Scene 3-2「エコーラボ跡地」
廃棄された研究施設は、都市の外縁部にひっそりと佇んでいた。
《
かつて《セラフ=ゼロ》系列の研究部門が運用していた拠点。閉鎖されてから十年以上が経ち、外壁は剥がれ、標識も半ば崩れている。
それでも、この場所が無関係だとは思えなかった。
「……ここが、カイルの記録にあった研究室? 」
ユイが声を落とした。
「正確には、彼の“登録予定地点”だ」
レオンが手にした端末を確認する。
「監視ログに残っていた搬送ルートと一致している。ここで正式な個体コードが付与される予定だった」
“正式な個体コード”。
人間としてではなく、実験体として存在を許可される番号。胸の奥に冷たいものが落ちた。
施設の中は、廃墟という言葉以上に荒れていた。床に散乱した資料は風にめくれ、錆びたラックには見覚えのない機材の残骸が積もっている。
天井の一部は崩れ、剥き出しの配線が黒く焦げていた。それでも、ユイの視界の隅に何かがちらついた。
淡い、青い光。
「……レオン」
「分かるか? 」
「うん。……術式残響だ」
それは視界の端に漂う霧のようだった。
《Memorix》の感覚が反応する。
「ここで何かが、強く刻まれてる」
声が掠れた。
それは恐怖なのか、懐かしさなのか分からない感覚だった。
ユイはそっと歩を進めた。
青白い霧のような術式残響は、奥へ奥へと誘うように揺れている。
「……この感覚、何度も夢に出てきた」
独り言のように呟いた。
「何も覚えてないはずなのに、ずっと知っていた気がする」
レオンは無言で隣を歩く。ただ、彼の視線が一度も逸れないことだけが、救いだった。
崩れかけた廊下を抜けると、古い標識が残っていた。
【個体管理室 A-07】
数字を見た瞬間、胸が詰まった。
「……“
呟くと、口の奥がひどく乾いた。
カイルの識別コード。
そして、自分の記録にも刻まれていた番号。
部屋の扉は半分壊れ、冷たい空気が滲んでいた。ユイは手を伸ばす。指先が震えていた。
「……入る」
「分かった」
レオンは短く頷く。その声に背中を押され、ユイは朽ちたドアを押し開けた。
部屋の中は、不自然に整っていた。
廃墟と化した外の廊下とは違い、壁の一面だけが剥がれず残っていた。
その中央。
無数の記録端末が埋め込まれている。けれど、ユイの視線はすぐに一点で止まった。白い壁に、手書きの数字が残っていた。
“07”
まるで忘れられないように、刻まれたように。
「……ここで」
声がかすれる。
「僕は……」
言い切れなかった。思い出せない。でも、知っていた。ここに立っていた記憶だけが、骨の奥を震わせる。
術式残響が、視界を覆い始めた。淡い光が、部屋全体に滲む。ユイはそっと目を閉じた。
「……もう少しで、何かに触れられる気がする」
ユイは壁に刻まれた数字から目を離せなかった。
“07”。
たった二つの記号が、胸をひどく締めつける。
「……何で……こんなに怖いんだろう」
声が震えた。
「思い出せないはずなのに……」
指先を壁に近づける。ざらついた感触が、皮膚を通して骨まで沁みていく気がした。
レオンが少し離れた場所を見ていた。
「……ここは、お前の存在が最初に定義された場所だ」
「……どうして分かるの? 」
「施設の仕様だ。
ユイは目を閉じた。視界の裏側に、白く光る部屋の幻影が浮かぶ。静かすぎる音。冷たすぎる空気。
奥にもう一つ、半ば崩れた扉があった。
ユイは無意識に足を向ける。
「待て」
レオンの声が低く落ちた。
「その先は……」
「行く」
言葉が口を突いて出た。
「たとえ何があっても、ここを見ないと、進めない」
レオンは短く目を伏せた。
それから、ゆっくり頷いた。
扉を押し開ける。
奥は小さな区画だった。
壁の一部が抉れ、床には無数の術式回路が刻まれている。
「……感情制御の術式基盤」
レオンが呟いた。
「ここで……感情を“初期化”したんだろう」
ユイは喉を詰まらせる。
“初期化”。
生まれたばかりの感情を、必要のない機能として書き換える。だからあのときのカイルは、何も表情を持たなかった。だから自分も――
壁の一角に、数字がもう一つ刻まれていた。
“
視界が霞んだ。
「……やっぱり……」
声が掠れた。
「僕も、ここにいたんだ」
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