一章 月移住計画
第1話 宇宙への旅立ち
管制塔の放送がヘルメット内部に木霊する。かっこいい男声は、まるでハリウッド映画のそれみたいだ。
「酸素濃度グリーン」
「機械系統グリーン」
「気圧グリーン」
「エンジン動作グリーン」
「オールグリーン」
「発射十秒前。
秒刻みのカウントがイヤが上にも興奮をかきたてる。これが私たちの門出だ。母なる地球を旅立っていく。私たちは宇宙の旅人。
「
ノイズキャンセリング式のヘルメットをかぶっていても、エンジン点火の轟音と振動を感じた。加圧訓練で経験したより重いGが全身にかかる。内臓が肛門から全部ぬけだしそうな最悪の気分がする。が、それもつかのま。予想より遥かに短い時間で、私たちは地球の引力から解放された。
ああ、青い。
宇宙からひとめでも地球を見た者は、そこにある多くの国境線を感じなくなる。地球は多くの国の集合体ではない。一つの丸い星なのだと実感すると、半世紀前の宇宙飛行士が言ってたらしい。
なるほど。これか。
眼前を圧する深いブルー。そのなかに溶けていきそうな解放感が、どこまでも壮大な宇宙の広がりとシンクロする。
もうこの星に帰ることはない。私たちはこれから地球をあとにする。そう思えば、少し名残惜しくもある。
でも、これは人類にとって、きわめて重大な案件だ。私たちの成功いかんに今後の人類の存亡がかかっているといっても過言ではない。
私たちは月へむかう。
男女八人。
世間では合コン移民などと
宇宙への移民だ。すでに訓練された宇宙飛行士が三度、先発隊として出発している。初回の隊が発ってから五年が経過していた。今回初めて一般公募で乗組員が選ばれたのが、私たち八人だ。若く健康であること、宇宙で死んだとしても自己責任だと認めることのほか、移民後、必ず二人以上の子どもをもうけることなどが条件だった。
とにかく月で増えろという。産めよ。増やせよ。地を満たせ。
宇宙船は地球の軌道に乗り周回を始めた。
成層圏の青さは、ほかのどんなブルーにもたとえられない。優しく、やわらかく、澄んでいるのに、背後の絶対的な闇を切り裂くほどにまばゆい。
月からも地球は見える。宇宙の闇がどんなに深くとも、この光が視界のどこかにあるかぎり、さびしくはない。
宇宙開発はずいぶん進んだはずなのに、アポロ11号と同じ航法で進むのだという。たしかに八十年も前に月面着陸を成功させているのだから、手本にしない選択肢はない。スイングバイ航法とかいうらしいが、専門の宇宙飛行士ではないので、くわしくは知らない。八十年前より科学が進んだと断言できるのは、月までほぼ自動操縦で行ってくれる事実だ。地球の重力圏から脱出し、月への楕円軌道に乗ってしまえば、三日間、私たちはすることがない。自由時間を満喫できる。
「楕円軌道に乗りました。シートベルトを外してください。なお、船内は無重力状態です。加圧ベルトをオンにし、訓練中に受けた注意点を忘れないでください」
人間のかわりに月までドライブしてくれるAIが機械音声で告げる。愛称はアイ。この船に乗っているのは日本人ばかりなので、AIをローマ字読みしただけの単純なニックネームだ。
「地球が離れていきますね。もう帰らないと思うと、ちょっと名残惜しい気も」
となりにすわっていた女性が声をかけてきた。
「ほんとね。別に未練はないけど、こんなに綺麗な星だと知ってれば、移民志望ためらったかもね」
今度は反対側から応えが返ってくる。宇宙船の席は四人ずつの二列横隊。それに男女が交互になるよう指定されていた。二列はむかいあわせなので、まさにお見合いである。
詩音がリカちゃん人形なら、反対側の美女はどこから見ても
こんな美女たちと月で結婚相手を見つける日々が待ってると思えば、人生は薔薇色だ。家も友人も仕事もすて、身一つで空へ飛びだす無謀もやってのけられる……と、このときは思っていた。少なくとも月へ到着するまでの三日間は。
薔薇色は月へ到着するとともに
地球から見えた美しい月は、宇宙の漆黒のなかでは、完全にその魅惑を失っていた。ただのクレーターだらけのみすぼらしい岩塊にすぎない。
それが乗組員の運命を暗示しているかのように、一つ、また一つと魔法が解かれていく。
そして、残るのは恐怖だけ——
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