オリアスとブルーの言い合いの間に響いたのは、玉座の男の笑い声だった。彼は口元に白い薄絹の手袋で包まれた手を当て、肩を震わせている。ヴェールによって表情ははっきりとは見えないが、心なしか、その灰色の瞳には涙まで浮かんでいるように見えた。
「いやぁ、驚いた。久々の再会にして君の新たな一面が見られるとはね。君がそんな言い合いをするところ、初めて見たよ——オリアス」
親しげな音でオリアスを呼んだ男は玉座から立ち上がり、段を降りてゆっくりと近づいて来た。
ミオは踊るように道を開け、ブルーはオリアスを一睨みしながらもくれないの絨毯の外に行き跪く。
ユラとオリアスだけが、この世界で大天使と呼ばれる存在に向かって、膝を、背を、首をしっかりと伸ばして向き合っていた。
「君が、ユラくんだね」
「大天使、セーレ、様。とお見受けします」
「あはは、そんなにかしこまらなくていいよ。かしこまるのに慣れていなさそうだし。オリアスと話すときのように話して。その猫の半面は、指名手配対策かな? ブルーから聞いてるよ、君、オリアスの力を借りて脱獄したんだってね。いやぁ、見かけによらず豪胆だ。ここには警吏もいないし、君の素顔が見たいから、その面、外してもらってもいいかな?」
「おい、俺越しにぺらぺらと語り掛けないでもらえるか」
瞳を細めたオリアスが口を挟むと、ヴェールの向こうでセーレがにっこりと微笑んだ。
「じゃあ、君が少し横にずれてくれればいい」
「胡散臭い笑顔は相変わらずだな」
「相変わらず、か。かつての私を知る者はそういないからね、貴重な意見だよ」
「その一人称は、まだ聞き慣れないが。俺たちと話がしたいんだろ。何の用だ」
「私のかわいい子から聞いてるだろう? 久々に君と、それから君を呼び覚ました子に会ってみたかったのさ」
「そうか。じゃあ、もうお前の望みは叶っただろ。帰っていいか」
「つれないな。私と君の仲なのに」
「お前にだけは言われたくないセリフだな」
オリアスが皮肉たっぷりに鼻を鳴らすと、セーレは大仰に肩を竦めた。
「あんまり意地悪を言われると、私も君に意地悪をしたくなってしまうよ」
セーレは指先でとんとオリアスの左胸に触れ、オリアスの耳元に唇を寄せ、囁く。
「例えば、君の正体をバラす、とかね」
オリアスがぎろりと睨みつけると、セーレは「おお、怖い怖い」とわざとらしく怯え、後退る。
「その顔も初めて見たな。正直、予想外だったんだよ。私が封印した悪魔の中で、最初に再会することになるのが君だとは思っていなかったから。召喚されたとしても、君はそう応じないだろうってね。君だって、私にそう思われる心当たりはあるだろう」
「……」
「ユラくんとの旅は、そんなに楽しい?」
「答える義理はない」
「本当につれないね」
「お前に封印された悪魔だからな」
「それもそうか」
くつくつと喉を鳴らしてから、セーレはまた、オリアス越しにユラを見た。
「ユラ・エトランゼくん。君たちをここに呼び出したのは、ただ会いたかったというだけじゃないんだ。君に折り入って頼みたいことがあるんだよ——墓守としての、君にね」
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