その一手

神連木葵生

遺言宅配便

 その黒づくめの男は遺言宅配便といった。死人の意思を継いで届けたい物をどんな時でもどんな場所でも届けるらしい。

 だが、俺が待っているのはいつもの将棋の相手だ。男はアイツが昨日死んだという。だから来られないのだという。そんなの嘘だ。だって将棋の勝負はついていない。とてもいい場面だった。昨日はそれでお預けになり終わったのだ。

 そして代わりにきたのがこの黒づくめの男である。

 これが黙っていられるか。

「アイツじゃないんなら帰れ!」

 黒づくめの男にいうが、男は意に介さず盤面をよく見て、後ろの方を見て何か囁いている。そこには何もない。何もない場所と話している。そんなけったいな男が「死んだアイツからの送り物がある」と言うのだ。送り物があるというにしてはソレをいつまでも出してこない。

 俺と盤面を囲む男を睨むが、男は怯んだ様子もなく盤面を見ている。

 何をするというのか。

 将棋を打つつもりなのかもしれないが、これは俺とアイツの盤面だ。邪魔されてなるものか。

 そうして黒づくめの男が一手を打つ。なにか文句を言ってやろうと思っていた。


「はっ……!?」


 ただの平凡な一手だった。

 だがそれはアイツの一手だった。

 アイツが選ぶであろう一手だった。

 何回も何回も打ち合ってきたアイツの手だった。

 俺が見間違うはずがない。

 ボタボタと盤面に生温かな雨が降る。

 俺はこの時実感した。

 アイツの死を。

 もう二度と打てないアイツがどうにかして一手を打ってきた。そう信じるに足るものだった。

 それに男が打った一手の将棋の駒はアイツが大切にしていた象牙の駒だった。昨日まで打っていた駒は俺の柘植の木の駒。一つだけ白い駒はアイツだと主張しているようだった。

 そこまでアイツの遺志を読んで溜まらず嗚咽を上げた。


 盤面はボツボツと生ぬるい雨を受けていたが、男は変わらず無表情のままだ。


 そして、


 パチリ。

 一手を打つ。その駒も白い。

 

「王手!  ……でしたっけ?」


 こっちが打つ前に打ってきて王手した。

 明らかなルール違反だ。

 思わず涙も引っ込んで、あんぐりと口を開けるしかなかった。


 ルールぐらい学んできやがれ!

 

 きっと男の背後にいるアイツも手を目に当てて悔しがっていることだろう。

 そこまで考えてふと笑うしかなかった。きっと背後のアイツも笑っているだろう。

 笑いで迎えるアイツとの別れもそれはそれでいいのかもしれない。

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その一手 神連木葵生 @katuragi_kinari

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