第2話
ガピ子が死んで半年になる。交通事故だった。『運試しの坂』で本当に運試しをしてしまって、トラックの側面に思いっきりぶつかった。頭の骨が折れていて、病院に着く前に亡くなってしまった。わたしを含めて、まわりの人間はまだガピ子が死んだことを受け入れられていない。
なにしろ元気で、さわがしい人間だった。なんでも一番はガピ子だったし、わがままで乱暴で、でも心根のやさしい子だった。ヒロト君にいつも勝負を挑んで負けていた。負けるたびにくやしがって暴れるので、優しいヒロト君は苦笑いをしていた。ちょっと変則的だけれど仲の良い兄妹だった。
ガピ子と親しかった人間は、なるべくガピ子のことを口にしないようにしている。口にしたらすぐに思い出してしまうからだと思う。うちのお母さんもガピ子を可愛がっていたから、つとめて思い出さないようにしているみたいだ。
一方で、わたしはまだ悲しさを実感していない。ガピ子がいなくなったこの空っぽな感じが、ただ心に居座り続けている。たぶん、人が死ぬということを頭で分かっていても、慣れていないから、奇妙な感覚として扱いかねているのだと思う。わたしはガピ子が死んでから、うわの空になることが多い。気が付くとぼんやりして、空を眺めていたりする。ずっと空を眺めていたら、この不思議な感覚に終わりが来るような気もするのだ。なんとなくだけど。
チャイムが鳴って、わたしはまた1人で桜を眺めていた。ぼんやりしてしまった。新入生はもう体育館に集まっているはずだ。急いで体育館に向かう。
体育館の扉をそっと開けると、司会の先生がマイクの音量調整をしているところだった。わたしは何でもないような顔して、ゆっくりと歩いて、お手伝いの3年生の列にもぐりこんだ。
「ちょっと遅いじゃない。報告もしないで」
小声で
「ごめんなさい。ちょっと桜を見てた」
「おまえは桜を見すぎなんだよ」
さっきと同じセリフを菊池君が言って、まわりのみんながくすくす笑い出した。なぜかわたしだけが教頭先生に睨まれた。ひどい。
入学式が始まったのでみんなが背筋を伸ばした。集団の中に大ちゃんの姿を探したけれど、なかなか見つからない。わたしがキョロキョロしているので、絵里ちゃんにシャツの袖をひっぱられた。大人しくしろということだろう。あきらめて前を向く。体育館の天井が高い。この肌寒くて張り詰めた感じ、嫌いじゃない。新入生の不安な気持ちが伝わってくるかのようだ。体育館の上のほうの鉄骨に、バレーボールが2個挟まっている。どうやったらあんなところにボールが挟まるのだろう。相当に力を入れなければならないはずだ。恐らく男子が足でキックして、ボールが挟まるように頑張ったに違いない。
そんなことを考えていたら「着席」の合図を聞き逃してしまい、わたしは1人で体育館に立ち尽くしていた。あわてて着席する。またみんなに笑われてしまって周囲の目が集まる。恥ずかしい。
ちょっとしっかりしなくては。大ちゃんも中学に入ったことだし、わたしが笑われていたら肩身が狭くなるだろう。もう一度弟の姿を探してみたけれど、やっぱり見つからなかった。せめて何組になるのかだけ、
北川先生は1、2年生の時の私の担任の先生だ。同じクラスだったからガピ子の担任でもあった。ガピ子が死んだときに、最もショックを受けた1人だと思う。体育の女の先生で、いつも元気でさばさばとしていた。その感じがまるでガピ子が大人になったようだった。ガピ子とはとても気が合っていて、姉妹のように見えるときもあった。
ガピ子が死んでから、北川先生はあからさまに元気が無くなった。表面上はいつもと変わらないようにしている。でも無理をしているのがはっきりと分かる。見ているこちらが辛いくらいだ。先生はわたしに対しても、なにかと気をつかってくださる。わたしはその優しさにつけこんで、先生からいろんな情報を引き出している。職員室の噂話とか、クラス替えの情報とか。いいかげん悪いから、やめなければならないのだけれど。
入学式が終わって後片付けをしたあとに、いつものように絵里ちゃんと帰ることにした。絵里ちゃんは生徒会の打ち合わせがあるので、わたしは外に出て校庭のベンチに座って待っている。上を見るとまた桜だ。ちょっと寒いけれど、ベンチに横になってお昼寝をしたい気持ちになった。1年生はもちろん、3年生もあらかた下校したようで校庭には誰もいない。思い切って横になってみた。
視界いっぱいに桜が広がっていてとても綺麗だ。さっきまでは気が付かなかった桜のいい香りがする。両手を伸ばして、つかめるはずがないのに桜の花に触ろうとした。まだ8分咲きといったところで、つぼみもたくさん見える。満開になって花びらが散るころには、気温も暖かくなるだろう。そのころにもう一度ベンチに横になって、同じフレームでこの桜を見たい。でもそのときには、校庭は生徒でいっぱいだろう。新入生を加えた野球部やサッカー部の人たちが、にぎやかに走り回っているに違いない。
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