第18話 風邪をひいた、ルー
ルートヴィーズを自宅のベッドに寝かせると、アデレートはシャワーを浴びて制服に着替え、なにくわぬ顔で裏口から店内へと戻ってきた。
既に複数の人の気配がしている。
一瞬何かが強烈な光を放ち、アデレートは顔を顰める。
逆光に立っていたリクの髪飾は、金色の棒にゴールデンシャワーの造花が付いていた。
山吹色の藤の花に似ている。
「ああ、
例の事件があってか、今だ客入りは薄い。
それでも常連と泊り客はいて、リクは客の注文をとっている所だった。
店の真ん中に備えてあるテーブルに、見聞目的の旅人だというメガネの青年ダグラス、安酒しか頼まないカードゲーマー・フェイ、赤ら顔の常連数人が座っている。
今日もまた
「ようマスター、随分と遅いご出勤だねぇ?」
すでに酔っている常連の一人がそう言うと、アデレートは苦笑した。
一緒に連れて来たミツを階段の柱に鎖で繋ぎながら応える。
「ええ、ルーが具合を悪くしましてね。医者が遅れるって言うんで、抜けられなくて」
「ルーって・・・ああ、あの無口な店員さんですね」
ダグラスが、中指でメガネをあげ直す。
「今日は見かけないって話してたところだ」
「悪性の風邪だって言うんで、無理に出すわけにもいかないんですよ。暫く休ませます」
「おいおい、さっきまであの兄ちゃんと一緒だったんだろ。俺達に
本当に嫌がっていると言うより、ルーとの仲を知っているぞ、と言うからかいが含まれていた。
アデレートは苦笑する。
「大丈夫ですよ、何とかは風邪を引きませんから」
周りで笑いが起こった。
言われた当人も笑っている。
「違いねぇ」
アデレートはカウンターに入り、いつものようにグラスを磨き始める。
リクはカウンターの近くに客がいないのを確認して、少し不安そうに、何かに怯えたように耳打ちした。
「何があったんですか」
アデレートは素早く耳打ちし返す。
「ロイドとルーがうちの泊り客に襲われた。二人とも助かりはしたが、ルーは頭を殴られて動けない。数日中は絶対安静だ。ロイドも暫くは店に来れないと思う。君もなるだけ自然に振舞ってくれ」
リクは唖然としていた。見る見るうちに顔から血の気が引いていく。
「そう言えば店主、赤い髪の泊り客はどうしたんです?」
「え?」
アデレートはメガネ男に振り返った。
「そうだ。5号室の、セリーザ・・・今日こそは取り返してやろうと思っていたんだ。勝ち逃げなんてされてたまるか。店主、彼女は?仕事ですか」
フェイが意気込んでカードを切り捨て、テーブルに抛る。その際に、袖に隠してあったトランプをすり替えたようだが、見ないふりをする。
随分と手馴れた動きだ。常習犯だろう。
アデレートは困惑したまま微笑を浮べた。
「それが、朝一でチェック・アウトしてしまったんですよ」
彼の言葉を、疑う者は誰一人としていなかった。
一通り店が落ち着くと、アデレートは証拠隠滅を図って二階の客室へと上がっていく。
「ベッド・メイキングがまだなので」
とか何とか理由をつけさえすれば、店主兼従業員である彼が客室に入った所で、怪しまれる事はなかった。
いかにも旅慣れしていて、彼女の荷物は最小限の衣服と地図や手配書だけだと言ってよかった。それをリュックに詰め込むと、アデレートはゴミ処理用の麻袋にそれを入れた。新しい客が入る準備を終えると、麻袋を持って一階へと降りる。
ちょうど入り口から色鮮やかな人影が入ってきて、店内を横切っていた。
銀の盆にビールをのせたリクは、彼の進行通路で後頭部を押さえる。
髪飾りが緩まり、髪がほどけそうになったらしい。
その拍子に銀盆が傾き、ビールが滑り落ちる。
「あっ・・・」
振り向いたリクよりも、ミジュルクの腕が反応するのが早かった。
床で弾ける筈だったグラスは空中でキャッチされ、容器から飛び散ったのは、わずかな泡だけだ。
一同が呆然と視線を寄せる。
ふぅ、とため息が漏れ、ミジュルクはにっこりと笑った。
「どうぞ」
「ああ、ごめんなさい。お着物がっ・・・」
リクはカウンターにビールと盆を置くと、ミジュルクの濡れた袖をハンカチで拭った。
「大丈夫、もう着替えますから」
「兄ちゃんすげぇな。目ぇ、見えないんじゃないのかい」
客の一人が聞いた。
ミジュルクは化粧をした目元を細める。
「ええ。見えない分、補ってる他の部分が敏感なんですよ」
「へぇっ、俺なんか見えてたって追いつかねぇや」
アデレートは階段を降りていく。階段の下にいるミツが一瞬だけ顔を上げた。
「ミジュルクさん、すいません」
ミジュルクは顔の方向をアデレートに向ける。
彼はいつも、微笑したような穏やかな顔をして、目を閉じているか、伏せている。
そう言えば、目が見えないのに自分で化粧をするのだろうか。
一人旅なのだからそうなのだろう。器用なものだ。
「いいえ。それよりマスター、旅の資金ができたので明後日にでも宿を出ようかと思うんです」
「そうですか。出発は何時に?」
「そうだなあ・・・昼過ぎには」
「分りました」
「ええ、では」
ミジュルクは誰にも何にもぶつかる事なく、階段を上っていく。優雅ともいえるゆったりとした動きにあわせて、彼の衣装も小さく揺れた。
「見えてるみたいな動きだな」
彼が完全に二階へ上がったあと、客の誰かがそう言った。
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