第4話
目が覚めたら涙は出ていなくて、泣いている気持ちだけが残っていた。涙をぬぐいたいのに、それができなくてもの足りない。さっきまで大声で泣いていたはずなのに、時計のチッチッという秒針の音だけが部屋に響いている。
わたしは小さいころ嘘泣きのスペシャリストだった。誰にも嘘泣きを見破られなかった。泣きたいときにはいつでも、本当に悲しい気持ちを心に持って来る事ができた。ずるい子供だった。ガピ子はわがままだったけれど、わたしの涙にはかなわなかった。本当に、一番わがままだったのはわたしだった。
フーっと大きな息をついてもう一回時計を見た。午後5時。夕飯はまだだし、ふとんのなかで本でも読んでいよう。体を反転させて枕を抱いたら、枕に桜の花びらがついていた。学校で昼寝をしていたときに髪の中に入ったんだろう。親指と人差し指で花びらをはさんでクルクルと丸めた。ちょっと水っぽい灰色の固まりになってしまった。……あーあ、ガピ子つまんないよ。ガピ子がいないとほんとにつまんない。死にたいパーセントが45まで上昇しました。
「いただきまーす」
夕飯は大ちゃんの入学祝でお寿司だった。わたしはお寿司が大好きだけれど、お父さんが魚嫌いなのでめったに食べられない。今回は大ちゃんのリクエストだったのでお父さんも嫌な顔はしていない。
「入学祝になにか欲しいものある?」
1人だけ冷凍チャーハンを食べながらお父さんが言った。子煩悩なのだ。
「別にない」
大ちゃんはそっけない。ちょっと反抗期なのだ。お父さんが少し残念そうな顔をする。
「あ、わたし新しいブーメランが欲しい。もうちょっと大きい奴」
「じゃあ次の出張のときに買ってくるよ、少しは上手くなった?」
お父さんが言った。
「うん、絵里ちゃんと練習してるから」
私が中一のとき、お父さんがオーストラリアの出張みやげでブーメランを買ってきた。お父さんは絵里ちゃん、ガピ子、ヒロトさんにもひとつずつブーメランを買ってきて、みんなの中でブームのようになった。初めは投げても地面につき刺さるだけだったのに、今ではだいたい、手元に戻るように投げられる。
「ガピ子、ブーメラン上手かったよな」
大ちゃんがテレビの野球を見ながら言った。
「ほんと、あの子だけすぐに投げられるようになったわよね。野生児って感じで」
お母さんが早くも涙ぐんで言った。わたしも、もうダメだ。
「肩が強いんだよな。こう、ブーメランを構えたときの顔がきまってたよな」
お父さんはもうボロボロ涙をこぼして笑いながら言っている。大ちゃんが涙をこらえて、つばをごくりと飲み込んだ。
みんな笑いながら泣いている。恥ずかしいったら無い。うちの家族はとても涙もろいので、ガピ子の話題が出るとお約束で泣きが入ってしまう。
「ガピ子の話はやめてよ、大ちゃん」
私は言った。でも本心では大ちゃんがガピ子のことを言ってくれて嬉しかった。
「うるさいよ」
大ちゃんは我慢をしていたのに、目をつむったら涙がほっぺたにこぼれた。あわててメガネをとって腕で涙を拭いた。赤い目をしながらテレビの野球を見ている。それを見たらわたしはさらに泣けてしまった。
うちの人はみんな泣き虫だからよく分かっているけど、泣いたら気持ちがすっきりする。わざとガピ子の話題をふって、すっきりするためにみんなで泣いているような気もする。嘘泣きの家系なのだ。
先にお風呂に入るね、とわたしはみんなに言った。お父さんが大ちゃんにビールを勧めて断られている。お母さんがお皿を洗いながら「あなたやめなさいよ」と笑って言っている。あっけらかんとしたものだ。さっきまで大泣きしていたのに。わたしもおんなじだけど。
服を脱ぎながら思いっきり伸びをした。さっき泣いたせいで興奮の余韻が残っている。気持ちはさっぱりした。死にたいパーセント、3パーセント。ガピ子ごめんね。でもこうやって何回も泣きながら、残された人たちは立ち直っていくしかない。というか、こうやってみんなで泣くと、家族の結束が強くなっていく気がする。
体を洗って湯船につかると気持ちがボワボワしてくる。泣いたあとのお風呂は格別だ。気持ちが透き通っている気がする。意味も無く手のひらを見つめて、首をかしげてみる。温泉に行きたいな。今度お父さんに頼んでみよう。ゴールデンウィークとか、どうかなぁ。そのためには中間テストを頑張ったほうがいいかもしれない。3年生は勉強が難しくなるかな。今年は受験だけど、まだ考えたくない。塾とか行ったほうがいいのかな。絵里ちゃんに相談してみよう。そうだ、あした絵里ちゃんと土手でブーメランをしよう。
「麻美子、風邪引いてるんだから長湯しちゃだめよ。早くあがりなさい」
ガラス戸の向こうからお母さんの声がした。
「もう出るよー」
危ない危ない。またぼーっとしていた。ちょっと名残惜しいけど思い切ってお風呂から立ち上がった。少しフラフラする。あしたブーメランできるかな。
居間に戻るとお父さんが1人でテレビを見ていた。ピンチがテレビの上にかぶさっている。すごい体勢。
「お父さん一口だけビールちょうだい」
「おう」
風呂上りのいっぱい。うまい! でもさらに頭がグルグルしてきた。まあ寝酒ということで。
「ビールなんて飲んで……」
お母さんが困った顔で言った。
「でも風邪を引いたとき、玉子酒とか飲む人いるよね?」
私は言った。
「風邪を引いたときに飲むと、悪化するんじゃなかったっけ?」
お父さんが言った。じゃあ飲ませないでよ。
「あなたみたいに飲み過ぎたら悪化はするわよ」
お母さんが言った。
「いや、僕は風邪引いたときは飲まないよ。麻美子といっしょにしないでよ」
「ひどい! お父さん」
おやすみと言って部屋に戻る。まだ9時だけど早く寝よう。あしたは日曜日だからお昼まで寝ていよう。そうすればさすがに風邪も治るだろう。その前に絵里ちゃんにメールだ。
――明日土手でブーメランしよう。お昼ごはんを食べたら迎えにいきます。11%――
すぐに返信が来た。
――了解。風邪をちゃんと治してね。51%――
おっと絵里ちゃん、ちょっと元気無いのかな。絵里ちゃんは夜になるとパーセントが高まる傾向にある。絵里ちゃんは泣かないから、ガピ子のことを思い出すと何日かひきずることがある。明日様子を見てみよう。
電気を消してベッドに横になったら、昼寝をしたにもかかわらず、すぐに眠気がやってきた。お酒が効いたかな。今度は変な夢、みなくて済むだろう。
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