第5話

 お昼ごはんを食べてから絵里ちゃんの家に向かう。風邪はすっかり治った。昨日はちょっと寒かったのに今日は春らしく暖かい。この勢いで残りの桜が一気に咲くかもしれない。

 うちのマンションは土手続きの高台に建っていて、そのまわりは小さな工場に囲まれている。工場と工場に挟まれた小さな道が迷路みたいに入り組んでいる。そこから出るための近道があって急な坂になっている。道の左右が工場に挟まれているので視界がとてもせまい。坂を出たところは袋小路になっていて、ほとんど車は来ない。わたしたちは親にしょっちゅう注意されながらも、自転車とかスケボーでその急な坂をやみくもに下っていた。

 川沿いに昼寝に来たトラックの運転手の人が、たまたま間違えて袋小路に入ってしまい、抜け出すためにバック運転をしているところだった。ほとんどスピードは出ていなかった。たぶんガピ子のほうがスピードが出ていただろう。自転車が半分に折れ曲がっていたそうだ。

 事故が起きたあとで坂の出口にミラーが取り付けられたけれど、いまもほとんど車なんて来ない。運試しの坂という名前は、子供たちが勝手に付けていた名前だ。たぶん今でも小学生たちは使っているだろう。ガピ子は運試しなんてするつもりはなかったはずだ。ただ絵里ちゃんの家に行こうとして、気が急いていただけだったと思う。

 

 土手は風が強くてブーメランのコントロールが難しい。ちょっと強い風が吹くと、ブーメランはあらぬ方向に飛んでいってしまう。上手な人はその風さえ読んで上手く投げるらしいけれど、わたしはまだまだそんなことは出来ない。遠くに落ちてしまったブーメランを走って取りに行く。それがけっこう運動になる。

「絵里ちゃーん! ちょっと休憩しよう」

 大声で、少し離れたところにいる絵里ちゃんに言った。絵里ちゃんは華麗なフォームでブーメランを投げている。わたしより全然うまい。そんなに練習してないと思うのに。

「今日は風が強すぎるね。ブーメラン日和とは言いがたい」

 わたしの横に腰を下ろしながら絵里ちゃんが言った。

「絵里ちゃんブーメラン上手くなってる。練習してたの?」

「わたし最近、土手にけっこう来てるから。ブーメランはついでに練習してるのよ」

「そうなんだ」

 絵里ちゃん、土手にお散歩に来ているということか。お日様の日差しが暖かくて気持ちがいい。芝生に横になって空を見上げた。また眠ってしまいそうだ。

 犬の吠える声がして、絵里ちゃんが「ヒロトさんだ」と言った。体を起こしてみるとヒロトさんが手を振って、土手の上のほうを歩いていた。エイドリアンを散歩させている。ガピ子の家の犬だ。わたしも手を振った。

「ヒロトさん海洋学部だって。似合うよね、海の男。船乗りになるのかな」

 わたしは言った。

「違うよ。ヒロトさん深海の研究がしたいんだって」

 絵里ちゃんがヒロトさんの背中を目で追いかけながら言った。

「深海の研究って面白いのかな。真っ暗なんでしょ」

「貴重な資源とかあるし、まだ発見されてないものがたくさんあるはずなんだって。そういう意味では宇宙と同じなんだってよ」

 絵里ちゃんがボーっとした顔で言った。

「絵里ちゃんなんでそんなに詳しいのよ」

「だってヒロトさんのこと好きなんだもん」

 げ。知らなかった。

「でもヒロトさん彼女いるからなー」

 絵里ちゃんが立ち上がって、伸びをしながら言った。

「そんなことまで調べてるの? でも彼女いるのかー」

 わたしも立ち上がって大きく伸びをした。

「いるのよー」

 と絵里ちゃんが言ってブーメランを思い切り投げた。きれいなフォームだ。

「ばかやろー」

 と言って、わたしもブーメランを投げた。真っ青な空のなか、ブーメランがくるくると回っている。風に飛ばされてだいぶ遠くまで行ってしまった。もう走りたくないから歩いて取りに行く。

 ブーメランを取り上げて後ろを見ると、絵里ちゃんが熱心にブーメランを投げているのが見える。すごくうまい。ガピ子もああやって真剣にブーメランを投げていた。ガピ子の場合運動神経がよすぎて、ブーメランの背面キャッチとか両足キャッチとかをして、見ているひとを魅了していた。いつのまにか土手のマラソンロード沿いに、観客が集まっていることもあった。ダンスしているみたいにくるくると体を回転させて、とても絵になった。ガピ子はつんと鼻のあがったかっこいい顔をしていて、男の子みたいだった。中学生になってちょっと女の子らしくなった。でも本人は相変わらず暴れまわって豪快に笑うので、そのギャップがすごくよかった。わたしもたまに、ガピ子に見とれてしまうことがあった。


 今度は絵里ちゃんとブーメランのキャッチボールをした。短い距離でもできるので、おしゃべりしながらやれるのがいい。

「絵里ちゃんは塾とか考えてる?」

「わたし、もう塾に入ってるよ」

 そうだった。

「わたしも入ろうかな」

「麻美子に塾は似合わないな。というか勉強が似合わない」

「そうだよねー」

 あれ? でもほんとだな。

「麻美子は勉強以外のところでがんばってもらいたい」

「えー、どうゆうことー。お裁縫とか?」

 家庭科はわりと得意だ。料理も好きだし。 

「違うよ。そういうことじゃなくて」

「なんなのよー」

 力んで投げたら変なところに飛んで行ってしまった。わたしが下手なので、絵里ちゃんをしょっちゅうブーメラン拾いに走らせてしまう。すまぬ。 

「このぐらいにしとこう。あした学校だし筋肉痛になったら嫌だから」

 絵里ちゃんが言った。

「わたしはもう筋肉痛、確定だよ」

 すでに肩が痛い。でも久しぶりに運動して楽しかった。普段からもう少しブーメランの練習をしよう。  

 絵里ちゃんが塾なのでマンションの前で別れた。絵里ちゃんはガピ子の事故があってから運試しの坂を通らない。マンションをぐるりと回る道を歩いて行った。

 

 家についたら誰もいなかった。ピンチがくっついてきた。ベッドの上に横になったら、お昼近くまで寝ていたのにもかかわらず眠くなってしまった。運動したからかな。おなかが空いてきたけどここで食べたら太る。ああ眠い。ピンチ、また遊べなくてすまぬ。寝る。

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