第3章 実験体ナンバー07

Scene 3-1「監視ログ:No.07-A」

 金属の軋む音が、静かな廃墟に響いた。

 術式監視センター。

 かつて連邦中央圏の中枢管理拠点の一つだった施設は、今では立ち入り禁止の廃屋に変わっていた。半分崩れた天井から、白く霞んだ光が差し込む。

機材のほとんどは運び出され、残った端末もすべて廃棄フラグが立てられていた。けれど、ここにはまだ“何か”が残っている気がした。


「……中央の監視ログに接続するための配線、まだ生きてるかもしれない」

 ユイは朽ちた配電盤に手を置いた。術式干渉の波動が、わずかに残る。


「レオン、少しだけ――」

「分かってる」

 レオンは工具を取り出し、断線したケーブルに補助線を繋ぐ。

「補助電源を使う。長くは持たない」

「十分」

 廃棄された記録装置が、低い唸りを上げる。

 画面に、歪んだ文字列が浮かぶ。

 

 《監視ログ No.07-A 再生準備》


 胸が微かに軋む。見なければならない。でも、その先に何が映るのか。手が震えた。


「……再生」

 白黒の映像が、古いノイズに覆われて現れる。

 狭い隔離ルーム。壁に埋め込まれた術式制御パネルが、淡い光を放っていた。

 中央に、幼い少年が座っている。

 髪は短く、痩せた体を抱き込むようにして丸まっていた。


「……カイル」

 ユイは声を呑む。

 映像のノイズが収まり、少年の顔がはっきりと映し出された。無表情で、視線はどこにも向いていなかった。鼓動がひどく速くなる。

 あの廃墟で見た幻影と、寸分違わない。ユイは画面に手を伸ばした。


 端末の中の少年は、まるでそこに座っているだけの人形のように動かない。記録の日付は十年以上前。存在しなかったことにされていた時間。


「……これが、カイルの“最初”」

 声が掠れた。

 レオンは黙ったまま、映像に目を落とす。

 映像が切り替わった。

 同じ隔離ルーム。

 けれど、今度は少年の隣に、もう一人の姿があった。ノイズが走り、顔が歪む。

 服の色も髪の明るさも、境界が滲む。

 けれど、その体格も、髪の短さも、視線の低さも――あまりにも見覚えがありすぎた。


「……これ」

 喉がひりついた。

「僕……?」

 画面の中の“もう一人”は、カイルの肩にそっと手を置いていた。口元が何かを動かしている。

 ノイズが激しくなり、音声は再生されなかった。それでも、二人の間に確かに何かがあった。


 拒絶ではなく、恐怖でもなく。

 幼い何かを守ろうとする動き。


「……ユイ」

 レオンが低く呟く。

「お前……」

「……分からない」

 頭を抱えた。

 視界が霞む。

「でも……僕は、そこにいたのかもしれない」

 指先が震えた。

「忘れてた……全部」

「思い出せなくても無理はない」

 レオンの声は静かだった。

「お前は記録だけじゃなく、自分の記憶も……」

 言いかけて黙る。

 映像が暗転した。画面に冷たい文字が浮かぶ。


 《監視ログ終了》


 部屋に沈黙が落ちる。ユイは動けなかった。

あの映像の少年が、自分だったかどうか。確証は何もない。それでも、胸の奥が知っていた。


 きっと――あれは、忘れたくて忘れたんじゃなかった。ユイは額に手を当てた。

胸の奥に、どうしようもなく冷たいものが広がっていた。


「……思い出せない」

 声が震えた。

「何も……」

 目の奥が痛んだ。記録に残らなかっただけじゃない。 自分自身の記憶からも抜け落ちていた。


 “なぜ忘れたのか”

 それが、ひどく怖かった。


「ユイ」

 レオンの声は低く落ち着いていた。

「無理に思い出す必要はない」

「でも……」

「今は記録を集めるだけでいい」

 ユイはゆっくり顔を上げた。

「……分かってる」

 再生装置の画面は、今は真っ黒に沈んでいる。

 けれど、さっきまでの映像は消えない。

 あの小さな背中。隣に寄り添う、顔の見えない影。忘れていたはずの情景が、胸の奥にじわじわと溶けていく。


「なあ」

 珍しく、レオンが言葉を探すように声を出した。


「……もしお前が、そこにいたんだとして」

「うん」

「それでも今は、自分を“ユイ”として生きてるんだ」

「……」

「過去の全部が、今のお前を決めるわけじゃない」

 レオンの言葉は不器用で、温かかった。ユイは息を吐いた。


「……ありがとう」


 再生装置に残されたログファイルをもう一度確認する。古い記録装置は、断片的に別の映像を保持していた。

 再生マークをタップする。モノクロの映像が、途切れながら浮かぶ。


 記録番号〈No.07-A/監視区画・第3ルーム〉

 日付の欄は、読み取り不能だった。映像の奥で、小さな影が声を上げている。けれど、音声は復元されなかった。

ただ、何度も同じ仕草を繰り返している。誰かを探すように、扉を叩いていた。


「……寂しかったんだ」

 ユイが小さく呟いた。

「きっと、ずっと」

 もう一つ、記録があった。

 映像が切り替わる。

 廊下を歩く職員たち。

 書類を抱えた白衣の影。

 そして、幼い自分によく似た少年が、廊下の隅に座り込んでいた。顔は映らない。

 でも、視線だけが、ずっと閉じられたドアを見つめていた。


 その先に、さっきの隔離ルームがあった。

 胸が詰まる。


「……何で、忘れてたんだろう」

 声が震えた。

「どうして、僕は……」

 答えは返ってこない。

 でも、知らないふりだけはできなかった。

 

 

 

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