第3話
「……子! ……
絵里ちゃんが怖い顔をしている。どうやら寝てしまったみたいだ。
「……絵里ちゃん。おはよう」
「おはようじゃないわよ、こんなところで寝て。スカートも
エッと思って下を見たけど、スカートはきれいにひざの上に乗っていた。
「いや、わたしがいま直しただけ。気をつけなきゃダメじゃない」
「うん、ごめん。誰も見なかったかな」
「うん……たぶん大丈夫。あ、でも菊池君はわたしより先に帰ったから見られたかもよ」
急に恥ずかしくなってきた。顔が真っ赤になってしまった。
「いまさら顔を赤くしても遅いわよ。っていうかあんた熱があるんじゃない? 鼻水もたれてるし」
「鼻水なんてたれてないよ!」
笑ってわたしは言ったけど急に寒気がしてきた。やっぱり風邪を引いてしまったのかもしれない。失敗した。
校門を出て歩き出したら体がフワフワする。やっぱり風邪だ。家に帰ったらすぐに寝よう。
「……桜、ずっと見てたんだね」
絵里ちゃんがぽつんと言った。
「うん。とってもきれいだった」
私は言った。
ガピ子は桜が好きだった。普段は花とか植物に見向きもしないのに、桜の季節になると「お花見しようよ!」とうるさかった。ただ騒ぎたいだけだったかもしれない。でも柄にも無く花びらを集めたりしていた。桜の花びらで風呂桶をいっぱいにして、桜風呂をしようとガピ子が言った。結局、風呂桶に5センチくらいしか集めることができなくて、それでも3人でぎゅうぎゅうにお風呂に入って笑い合った。花びらを頭の上にかけて「シャンプー」といって、ガピ子がみんなの髪をごしごしやった。そのせいで後始末が大変だった。たしか小学校低学年頃の話だ。
「いま、何パーセント?」
絵里ちゃんが下を向いて、歩いているつま先を見ながら言った。
「……37パーセント」
わたしが答えた。
「絵里ちゃんは?」
「19パーセントかな」
これはわたしたちが『死にたいパーセント』と呼んでいる禁じられた遊びだ。単純に嫌なことがあって死にたさを測るときもあるし、いまみたいにガピ子のことを思い出して、その度合いを測るときにも使う。もちろん2人だけでやっている。ガピ子が死んでしまって少ししてからいつの間にか始めていた。
「19か、低いね」
わたしは言った。
「うん、だって桜を見てないから」
絵里ちゃんがこちらを見ないで言って、わたしの手をにぎった。絵里ちゃんの手が暖かかった。そのまま手をつないで帰った。
「ただいまー」
玄関に猫のピンチがきれいにお座りしている。ピンチにお母さんは? と話しかけて台所に行く。台所の隣の居間で母は新聞を読んでいた。
「遅かったじゃない。お昼ごはん、もう
「うん、お昼いらない。ちょっと風邪気味だから夕飯まで寝てるね」
「あら、ほんと顔が赤いわよ。だから上着を着ていくように言ったのに」
「うん。ちょっと油断してた」
外で昼寝をして風邪を引いたとは言えない。冷蔵庫から牛乳を出してコップに注いだ。
「大ちゃん、中学のことなんか言ってた?」
私は訊いた。
「そうそう、
お母さんが少し心配そうな顔になって言った。
大ちゃんに私が天井を眺めていたのを見られたのかも。あちゃー、面目ない。でも大ちゃんが、わたしの姿を探してくれたのは嬉しい。わたしは見つけられなかったのに。
「薬はいいや、夜飲むかもしれないけど」
そういって、わたしは牛乳の入ったコップを持って自分の部屋に向かった。ピンチがついてくる。
パジャマに着替えて牛乳を飲んだら、急速に眠気が襲ってきた。ピンチが遊んで欲しいって言ってるけど、ごめんね、無理だ。小皿に少し牛乳をたらしてあげて、わたしはベッドに横になった。
こういうとき、わたしは愚にも付かない夢を見る。
学校の校庭で、わたしは絵里ちゃんとガピ子を待っている。桜は満開で、わたしはベンチに座っている。校庭はクラブ活動の生徒でいっぱいだ。お昼寝をしたいけど、風邪を引くからやめようと思う。桜が散ってきて、わたしはガピ子に花びらを集めるように言われていたことを思い出す。早く集めないとガピ子の血が足りなくなってしまうのだ。
なんでわたしはまた、ぼーっとしていたんだろう。早く集めないと。でも桜の花びらを入れる入れ物が無い。
「帽子を使えばいいんだよ」
大ちゃんが灰色の帽子を渡してくれる。小学校の通学帽だ。
「あっ、大ちゃん。ちょうどよかった。桜の花びらを集めるの手伝って!」
焦ってわたしが言うのに、大ちゃんは詰襟の制服を着て、友達となにか話をしている。そうか大ちゃんはもう中学生だから、桜の花びらなんて拾いたくないよね。
わたしは地面に落ちた花びらを手でかき集めようとする。でも砂がいっぱいで、花びらなんて2、3枚しか手の中に入ってこない。
「こうやればいいんだよ!」
ガピ子がピンセットで一枚一枚花びらをつまんで、帽子のなかに入れてくれる。ガピ子はやっぱり頭がいいなと思う。
「でもこれじゃあお風呂いっぱいにはならないよ」
わたしが、がっかりした感じで言う。
「そんなこと言ってる暇があったら、はやく手をうごかしなさいよ!」
と言って、ガピ子は楽しそうに花びらを集めている。ああ、いつものガピ子だ。
「絵里ちゃん遅いね」
「絵里は交通事故で入院してるから」
「ああ、そうか。でも大丈夫なんだよね?」
「そうだよ。だからお見舞いに花びらをもっていくんじゃない」
「あれ、事故にあったのはガピ子だったんじゃない?」
ガピ子がわたしの顔を見てちょっと泣きそうな顔をする。あ、ガピ子ごめんね。わたしは無神経でいつも人を傷つけている。
「ごめん変なこと言って。なんでわたしってこうなんだろ。わたし、いつも」
わたしはすごく悲しくなって、ひざの間に顔をうずめて泣き出す。
「大丈夫、大丈夫だよ。麻美子はとってもいい子だよ」
いつものようにガピ子が、わたしの頭をなでて慰めてくれる。乱暴なガピ子が、わたしが泣き出すと急にやさしくなるのが嬉しかった。だからわたしは、自分の心をわざと悲しくなるように、涙が出るようにと追い込んでいくのだ。
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