第19話 思わぬ所に目があるものだ



 はぁぁ・・・。

 大きく息をつき、ルートヴィーズは身動ぎをした。途端に後頭部から前頭葉へ突き抜けるような痛みが走り、頭を押さえる。

 普通の人間なら呻いていた所だろうが、彼の場合はノドの奥がしまるだけで、声らしい声は出ない。大きく顔を歪ませた彼は、痛みが治まると細く息を吐いた。

 仰向けになり、包帯に触れてみる。

 閃光。


 豪華で複雑な形のシャンデリア。天蓋。視点が低い。ベルベットカーテン。幾何学模様のカフスボタン。白い手袋に頭をなでられる。黒い瞳に浮かぶ優しげな微笑。螺旋階段付きの書庫。細いかかとのブーツ・・・。


 は、っとルートヴィーズは目を見開いた。

 幻は一瞬で消え、見慣れた天井が戻ってくる・・・。

 ルートヴィーズは目を細めた。


 * * *


 顎の下を隠すように黒ヒゲをはやした男が訪れたのは、二日後の午前中だった。

 相変わらずルートヴィーズはベッドの上で、頭痛に悩まされている。ほとんど寝たきりだ。それでも店を休むわけにはいかないので、アデレートは時折彼の心配をしながら、いつもの様子を装ってカウンターを切り盛りしていた。


「ニ・三日の予定だ」

 そう言って料金を払った旅人は、ユグナと名乗った。


大陸南部に多い名字で、彼の喋り方に独特の南部なまりが僅かに聞き取れることからもそれが分った。いかにも「流れ者です」という無骨な姿と酒焼けした声は、数年前に全域廃止された活動写真に出てくる『酒場の客』そのもので、貫禄がでてきたこの店に似合い過ぎるほど似合っていた。


 腹が減ったと言いながら、『サアイ』というアルコール度85の酒を胃の中に流し込むのだから、いくら飲んでも酔わない性質タチか、酒を飲むと手の震えが止まるタイプだろう。早くもテーブル席にいたフェイと常連客に馴染み、「昼食代を賭けないか」などと意気投合している。


「そういやぁ、あの赤帽字の青年、数日見ないな」


 フェイがそう言うと、ダグラスが手元のトランプを覗き込みながら、

「ええ。この間黒人連中とやりあってから見ませんねえ」

 と他人事のように言う。


「まさか殺⦅や⦆られちまったのかねぇ」

「いんや。昨日の夜、西地区の裏酒場のあたりで見たぞ。あの兄ちゃん、ありゃあレネスの言った通り、西の回しもンだな」


 比較的近い席にいた為に、カウンターの内側にいたアデレートにもその声が聞こえた。僅かに顔を顰めたあと、普段の表情に戻す。


「そんなこと、軽はずみに言うもんじゃないですよ」

 ちらりと店主を見ると、客の一人はにやりと笑った。

「だがありゃあ、下っ端ですらねぇぜ。何やら目つきの悪い連中に囲まれて、レネスみたいに歩いてやがった。店に入ったんで一瞬だったが、店の明かりであの赤い帽子と金髪が見えた」 

「顔は?」

「染み一つない小洒落たコート羽織ってんのはアイツぐらいだろう」

「そうだとすれば、もう彼には会えないのか・・・一度勝負してみたかったんだがなぁ」

 灰色髪のフェイがカードを捲りながら言うと、

「それよりも、ここの看板娘さん大丈夫なのかなぁ」

 と、ダグラスが呟く。


一枚捨てて、テーブルの真ん中に積んであるカードを捲った。そこで厨房に入っていたリクが料理を運んできたので、会話はぶつりと途切れた。


 〝思わぬ所に目があるものだ〟


 アデレートはつくづくそう思った。

まったく、油断も隙もならない街だ。

何気ない会話や言動ですら、そしらぬ顔の店主⦅おれ⦆に見張られているのだから。


 階段の上から人の気配がして、荷物をもったミジュルクが降りてきた。

片手には布袋に入った琵琶。鞄も大きく膨らんでいる。おそらく衣装や化粧道具などであろう。彼の衣装や普段着はゆったりとした布の多い服なので、嵩張っているのだ。


「お発ちですか」

 アデレートの声に気付き、ほとんど条件反射でミジュルクは微笑む。

「ええ。お世話になりました」

「これからどちらに?」

「気の身気のままですよ」


 ミジュルクは訪れた時と同じように、優雅な足取りで店を出て行く。

ギュイ、と音を出して扉が開くと、彼の後ろ髪をまとめている髪飾りが見えた。

 アデレートはその姿を見送り、そして目を細める。

 彼が右側へと曲がるのを確認すると、ちょうどカウンターに入ってきたリクに向って、

「その髪飾り、似合ってるね」

 と言う。

リクは少し照れたように、かんざしの花飾りに触れた。

「そうですか?ミジュルクさんに頂いたんですよ」

「・・・へぇ、彼から?」

「ええ」

 アデレートはにっこりと笑った。

「少し空けてもいいかな。ルーの様子を見てくる」

「ええ。そうしてあげて下さい」


 アデレートは裏口から店を出ると、ちょうど自宅の前を通っているミジュルクの後姿を見つけた。それを小走りに追いかけ、近くで声をかける。


 振り向いた彼は、やはり微笑を浮べて「どうしました」と言った。

「お忘れものですよ。店の前にかんざしが」

「おや?おかしいな・・・気付きませんでした」

「落とされたのでしょう。どうぞ」


 アデレートは、ズボンの腰のあたりに差し込んでいたものをミジュルクの前に差し出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る