Ⅱ.夢見る劇場

1.

「ダブルをひとつ、頼む」

「ダブルをひとつ、ですか」

 ホテルの受付係はふたりの外客をゆっくりと見比べた。

 話しかけてきた男の方は、少し屈みながら出入り口を潜ってきたほどに長身で逞しく、顔は彫刻作品のように美しく整っていた。瞳は紅玉のように赤く、肌は雪のように色白であったが、それ以外は黒い長髪、黒い外套、黒いシャツ、黒いズボンと黒づくめだった。

 その隣に立つ男は、青年と少年の間の面立ちをしていた。もう一人の男とは少し色味の違う色白の肌を持ち、髪と目は夜のような黒色をしている。線の細い体に白シャツ、クリーム色のベスト、灰色のスラックス、藍色のモッズコートを纏っている。

 受付カウンターをじっと見つめているような、いないような。ぼんやりとした様子の彼は、黒づくめの男と比べると平凡なのに、妙に印象的だった。

 黒髪と、色白の肌と、性別以外、そのふたりに共通点は見当たらない。

 親子や兄弟には見えない、男がふたり。ダブルベッドの部屋をひとつ。

「埋まっているのか」

 黒づくめの男に低い声で問われ、受付係は弾かれたように、帳簿に視線を落とした。

「い、いえ、空いています。それでは、二〇五号室でいかがでしょうか……二階の、角部屋になっています」

「ああ、問題ない」

「では、お手数ですがこちらの書類の必要事項に記入をお願いいたします」

 宿泊書類にを差し出すと、黒づくめの男は流麗に文字を記していく。ぼんやりとした男は呑気にあくびをこぼした。

 代表者名は、オリアス。

 同行者名は、ユラ・エトランゼ……エトランゼ?

 受付係はその名前に聞き覚えがあるような気もしたが、思い出せなかった。

 支払いなどの手続きを済ませ、部屋番号が記されたキーホルダーが括りつけた鍵を渡すと黒づくめの男が、ぼんやりとした男の袖を引いた。

「運んでやろうか」

 ぼんやりとした男は緩慢に首を横に振る。言葉を発するのすら億劫がっているように見える。ずいぶんと眠たそうだ。

「途中で落ちるなよ。ご主人」

 そう言いながら黒づくめの男はぼんやりとした男の手を掴むと、階段をのぼり、宿泊部屋に向かっていく。

 ——ご主人って。どこかの国の王子が逃避行でもしてるのか? ……いやいや、ユガミメ座の演劇じゃないんだから。

 受付係は笑いをひとつこぼすと、帳簿をめくり事務作業へと戻った。


 *


 部屋に入ると、ユラはあっという間にベッドに吸い込まれていった。

「ユラ、せめて服を脱げ」

「んー……」

「……駄目だな、こりゃ」

 ベッドにうつ伏せたきり、ユラは動かなくなった。ため息を吐きながらオリアスもベッドに近づき、ユラの体を軽々とひっくり返すと、上着を脱がし、彼のシャツのボタンに指をかけた。

 ユラは今日、不完全な死の状態にある魂をひとつ弔った。

 ユラの養父が遺した手記曰く、不完全な死の状態にある魂は漂いやすく発見された場所と縁があるとは限らないらしいが、今回はすぐ近くにあるこの街で生まれ育った青年のものだった。

 この街ではショービジネスが栄えており、通りのあちこちに大道芸人がいたり、シアターがある。立ち入ってすぐに、青年の魂の中で見た光景と、完璧ではなくともかなり似ていることに気づいた。

 普通の墓守——墓守の血を引く墓守であれば一日にいくつもの魂を弔っても大した疲弊を感じないらしいが、ユラはそうではない。血を持たず、志だけで墓守となった彼は、魂の夢想に入り弔うと激しく体力を消耗する。

 そしてもともと人一倍睡眠を欲す性質なのもあってか、完全におやすみモードに入ったユラを起こすことは難しい。今夜の食事を摂らせることは仕方ないから諦め、ユラの身包みを剥がすと浴室に運んだ。

 ユラにシャワーの湯を浴びせ、石鹸を泡立て、細い体を磨いていく。

 これでも出会った頃と比べるとだいぶ肉はついたが、そそっかしく危なっかしいうえに、ときに自ら突拍子もない行動を起こす者の身体にしては心許ない。オリアスとしては、もういくらか体積も重みも増やしてほしいと思っている。特に、腹、腰まわり。ユラが多少大きくなったところで、オリアスならば軽々と持ち上げることも小脇に抱えて運ぶことだってできるから、いざというときも問題ないだろう。

 タオルでユラの水気を拭い、備え付けのパジャマを着せ、再びベッドに寝かせた。

 無垢でいたいけな顔ですうすうと穏やかな寝息を立てるユラをしばし眺めてから、オリアスはひとりでシャワーを浴び直した。長い髪の水気を拭いきり、電灯を消すと、オリアスはユラの身体を正面から抱きしめる。

 男ふたりで、ダブルベッドの、部屋ひとつ。

 旅において節約は不可欠だ。悪天候に苛まれるなどで動けなければ、物資は減っていく一方。次の街に着けたとしても、前の街と物価が同じとは限らない。いつどこでどれだけ生活の糧を蓄えられるか分からないのだ。

 ユラは極論問題なく旅ができればそれでいいというほどに生活に無頓着だが、オリアスは量も栄養も十分な食事を用意したいと思っている。そして街に泊まるのならば、壁が厚く寝心地のいいベッドがあるホテルを選びたい。

 青年の夢から把握していたが、ショービジネスが栄えているこの街は外からの客がかなり多く、大抵は裕福な身なりをしていた。彼らから搾り取るためだろう、ざっと見た感じの物価は高めの設定となっており、ホテルの宿泊費も前に滞在した〝機械が発展した街〟と比べると十倍はした。

 それでもやはりホテル選びの最低ラインは譲れず、そのうえで少しでも節約するには、ベッドがふたつある部屋よりも、大きなベッドがひとつの部屋だ。そちらの方がいくらかは安い。

 まぁ、そもそも。いつどこで寝るにしたってふたりはくっついて眠るのだから、ベッドはひとつで十分ではあるのだけれど。

 それでも懐はだいぶ寂しくなってしまったし、この調子だとユラは明日一日動けないだろうから、もう二、三泊は見ておきたい。

 それに食費と食料そのものの調達も欠かせない。生活に無頓着ながら食べること自体は好きな主人の腹を満たし、舌を育て、その体を調えていかねばならない。

「けど、経験則、この街で稼ぐのは楽じゃなさそうなんだよな」

 オリアスは独り言ち、ため息を零した。

 果たして、これほど甲斐甲斐しい悪魔はこの世の中にどれだけいるのだろうか——本来悪魔は睡眠や食事を必要とはしないのだから。

 オリアスはすうすうと寝息を立てるユラの頬にそっと指の甲を添わせる。それから出会った頃と比べるとずいぶん滑らかになった黒髪に唇を寄せた。

「元気になったら、少しくらい褒美をくれよ。ご主人」



 Ⅱ. 夢見る劇場



 翌朝、オリアスは静かにホテルを出た。

 空は高く、点々と立つ街路樹の葉は赤や黄に染まっている。吹き抜ける風はひんやりとしていて、深呼吸をすると、胸いっぱいに清々しさが満ち、目が冴えた。

 オリアスは朝食のサンドイッチ用の食料を調達がてら、大通りを巡ってみることにした。

 早朝にもかかわらず、往来は賑わっていた。道のあちらこちらに芸人が立ち、皿を回したり、玉を投げたり、どこからともなく取り出した鳩を飛ばしている。他にも、小芝居を交えながら公演のチラシを張ったり配ったりする者、音楽を演奏する者もいる。芸術に関する造形はさほどないオリアスでも達者だと思う者のところには観客が大勢集まっていた。

 一芸、一曲の披露が終わると、客たちは演者にコインや紙幣を投げた。ほとんどの客の身なりは見るからに上等。ある青年はそれに羨望を向けながらも、演劇の一節と思しきものを揚々と演じながら公演のチラシを配り続ける。ある少女は、纏うワンピースやショーウィンドウに映る自分を見て「もっと稼いで綺麗にならないと……あの方にふさわしくならないと……」とぶつぶつ呟いていた。

 オリアスは一度ホテルに戻り、ユラ用のサンドイッチを拵えた。

 ユラはまだ起きておらず、オリアスの分の空間があいているにかかわらず横向きのまま、すうすうと寝息を立てていた。

 テーブルにハムとレタスのサンドイッチを置いて布を掛ける。その隣に「街に稼ぎに行ってくる」と、書き置きをひとつ残した。

 オリアスは先に目星をつけた、廃れたシアターに向かった。大通りの隅に建つそこには「工事予定」の看板が掛けられてはいるが、人通りは少なくない。にもかかわらず、その周辺で芸をしている人はちっともいなかった。

 オリアスはとりあえずシアターの前に建ってから、思案した。

 この世界はかつてオリアスがいた世界とは違い、処刑人や墓守は居れど、魔法の存在は浸透しておらず架空の絵空事として扱われている。だから、魔法は使いようによっては種も仕掛けも明かしようのない芸として手っ取り早い金策となる。

 だが、芸の栄えた場所ではちょっとやそっとじゃ目を引けず、かといってやりすぎると、やれ天才だの神の使いだの異世界人だのと変なのに目をつけられ追い回されかねないというのが、この世界をいくらか巡っての経験則だった。

「あら、お兄さんとても綺麗ね。役者さん? どこの劇団に所属してるの?」

 声を掛けてきたのは、小奇麗なドレスを纏った妙齢の女性だった。

「いいや、この街にはたまたま立ち寄っただけだけの旅人だ」

「そうなの? お兄さんほど麗しかったら、三大劇団のスターにもなれるでしょうに。彫像でも端役くらいは貰えるんじゃないかしら」

「彫像?」

「見た目はいいけれど演技がからっきしの人をそう言うのよ」

「なるほど」

「……ねぇ、お兄さん。声もいいし、やっぱり端役くらいは行けるわよ。ねぇ、劇団に入ったら? 贔屓するわよ」

「あいにくだが、興味がない」

「え〜、もったいない」

「ただ、路銀を稼ぐためにここで一芸でもしようとは思っていた」

 オリアスがそう言うと、女性はぱちぱちと瞬き、手に持っていた畳んだ扇子を顎に当てた。

「それなら、ここはやめておいた方がいいわよ」

「どうして」

「いわくつきなのよ」

 訳知り顔で、女性は言う。

「私がこの街に通い始めたのは四、五年ことだけれど。その間にこのシアターが何度立て直しになったと思う? ……三十三回。三十三回よ?ここに入ったシアターは工事の期間を抜いて均しておよそ四十日で潰れるってわけ。きっと失敗した主宰や経営者の悪霊でもついてるんだわ、きっと」

「悪霊ね……それでも、定期的に新しいシアターは立つんだろ?」

「まぁ、立地自体は悪くないし、なにより、この街の人や常連はここの事情をみんな知ってるから。新しい劇団、サーカス団、楽団がシアターを作ったら、野次馬的に見にくるのよ。だから、初日は必ず満席。しかも、そこから長く経営を続けられたらさらに話題なるっていうので、挑戦するところは少なくないわ。今のところ、成功した団体はいないけれどね」

 女性は扇子を広げぱたぱたと扇ぎながらくすくすと笑った。

 たしかにこの街の人々や客にとっては、ここは軽率に手を出すべき場所ではないのだろう。だが、オリアスはどうせ一週間もしたらこの街を離れるだろう旅人だ。いわくは大した問題ではない、むしろ好都合とさえ思える。ここで芸を売れば好奇を集め、一日だけでもある程度稼げるかもしれないのだから。

 オリアスは、ズボンのポケットに手を突っ込んでから、小さな氷の玉をいくつか生み出した。そして最初からそこに仕込んでいたかのように、ポケットから氷の玉を取り出し、垂直に放り投げる。女性の丸くなった瞳も自然とそれを追う。

 続けてオリアスは指先に、人の目にはただの針に見えるだろう細長さの水を数多生み出した。それも垂直に放ち、空高く飛んでいる氷の玉を貫く。キン、と氷が割れ、花火のように弾けた。

 細かな氷の粒は陽光にきらきらと煌めきなが落ちてくる。

 オリアスがぱちんと指を弾くとそれらは色とりどりの花となった。

「あなた、なかなかすごいマジックを使えるのね!」

 女性が歓声を上げる。他にも、近くを通っていた人々が足をとめ、空を仰ぎ、はしゃいだ。

「お母さん、見て、お花がお空から降ってきた!」

「あら、まぁ、綺麗ね!」

「お兄さんの芸かい? こいつは華やかだ」

「もっと見せてくれよ」

 大通りで見てきた大道芸のレベルを鑑みてこれくらいはセーフだろうと踏んだとおり、人間の芸の範疇と認めてもらえたらしい。

 オリアスは続けて魔法を用いた芸をいくつか披露した。やればやるほどに観客が増えていき、誰かが勝手に用意をしてくれた投げ銭箱に銅、銀、ときどき金貨や紙幣が放り込まれていく。

 太陽がてっぺんにのぼったあたりで、オリアスは芸を切り上げることにした。

 だいぶ稼げたし、ユラの様子も見に戻りたい。だがかなりお人だかりができており、それを放って投げ銭だけ回収しこの場を去るというのはなかなか心象がよろしくなさそうだ。

「次で最後だ」

 宣言と共にフィナーレらしい演出をしてやれば彼らも満足をしてくれるだろう。

 オリアスはその場にいざをつき、地面に手のひらをつけた。

 観客たちは一体何が起こるのだろうと好奇の眼差しをオリアスに注ぎ、ある者は息を飲み、ある者は急かすように拳を揺すっている。

 オリアスが瞼を閉じ、地面に力を注ぎ込むと、観客たちの間を縫うように光が抜けていく。そして観客たちが光の道筋を目で追って振り返った先で、大通りの中央にある噴水が勢いよく、高く吹き上がった。落下してくる水は蛇のように自在に蠢くと、星や花の形を描いたり、シャボン玉となってあたりに漂う。

 大人たちは盛大に拍手をし、こどもたちははしゃぎながらシャボン玉を追ったり星型を作る水に触れたりした。

「ま、魔法みたいだ……!」

 誰ともなく呟かれた言葉にオリアスは少しぎくりとしたが、「タネも仕掛けもある。明かしはしないがな」と平静を装って告げた。

 期待には十二分に応えられただろうし、観客たちが噴水に夢中になっている間に、オリアスはホテルに戻ろうとした。だが、オリアスが投げ銭箱を持ち上げたとき。オリアスは観客の中で唯一こちらを見ている青年と目があった。

 海色をした髪は、前髪が長く伸びていて、片目を覆い隠している。晒されている左目は、太陽のような黄金色をしていた。白を基調としたジャケットとズボンを身に纏い、背には縦に長い白の鞄を背負っている。

 青年はオリアスと目が合うなり忌々しげに瞳を細めると、僅かに唇を開いた。だが、すぐにきゅっと唇を引き結ぶと、そっぽを向いてつかつかとブーツを鳴らして去っていった。

 その背を目で追いかけていると、男がひとり、ゆったりと拍手をしながら近づいてきた。歳は四、五十代、ひょろりとした瘦身に、口周りに灰色のひげをたくわえている。

「いやぁ、見事でした。あなた、旅人さんなんですってね。路銀稼ぎでするにしてはあまりにも上質なショーだ」

「はぁ、そいつはどうも」

「その才能があれば、この街ではいくらだって稼げますよ。もしよろしければ——」

「スカウトなら断らせてもらう。あんたが言ったとおり、俺は旅人だ。旅を辞める気はない」

「ええ、もちろん、できることなら永久契約を結びたいですが、旅人という生き物が独自の信念や目的を持ち、それを決して頓挫しないことも存じ上げております。これでも長く生きてきた分、いろんな人間を見てきましたからね。ただ、あなたが今、そのためにこのショーをしたように、旅をするにはお金が必要でしょう?」

 男は元々細い瞳をさらに細めて、灰色の髭に囲われた唇を広く持ち上げた。

「一週間だけ、我がサーカス団のショーに出るというのは、いかがでしょうか」

「一週間だけ?」

「私が主宰を務めさせていただいているサーカス団は、この街で最も大きいシアターと最も大勢の観客を動員しています。そこであなたのような素晴らしい方がショーをすれば、到底生活に困ることのない稼ぎを得られるでしょう。一週間だけショーに出ていただけたら、それ以上引き留めません。利益ももちろん、豊富に還元いたします」

「え、お兄さん、リュウデウさんのサーカス団に入るのかい!?」

 噴水に夢中になっていた観客のひとりがオリアスたちのやり取りに気づき、声を上げる。それを聞いた他の観客たちも、オリアスたちを囲み出した。

「リュウデウさんから直々にスカウトされるなんて、誉高いことだぞ」

「お兄さんが出る回、全部見に行くわ。ねぇ、その期間のVIP席予約させてちょうだい」

「ちょっと、この人に最初に目をつけたのは私よ。予約するなら私が最初よ」

 せっかく逸らした観客たちの注目が再び集まるどころか、オリアスがまた答えを出していないというのに外堀を埋めようとするように歓声が飛び交う。

「持ち帰って検討させてもらう」

 金を稼げるに越したことはないが、オリアスはユラ以外とは〝契約〟を結びたくはない。この世界にオリアスの主人は、ただひとりだけ。それ以外の言うことを聞く義理はない。

 だが、まだこの街に滞在する以上、余計な波風を立てないに越したことはない。だから一旦そう答え、オリアスは興奮した観客たちに絡まれつつも、どうにかホテルに戻った。

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