10.次にも春は

 そう、あまりに美しすぎたから。

 私は言われるがまま頷いてしまいそうになった。いい加減にそんな事赦される訳がないのに。

 勝手に取り上げられたものを私の胸の内へと奪い返して、しずかに焼いて無かった事にしなければいけないのだ。初めから。十年間の途中から綴った物は全てインターネットの海の藻屑として、すっかり恋を終わらせてしまわなければいけない。彼女の幸せを嘘でも祝えないのだから、代わりにその位はしなければ。

 ふうと肺の空気をすっかり吐き出して、私は少し乾いた唇を舐めた。


「ちがいます」

「嘘でしょう」

「いえ、本当でなければいけません。だって」


 細い声をやっとの事で喉から取り出している。これが昨日だったなら、私は逆に叫んでいただろう。

 だって――だって。さて、そう言ったは良いけれど。私はどう続けようとしてそう言ったのでしょう。正答であるのだから解説が自分の内に無いなんておかしいのに、頭は真っ白。

 ほら見なさい、なんて言葉で刺されはしない。佐野さんはただじいっと待っていてくれる。いっそ何か責め立ててくれた方がまだ糸口も掴みやすかったのに。


「……既婚者に横恋慕するなんていけませんよ」

「それはそうですけれども」


 ようやく形を成した理由。あの人に似た貴方から肯定されたものだから、私は少し可笑しくなった。彼女は薬指の飾りなんかものともせず罠に掛けていたというのに。もっと駄目な事をしていたのに。


「別に、咎めようなんて思っていませんよ」


 足音。

 また、佐野さんは腰を下ろし直していた。ぐしゃぐしゃになったスカートを伸ばす事もせず投げ出された脚はすらりと長かった。


「ただ。湯田先輩の気持ちを聴きたかっただけで……今も好きだから。愛しているから」


 やめて、と。咄嗟に私は手を伸ばした。

  

「こんなに言い返しているんでしょう」


 手首を掴まれて、引き寄せられて。踊り場の上、二人で転がって。

 そしてようやく返されたものは湿り始めてもう焼き捨てられなくなっていた。みっともなく震えだした背に、何かが触れる。


「また意地悪を言ってしまいました」


 くすくすと耳元で笑い声。それと重なって、近くのスピーカーからはクラシックが響き始めた。昼休み終了五分前の合図。すぐ下からは数人分の足音が過ぎ去って行く。こんな所を見つかったらとは思っても、だらだら流れ出るものは止められなかったし、佐野さんの腕を振り払う事も出来なかった。


「さの、さん。もう、戻らないと」

「先輩を保健室に送ったらね」

「でも」

「先輩は急に貧血を起こしてしまって、私はそれを介抱していて。それで授業に遅れてしまうんです……ああ。文芸部の部長様なら、もっと良い筋書きが思いつきますか?」


 楽しそうに笑い続けている彼女。私はそれにつられる事なく泣いている。きっと心のうちの血と泥を洗い流しても余る程に泣けそうだ。


「……すき、です」

「うん」

「しんで、死んでほしかったくらいに」

「そんなに」

 

 後輩相手に何を晒しているのだろう。私は碌でもない先輩です。そう思えども、背を弱く叩かれれば溜め込んだ言葉は口から零れ落ちた。引かれて当然な一つ一つを佐野さんはそれでも受け止めている。

 

「――いです」


 ひどくのろまに進む会話、何度目かの相槌。

 それだけはちょうど、チャイムが重なって聞き取れなかった。

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